洋画を見ていると、たまに「日常でも使ってみたくなる表現」と出くわす。
「○時の方向!」
敵のアジトへの潜入シーンとか、銃撃戦のシーンとか、戦闘機のパイロットの無線交信シーンとか。
大概は「敵方」のいる方向をアナログ時計の短針の向きになぞらえて表現する。
丸見えのはずの正面(0時/12時)で使うのはとってつけたようだし、
単純な真右(3時)・真左(9時)で使うのもわざとらしい。
やはり一番リアルなのは、右斜め後方(5時)・左斜め後方(7時)あたりか。
誰かと向かい合いで飯を食っていて、その人の斜め後方にいる人のことに注意を向けたい場合などに用いる。
「あなたの7時の方向に座ってる人だけど、どっかの民放のアナウンサーだよね?」
大事なのは、相手に「シチジのホウコウ?」と怪訝な顔をされても、
「あなたの『左斜め後ろ』ってことだよ」などと言い換えないことだ。
符牒はあくまで符牒のまま通さねばならない。
「いいニュースと悪いニュースがある。いいニュースは…。悪いニュースは…。」
この表現の難しいところは、まず最初に全体像を掌握した上で、
そこから演繹的に「良い方」と「悪い方」の2つの回答を導き出さねばならないことだ。
さらに、「いいニュース」と「悪いニュース」のどちらを先に言ってもいいが、
後から言う方のニュースは、何らかの「オチ」となっていなければならない。
「××とかけまして○○と解きます…」というなぞかけ同様、
定型のフレーズを口走ったら最後、確実にオチにまで持って行かねばならない。
これはかなり高度なテクニックを要する。
「いいニュースと悪いニュースがある。
いいニュースは、明日からクリスマス・イブまで3連休ってことだ。
悪いニュースは、一緒に過ごす相手もいなけりゃ、給料日前で金もないってことだ」
本当はもっとひねりを利かせるべきなんだろうが、
「とにかくこの言い回しの枠組みに落とし込んでみた」ってことに意義がある。
お粗末。
「ブログ村」 ジャンルの多彩さとカテゴリーの豊富さに圧倒されます。あなたにしっくりくるジャンル、カテゴリーがきっと見つかると思う。
「○時の方向!」
敵のアジトへの潜入シーンとか、銃撃戦のシーンとか、戦闘機のパイロットの無線交信シーンとか。
大概は「敵方」のいる方向をアナログ時計の短針の向きになぞらえて表現する。
丸見えのはずの正面(0時/12時)で使うのはとってつけたようだし、
単純な真右(3時)・真左(9時)で使うのもわざとらしい。
やはり一番リアルなのは、右斜め後方(5時)・左斜め後方(7時)あたりか。
誰かと向かい合いで飯を食っていて、その人の斜め後方にいる人のことに注意を向けたい場合などに用いる。
「あなたの7時の方向に座ってる人だけど、どっかの民放のアナウンサーだよね?」
大事なのは、相手に「シチジのホウコウ?」と怪訝な顔をされても、
「あなたの『左斜め後ろ』ってことだよ」などと言い換えないことだ。
符牒はあくまで符牒のまま通さねばならない。
「いいニュースと悪いニュースがある。いいニュースは…。悪いニュースは…。」
この表現の難しいところは、まず最初に全体像を掌握した上で、
そこから演繹的に「良い方」と「悪い方」の2つの回答を導き出さねばならないことだ。
さらに、「いいニュース」と「悪いニュース」のどちらを先に言ってもいいが、
後から言う方のニュースは、何らかの「オチ」となっていなければならない。
「××とかけまして○○と解きます…」というなぞかけ同様、
定型のフレーズを口走ったら最後、確実にオチにまで持って行かねばならない。
これはかなり高度なテクニックを要する。
「いいニュースと悪いニュースがある。
いいニュースは、明日からクリスマス・イブまで3連休ってことだ。
悪いニュースは、一緒に過ごす相手もいなけりゃ、給料日前で金もないってことだ」
本当はもっとひねりを利かせるべきなんだろうが、
「とにかくこの言い回しの枠組みに落とし込んでみた」ってことに意義がある。
お粗末。
「ブログ村」 ジャンルの多彩さとカテゴリーの豊富さに圧倒されます。あなたにしっくりくるジャンル、カテゴリーがきっと見つかると思う。