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時の関守

前に進め (3)

この世に生きていて、この世に生きていないかのように生きる。
たましいを一番大事にして生きる。
だからといって、悲しみや苦しみがなくなるわけではありません。

この世を離れていく多くの人との別れ。
どんなに未練があっても、嫌だといっても、別れはいやおうなく訪れます。
今度は私の番です。
そう遠くない瞬間(とき)に、それは訪れるのですが、私がやり残したものがあることはわかっています。

この世に生きて、この世を生きてないかのように生きる。
そうしないと、私がこの世を本当に生きたことにはならない。
そう直感が告げています。

この世の物語を生きることはもうしない。
この世の物語は、意外性にみちて、喜怒哀楽があって、一個の小説を読むように、私たちを楽しませてくれているが、それはそれ。
物語の小説を閉じ、本来の自分にもどろう。
小説の感想にひたるのは後にして、今自分がすべきことは何か、前を向いて歩きだそう。

神は存在している
自分の中に

神が自分のなかに存在しているのであれば、世界中が違うといっても、何の問題もない

次に、私の鏡である伴侶(はんりょ)のなかに、自分が存在している
そして、これまで出会ったさまざまな人
これから出会う人、すべての人のなかに…

直接出会えた人
直接出会えなくても、さまざまの縁でつながっていく人
すべてに…

神は存在する


コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
@pocotoharu さんへ
コメントありがとうございます。
私にとって、とても重い言葉でした。その言葉に責任をもてるのだろうか、そんなふうに考えるからです。
それと、神はどこにでもいる。
しかし、自分のなかにいれば、世界中が違うと言っても、何の問題もないと考えると、とてもいい言葉のように思います。
pocotoharu
神は存在している
自分の中に
私もそう思います^_^
tokinosekimori-kitaiwahara
いつもブログ拝見させていただきております。
私なりに、私の思う神のお心を発信できればなぁと思っています。
もちろん私には荷の重いのですが、煩悩多き凡人だからこそ、発信できることもあるかと思っております。
コメントありがとうございました。
tokinosekimori-kitaiwahara
@shou1192_2010 つい、カープファンと聞くと
反応してしまいます。
日本一になったときの、近鉄との試合。山本監督であと一歩届かなかった日本シリーズ。
津田恒美、山根投手などは、とくに忘れられない選手です。最近では黒田投手の男気。
書いてると止まりません。また、カープの話も、たまに書いてください。
shou1192_2010
時の関守さん おはようございます。
「神は存在している 自分の中に」の言葉は胸に重く響きます。
中々実感することは難しいと思いますが、その想いを心に刻んで参りたいと思います。

なお、私のブログへ嬉しいコメントを頂きありがとうございました。

「カープ初優勝からの」ファンとすれば、筋金入りですね。
私の周辺でも、そのようなフアンが結構いますが、私が申し上げるまで
その旨中々おっしゃって頂けないケースがあります。

「樽募金」等々、チームの成り立ちも含めて市民の熱い心に支えられた
広島カープの歴史は感動に満ちていますね。
1975年、古葉竹識監督の下で球団史上初のリーグ優勝をしましたが、
この時代からのカープフアンであった時の関守さんには頭が下がります。

かつても、そうだったでしょうが、カープチームの選手には一体感と言うか
皆「家族」の一員という印象があります。「One for all All for one」の
言葉が、無理なくそれぞれの選手の血肉になっているとの印象があります。
これがチームワークの底力になっているとも感じます。

これから交流戦になりますが、胸をはり、共に応援して参りましょう。
uncle-ken2055
おはようございます。

僕も神の意志で行動していると常に思っております。
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