続きになります(;^_^A。歌のことで2部構成になるのは、300本以上(閉鎖した前ブログから通算すれば500本くらい)の記事のなかで、おそらく初のことじゃないでしょうか(;^_^A。
それはさておき。
ブルハの「夢」以外の「夢」を歌った歌は、「夢をあきらめるな」「思い続ければ夢が叶う」などと無責任なことばかり言っていますが、自分の「夢」に人生の全てを賭け、本当にその「夢」を実際に叶え、その結果として、金銭的にも精神的にもな暮らしができている人って、いったい何人いるんでしょうか?
それは絶対に多くない…いや、宝くじの高額当選者より数が少ないはずです。
まず、夢を叶えるには特定の才能が必要となりますが、その「才能」なるものは、凡人がいかなる努力を払おうとも、全く手に入れることができない性質を持つことを理解しなければなりません。例えるならば、「数字のゼロにいくら大きな数を掛け算しても、ゼロはゼロのまま」みたいなモンでしょうか。
1993年に発表されたある研究によりますと、人間の性格形成に関連し、遺伝が働きかける割合は、幼少期で4割~6割、成人後にはなんと9割にも達する、とのこと。
このことから、下記のような真実が浮かび上がってきます。
「人間の性能は遺伝で9割方決着がついている。だから身の丈に合わないことや、自分にとって才能のないことで夢をつかもう、成功しようとしても、それは絶対に叶うことはない」
こんなことを言うと、なんだかワタクシがひどい薄情者のように思われるかもしれませんが(実際そうだったりする点もあるんですがね(;^ω^))、世の中は意外とそんなものです。
恥を忍んでお話ししますが、ワタクシは若い時期のごく一瞬だけ「武道・格闘技でメシを食う」という夢を持っていました。
仕事でさまざまな転機が訪れたことや、いろいろなところで道場経営の厳しさを目の当たりにしたことによりこの「夢」は早々に放擲しましたが、今ではそうしておいてよかった、とつくづく思っております。
永く武道・格闘技をやるうえでよくわかったことは、「格闘技でメシを食う」という夢を実現できるのは、以下の2つ(+1)の才能を持つ人だけだ、ということでした。
① 社会的に高い認知度を誇る武道・格闘技で好成績を挙げ続けることで企業・学校などの庇護を受けることができている「メジャー競技の抜きんでた強者」。
② 人を集めて世話をする商売がうまい、いい意味でも悪い意味でも「武道商人」。
③ 【番外編】後ろ暗い資金を運営できる才能を持った「あまり近寄りたくないヒト」
ワタクシの場合、「試合に勝ってうれしくなく、負けて悔しくない」という我ながら不思議な性格をしており、そのためメジャー競技の強者など、夢のまた夢…というか、そんなもの最初っから望んでいませんから①はまるでダメ。
②についても、ワタクシは人付き合いが極めて悪いうえ、商才なんてカケラも持ち合わせていない。だからこれもまるでダメ。
結果的には、ワタクシにとって「武道・格闘技でメシを食う」ということは、いくら努力しても実現しえない、そういった夢を見ることすらしてはいけない、身の丈に合わない話だったんですね。
まあ、③に至っては論外ですが(-_-;)。
なのでワタクシは身の丈に合わないことはやめ、「限られた時間の中で 借り物の時間の中で」、小さな夢を見続けることにしています。
じゃあ、今のワタクシが武道・格闘技に対して何の夢も希望も持たず、ただ師匠への申し訳のためだけにトレーニングを続けているのか…というと、それも違います。
ワタクシは武道・格闘技の練習や、それに付随するフィジカルトレをやっているとき…まさに「限られた時間、借り物の時間」のなかでトレーニングをしているとき、とても幸せな夢を見ることができています。
それ「弱くでダメな『ほんとうの自分』なるものを、ほんの少しでもマシにする」という、全然大それたものではなく、他人にとってはどうでもよく、とても小さいものですが、本人にとってはとても大切で、かけがえのない「夢」です。
「限られた時間の中で 借り物の時間の中で」夢を見続けるのも、決して悪いもんじゃありませんよ(;^ω^)。
それはさておき。
ブルハの「夢」以外の「夢」を歌った歌は、「夢をあきらめるな」「思い続ければ夢が叶う」などと無責任なことばかり言っていますが、自分の「夢」に人生の全てを賭け、本当にその「夢」を実際に叶え、その結果として、金銭的にも精神的にもな暮らしができている人って、いったい何人いるんでしょうか?
それは絶対に多くない…いや、宝くじの高額当選者より数が少ないはずです。
まず、夢を叶えるには特定の才能が必要となりますが、その「才能」なるものは、凡人がいかなる努力を払おうとも、全く手に入れることができない性質を持つことを理解しなければなりません。例えるならば、「数字のゼロにいくら大きな数を掛け算しても、ゼロはゼロのまま」みたいなモンでしょうか。
1993年に発表されたある研究によりますと、人間の性格形成に関連し、遺伝が働きかける割合は、幼少期で4割~6割、成人後にはなんと9割にも達する、とのこと。
このことから、下記のような真実が浮かび上がってきます。
「人間の性能は遺伝で9割方決着がついている。だから身の丈に合わないことや、自分にとって才能のないことで夢をつかもう、成功しようとしても、それは絶対に叶うことはない」
こんなことを言うと、なんだかワタクシがひどい薄情者のように思われるかもしれませんが(実際そうだったりする点もあるんですがね(;^ω^))、世の中は意外とそんなものです。
恥を忍んでお話ししますが、ワタクシは若い時期のごく一瞬だけ「武道・格闘技でメシを食う」という夢を持っていました。
仕事でさまざまな転機が訪れたことや、いろいろなところで道場経営の厳しさを目の当たりにしたことによりこの「夢」は早々に放擲しましたが、今ではそうしておいてよかった、とつくづく思っております。
永く武道・格闘技をやるうえでよくわかったことは、「格闘技でメシを食う」という夢を実現できるのは、以下の2つ(+1)の才能を持つ人だけだ、ということでした。
① 社会的に高い認知度を誇る武道・格闘技で好成績を挙げ続けることで企業・学校などの庇護を受けることができている「メジャー競技の抜きんでた強者」。
② 人を集めて世話をする商売がうまい、いい意味でも悪い意味でも「武道商人」。
③ 【番外編】後ろ暗い資金を運営できる才能を持った「あまり近寄りたくないヒト」
ワタクシの場合、「試合に勝ってうれしくなく、負けて悔しくない」という我ながら不思議な性格をしており、そのためメジャー競技の強者など、夢のまた夢…というか、そんなもの最初っから望んでいませんから①はまるでダメ。
②についても、ワタクシは人付き合いが極めて悪いうえ、商才なんてカケラも持ち合わせていない。だからこれもまるでダメ。
結果的には、ワタクシにとって「武道・格闘技でメシを食う」ということは、いくら努力しても実現しえない、そういった夢を見ることすらしてはいけない、身の丈に合わない話だったんですね。
まあ、③に至っては論外ですが(-_-;)。
なのでワタクシは身の丈に合わないことはやめ、「限られた時間の中で 借り物の時間の中で」、小さな夢を見続けることにしています。
じゃあ、今のワタクシが武道・格闘技に対して何の夢も希望も持たず、ただ師匠への申し訳のためだけにトレーニングを続けているのか…というと、それも違います。
ワタクシは武道・格闘技の練習や、それに付随するフィジカルトレをやっているとき…まさに「限られた時間、借り物の時間」のなかでトレーニングをしているとき、とても幸せな夢を見ることができています。
それ「弱くでダメな『ほんとうの自分』なるものを、ほんの少しでもマシにする」という、全然大それたものではなく、他人にとってはどうでもよく、とても小さいものですが、本人にとってはとても大切で、かけがえのない「夢」です。
「限られた時間の中で 借り物の時間の中で」夢を見続けるのも、決して悪いもんじゃありませんよ(;^ω^)。
ワタクシも「ほんの少し強い体と技」に喜びを見出す生活を送っております。息長く続けたいと思っております。