共同通信(←クリック)の【朝鮮戦争の際、北朝鮮沖で機雷の掃海作業中に死亡した元海上保安庁職員の遺族が「国に殉じた戦死者だ」として靖国神社に合祀(ごうし)を求める申請書を提出したが、拒否されていたことが2日、分かった。】という記事に【合祀を申請したのは、弟の坂太郎さん=当時(21)=を亡くした大阪市浪速区の会社役員、中谷藤市さん(79)。中谷さんによると、坂太郎さんは1950年10月、極秘編成された海上保安庁の特別掃海隊員として北朝鮮沖に出動し機雷に触れて死亡。しかし戦争放棄をうたう憲法が施行されていたため同庁は口外を禁じ、事故記録も廃棄されたという。】との記述がある。
この件の詳細は,
中国新聞の特集(←クリック)で,次のように書かれている。
■■引用開始■■
「海の神様」で知られる香川県仲多度郡琴平町の金刀比羅宮。五月二十七日、山口県大島郡沖浦村(現大島町)出身の中谷藤市さん(73)=大阪市浪速区=が長い石段を上った。海上自衛隊が毎年、旧海軍記念日のこの日に営んでいる掃海殉職者慰霊祭に出席するためだ。
●大島出身者
一九五〇年、中谷さんの弟、坂太郎さん=当時(21)=は海上保安庁の機雷掃海隊員として、極秘裏に朝鮮半島沖に出動した掃海艇に乗り組んでおり、十月十七日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)元山沖で機雷に触れ、亡くなった。
金比羅山にある掃海殉職者の慰霊碑には、戦後、瀬戸内海などで機雷を除去する仕事で死亡した七十九人の名が刻まれる。その中に、坂太郎さんもいる。だが、ただ一人の「戦死者」であることは記されていない。「弟が朝鮮に行ったことは当時、固く口止めされた。最近でこそ堂々と話せますが…」。中谷さんは、弟の名をなぞった。
「下関に集結せよ」。五〇年十月初め、日本各地の海上保安庁の掃海部隊に、指令が下った。朝鮮戦争に派遣する「日本特別掃海隊」編成のためだった。
開戦当初、北朝鮮軍は進撃を続け、釜山近くまで達する。九月、米軍を主体とする国連軍は反攻を開始。元山上陸など重要作戦に欠かせないのが、北朝鮮軍が敷設したソ連製機雷の除去。米軍は終戦直後から国内での掃海を続けてきた日本の出動を強く求めたのだ。
●下関に参集
下関市の唐戸桟橋に集まった掃海隊員たちは、初めて朝鮮戦争に「参加」することを知る。「平和憲法があるのに外国の戦争に行っていいのか」と、艇ごとに議論が続けられた。
「われわれは軍人ではないと荷物をまとめようともした。だが、米軍に命令されたのだからやめるわけにはいかないと…」。広島県賀茂郡黒瀬町に住む元掃海隊員の川原次郎さん(73)は明かす。ほとんどの隊員が朝鮮半島へ向かった。
元山沖には、掃海艇四隻を中心とした船団が到着。湾内の無数の機雷を処分する作業を命じられた。沖合には、上陸に備え米軍の空母や戦艦が待機。日本の掃海隊は作戦自体に組み込まれていた。川原さんは新婚早々だったが、「国内で掃海経験は十分ある。やるしかないと覚悟を決めた」。
十月十二日、米軍の掃海艇二隻が触雷し沈没。五日後、中谷坂太郎さんが乗っていた呉の掃海艇「MS―14号」が水面下の機雷に接触する。ペアを組む別の掃海艇にいた川原さんは、その瞬間を目撃した。「こっぱみじんでした」
呉市に住む高木義人さん(72)はMS―14号の生存者だ。「午後三時ごろばーんと音がして体が飛んだ。みんな甲板にいたのに調理員の中谷君だけが、食事の準備で、船倉に降りていた」。坂太郎さんの遺体は見つからず、高木さんら他の十八人も重軽傷を負った。
●30年も封印
残った三隻の掃海艇は、現場を離脱して帰国、指揮官らは解任される。しかし、掃海隊派遣は続き、十二月までに七回、延べ千二百人が半島沿岸で掃海。海上保安庁は翌年、鋼鉄製の「モルモット船」も走らせ、機雷が処理されたのも確認した。
吉田茂首相(当時)は憲法に抵触する可能性から、犠牲者が出た事実はもちろん日本特別掃海隊の存在すら公表せず、隊員たちにもかん口令が敷かれた。
だが、戦後三十年余りたって当時の海上保安庁長官の手記が出版され、全容が明らかになる。坂太郎さんが叙勲を受け、朝鮮戦争での「戦死」が公認されたのは、七九年のことだった。
金刀比羅宮での慰霊祭。掃海部隊のOBでつくる「航啓会」の細谷吉勝会長(62)=呉市=は、式辞の中で日本特別掃海隊に触れ、「翌年の講和条約を有利に運ぶのに、大きく貢献した」と評価した。
以前は事実を隠す国に憤りを感じた中谷さんは最近、「弟の死が必ずしも無駄ではなかった」と思い始めている。そして「歴史のかなたに忘れられることがないように」と願う。
海上保安庁の掃海部隊の人材とノウハウは日米安保体制のもと、五四年に発足した海上自衛隊にそっくり引き継がれた。「その伝統は、掃海部隊の二度目の海外派遣であるペルシャ湾掃海(九一年)に生かされた」と細谷さん。そして今、周辺有事で米軍が期待する分野の一つが、海自隊の掃海能力だとされている。
かつては国家機密だった日本特別掃海隊の秘話。今では海自隊は「海外派遣の先人」として、当たり前に紹介するようになった。
■■引用終了■■
このような重大な出来事が戦後の民主主義政府のもとで長年国民に秘密にされ続けたのはなぜか?これは,公務に関する記録を勝手に廃棄する先進国が日本だけであることと無関係ではないはずだ。情報流通という観点から,公務員が記録を破棄した場合,重大な処罰を科すシステム,国賠などで書類が紛失した場合,国,地方公共団体が責任がないことを立証する責任を負うようなシステムを直ちに設けるよう呼び掛けていく必要があるのではないでしょうか?そうでないと,今日も記録が破棄されていく…。
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