情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

知らなきゃ判断できないじゃないか! ということで、情報流通を促進するために何ができるか考えていきましょう

民放労連、メディア総研のパブコメ紹介!~ネット規制反対のパブコメを!その14

2007-08-06 04:31:39 | メディア(知るための手段のあり方)
 学者、ジャーナリスト、メディアに関心の高い市民らでつくるメディア総合研究所と、民放の労働組合でつくられる民放労連
総務省「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会 中間とりまとめ」に対するパブリック・コメントを、それぞれ(メディア総研←クリック、民放労連←クリック)発表した。下記で少し紹介するとおり、それぞれ、専門的立場からの鋭い指摘がなされている。やや長いがぜひ、熟読して頂きたい。新聞労連、出版労連などにも声を挙げていただきたい!表現の自由を守るために連帯を!


■■メディア総研のパブコメからの引用■■

【放送に関する限り、無線局免許(制)による「適合性審査」は止め、横割りの「コンテンツ配信法制」のなかで放送(事業・事業者)の社会的機能・影響力を勘案、適合性の可否を考えていくべきだ、と読める見解を明らかにしているのだが(『中間とりまとめ』9ページ)、これは大問題だ。

放送免許が無線施設の適正さに応じて交付される施設免許制の下に置かれてきたのは、その交付が事業者や事業内容に対する政府の判断によって決まるのでは、国家権力が、言論報道機関の存立の可否を、直接決定することになり、憲法21条に違反する、と考えられてきたからである。このような放送の原理的ポジションを根本的に覆すような変更には、到底同意できない】

…これまでは、放送局の免許は、施設がきちんと整っていれば取得できたが、法改正されたら、番組内容にまで踏み込んで判断するようになり、表現の自由を侵害されるという危惧は、正しい。

【そしてまた、規制緩和・撤廃というものの、実態は政府が強力なイニシアティブをいたるところで発揮、各レイヤーにおける事業の種別と事業者の位置付け、これらに対応するエントリーのための制度的手続き、業種を超えた統合・連携の認め方、公益性・公共性の担保、規律・規制の必要性の判定とそれらの実行などは、結局政府が検討、対応しなければならないことになる状況が、あまりにも多く残されているとしかいいようのないのが、『中間とりまとめ』の内実だ。これでは、規制緩和どころか、政府に独裁的な規制権限を与える法的根拠になってしまうのではないか、と危惧される。

 いまや国際社会では、情報通信・コミュニケーションの問題に対する政策的取り組みは、情報公開・個人情報保護制度とセットで、市民的自由に対してはいかに政府に干渉させないようにするかが、制度設計上の重点課題となっているといっても過言ではない。ネットの活用においても、政府については、言論報道活動を含む市民的自由の確保が必要と考えられる活動領域に対しては、どこからどこまでは接続不可とする―入ってはならないと、そこは覗けないようにシステム設計するのが当たり前になっている。このような考え方に立てば、政府=国家権力が、その放送局の事業内容・事業者について「適合性審査」を行い、その結果によって免許交付の可否を決定するなどのことが、いかに時代に逆行するものであるかが歴然とする。

 議会に責任を負うか、政府に責任を負うか、あるいは社会各層の代表からなるラウンドテーブルに責任を負うか、その国の政治文化の歴史・伝統によって違いはあるものの、いまや世界主要国では、政府から独立した行政委員会を設け、これに通信・放送行政を委ねるのが通例と化しつつある。これが明確なルールに則って、またケースバイケースの問題は徹底して民主的な話し合いによって、なにごとも決めていくのだ。許可、免許、認可などの管理業務も当然扱う。倫理問題をめぐる規律・規制にも関わる。サミット参加八ヵ国中、この種の独立行政委員会をもたないのはいまや、日本とロシアだけである】

…独立行政委員を必ず設置させよう!

【具体的には、公共性の保持を求められるがゆえに、免許事業という制度的独占に守られ、その代わりに法の下で番組編集の公平・公正に関する規律などを受ける放送は、営利を目的とする事業行動においてはおのずから制約を被る制度環境のなかに止まってきた。しかし、新しい規制緩和の下で、一般のコンテンツ・サービス事業や通信事業なども手がけられるとなれば、新しいビジネス・チャンスに恵まれる可能性はあるものの、反面、競争の世界に身を投じることとなり、やがて制度的独占を専有する特典を失うことになりかねない。一方、元来経済的には自由度の高かった通信も、放送および放送類似のサービス事業に進出すると、そのコンテンツが法的な規制を被る結果となり、通信の秘密の厳守を強く主張できた固有の立脚点を、失うことにもなりかねない】

…公共性の観点からマスメディアには表現の自由を守るために一定の規制がかかっている(クロスオーナーシップの禁止など)。事業の自由を優先させるためにこのような規制を廃止することは避けなければならない。メディアは、金儲けのためだけに営んではならないのだ。

【『中間とりまとめ』は、「私信など特定人間の通信」については、なんら規制を加えず、かつ「通信」としての秘密を保護する、と定めることを約束するが、IPネットの可能性を斟酌するとき、いきなり私信だけの世界に降りるのでなく、私人がネットで社会的交信範囲を拡大、社会的な諸活動を発展させつつ、社会的発言を活発に行っていくのをいかに促していくか、とする観点から、政策的措置を講ずべきであろう。具体的には各種の非営利型のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)の生成を促し、その発展とともに、ネット空間のなかに新しい市民メディアが生まれていくことにも、大きな可能性を与えるべきである。

 その際一番必要なことは、なんらかの助成措置を与えるより、完全な自由を保障することである。政府は、自発的な市民活動の発生をとかく警戒し、無用に監視を強める性癖をもっている。たとえば、年金問題の発生とともに、年金カードの発行という話が出ると、それはまたたくまに納税者カード、総合的な社会保障カードの構想までにいき、遂には国民カードなる話にまで発展した。住民基本カード問題が出現したとき、国民総背番号制は取らない、住民情報の範囲は限定し、これを納税、医療などの情報につなげることはしないと、あれほど約束したのに、いつのまにかそんなことは忘れ去られている。

 現在到達した技術水準でも、政府は、その気になれば、ネットを活用、国民ひとりひとりを、各人別に丸裸にできるだけの情報収集ができるはずだ。今後の衛星技術、センサー技術、通信傍受技術を活用すれば、特定個人を24時間、リアルタイムで追跡、監視し、情報収集することが可能となるだろう。

 市民の「コミュニケートする権利」を最大限尊重、完全に実現するには、なんらかの手段的便益を供与するか否かだけでなく、市民の自主的なコミュニケーション過程に政府がいっさい介入しないことを約束、その保障措置を市民に与えることが必要だ。そのためには、一定の範囲のコミュニケーション・プロセスには政府は立ち入らない、とする約束をし、実際にそのための技術的措置を取り(現行のものとは異なる個人情報保護法の制定)、さらにそれが実行されているかどうかを、市民が自己情報の開示請求を通じて確認できるようにすべきなのだ(情報公開法の改正)】


そう、自由を我に!

■■以上、メディア総研のパブコメの引用■■


一方、民放労連のパブコメは、

【私たちは、この「中間とりまとめ」が描く「通信・放送の総合的な法体系」は、放送からインターネットまでのあらゆるメディアに対して包括的な表現・内容規制を導入し、憲法が保障する言論・表現の自由に対する重大な侵害となるおそれが非常に強いものと考える。
 このような総合的な法体系への移行にはまだ国民的な議論が不足しており、この「中間とりまとめ」の内容及び拙速な導入に対して私たちは反対意見を表明する】

を要旨とするものであり、

個別には、【行政による「適合性審査」はやめ、諸外国の制度もしくは日本のかつての「電波監理委員会」のように、適合性審査の主体は政府から独立した行政委員会などに委ねられるべきである。(理由)現在の無線局免許をどのようにするのか、具体的に明示されていないが、コンテンツ規律の中で行政が「適合性審査」を行うということは、表現内容に立ち入って国家権力が判断を下すということになり、憲法が禁止する「検閲」に該当しかねない。この規制に基づいて、放送において現在のような総務省による直接免許制が維持された場合、放送免許は事実上、施設免許制から事業免許制に転換することになる。政府がその放送内容を許可した放送局しか営業できないことは、表現の自由を著しく制限するものにつながりかねない】などとしている。

もうパブコメ自体は締め切ったが、総務省に、意見を述べるのは自由だ。パブコメを出していない方は、ぜひ、メールやFAXでネット規制反対の声をあげて下さい!

その1その2その3その4その5その6その7その8その9その10その11その12その13もご参照下さい。)









★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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知られざる真実-勾留地にて-植草一秀…これが取調の実態だ

2007-08-06 00:58:11 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 【取り調べ検事は「否認を続ければ裁判で私生活を攻撃して家族を徹底的に苦しめてやる」との発言を繰り返した】、【取り調べをした警察官は「否認を続ければ長期の勾留となり小菅に移送される」、「否認して裁判になれば必ずマスコミの餌食になる」と繰り返した】、【「こんな所にいないですぐ仕事をして欲しいんだ」、「日本はいま大事な時期だから、こんなことに時間かけてはだめだ。大事な仕事を早くして欲しいんですよ」と繰り返し、犯罪を認めることを迫り続けた】…新刊「知られざる真実-勾留地にて-」で、ミラーマンと揶揄された植草一秀氏が2回目に逮捕されたときの状況について述べた記述である。

 2004年に逮捕されたいわゆる手鏡事件(1回目の逮捕)で、彼を有罪とした証拠は、目撃した警察官の証言だけだった。もし、防犯ビデオに残された映像があったら、彼の無罪は立証できたかも知れない。いや、逆にいえば、もし、彼が犯行を行っていたとしたら、防犯ビデオの映像さえあれば、警察官の証言など不要であった。なぜ、起訴した検察側は、防犯ビデオを証拠として提出しなかったのか…。

 私自身の経験でも、無罪ではないかと思う事件で、決定的な客観証拠となるはずのものが提出されないことは多い。しっかりと写っている防犯ビデオなどは、きっちりと証拠として提出されることが多いのに、なぜ、検察・警察に不都合なビデオはまったく提出されないのか。

 いいですか。ここがポイントです。一般的に考えれば、起訴された被告人の供述を一部裏付け、一部は裏付けないような証拠価値として中途半端なビデオが提出されてもいいはずです。そうでしょう。実際に事件を行ってはいるものの無理に否認している被告人がいたとして、そういう被告人たちはいつも100%嘘をいうとは限らない。だから、裁判所で微妙な判断をしなければならないようなビデオが提出されることもあるはずだ…しかし、そんな中途半端な証拠が提出されたことは聞かない。

 検察官は100%有罪の確信(ここにはでっち上げの場合も含む。つまり有罪にできるという確信)がなければ、起訴しない。したがって、中途半端な証拠が提出されることはないのだ。

 中途半端な証拠がある場合、検察官は、起訴をしない途を選択するか、もしくは、証拠を提出しない途を選択する。つまり、その証拠がなくても有罪にできるか?…と検討し、有罪にできるとの確信があれば起訴するし、確信がなければ起訴しないわけだ。

 では、「無罪・有罪を立証すると思われるはずだと思われる証拠がない」という報告が警察から上がってきた場合、検察官はどうするか?これも同じことだ。ないなりに、有罪にできる確信があるならば起訴するし、確信がないならば起訴しない。

 いいですか、本来、決定的な証拠となるべきものがあるはずなのに警察官がないと報告した場合、検察官は、強く「冤罪」を疑わなければならないのにそういう構造にはなっていない…。

 では、国策捜査の場合、つまり、検察官が本来、無罪もしくは起訴するほどのことではないと知りつつも、何らかの理由で起訴しなければならない場合、検察官は、無罪を立証する証拠があったとしたら、どうするだろうか…。あなたがその立場にいたら、どうしますか?私がその立場なら、その証拠を法廷に提出しない方法を選択するだろう。そして、私は、きっとこう自分を納得させる。

 「こいつが犯人であることはほかの証拠から間違いない。たまたまこの証拠はこいつが犯人ではないかのようにも伺わせるが、この証拠が正しいとしても、●●というように考えれば、犯人であることとこの証拠は矛盾しない。●●であることを裁判官に理解させるのはやっかいだから、この証拠を出すのはやめておこう。もともと、この証拠がなかったと考えれば、別に問題はない。証拠がないことはよくあることだ」

 植草氏は、2004年4月11日、逮捕された日から3日後、防犯ビデオのことに気付いた。彼は、裁判官、弁護士、取調警察官、担当検事に、防犯ビデオで無罪と立証できるはずだと訴え続けた。

 ところが、4月20日ころ、取調警察官が、品川駅の防犯カメラ映像の保存期間を超えて記録が残っていないと告げたという。最初の訴えから10日も経過してから「保存期間を超えた」と説明したのはなぜなのか…。

 この第一事件で、警察官が植草氏を本当に犯罪を実行したと考えるならば、必ず、防犯ビデオをチェックしているはずだ。それこそが、本件での有罪立証の「決定的証拠」だからだ。それにもかかわらず、本件で防犯ビデオが提出されていないのはなぜなのか?

 逆にもし、警察官が防犯ビデオを最初からチェックしていないとすれば、警察官が無罪であることを知りつつ、防犯ビデオが抹消されるのを待っていたということになるはずだ。

 つまり、いずれにせよ、防犯ビデオが提出されていないことだけをもっても、植草氏は無罪とされるべきだったのだ。

 残念ながら、植草氏は、控訴審で争うことを断念した。いや、彼の表現に従うならば、「拒絶」した。

 この「控訴拒絶」に関するわずか「15行」の記載で、「知られざる真実-勾留地にて-」は結ばれている。彼は言う。

「時間を費やして積み上げた膨大な証拠は完全に無視された。警官証言は二転三転し、証言の矛盾は明らかだった。しかし、判決は素通りした」

「最初から判決は決まっていたのだと思った。私は有罪判決が下れば控訴する予定だったが、判決の詳細を知り、方針を変更した。このような裁判なら、裁判を継続するのは時間と労力の無駄だ。結論は最初に決定されている。事件も作られたものだと思った。メディアは権力と連携して攻撃を続ける。報道被害から身を守ることも考えなければならない」

「控訴『断念』ではなく、控訴を『拒絶』した」…

 彼がわざわざ、わずか15行の「控訴拒絶」の項目を一番最後に書いたのは、決定的な意味があると思う。

 私たち刑事裁判に携わる者は、彼のこの痛烈なメッセージを受け止め、彼のような目に遭う人が出てこないように、

①起訴されるまでの逮捕・勾留期間合計23日間という起訴前の長期身柄期間を短縮する
②取調過程を完全に録画する
③捜査側手持ち証拠を全面開示する(もし、開示していないことが判明したら、それだけで手続は終了し、無罪とする)

ことを実現させるよう全力を挙げなければならない。

そして、これら3つのことは、真実を解明するにあたって、何ら、妨げになることではない。これらの実現に反対する警察・検察側こそが真実解明を妨げているといってよいのだ。これら3つのことが定められることで、かえって、警察・検察が変な国策捜査に関与させられることを防ぎ、真っ当な正義感を貫くことができるはずだ。

ぜひ、植草氏の著作を一読されることをお薦めします。









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メディアの技術革新は規制を克服できるのか~法の逸脱と法の克服

2007-08-05 07:39:38 | メディア(知るための手段のあり方)
 
 
 先日、ある会合でニューメディアに詳しい方のお話を聞く機会があった。テーマが表現の自由に関する規制に及んだ時、その方は、技術革新による規制の逸脱について説明した。1つの手段によるコミュニケーションが規制されても別の手段によるコミュニケーションを利用することで表現の自由を確保しようということだった。

 とっても分かりやすいし、それはそれとして説得力がある。例えば、今回の参院選で、多くの方がブログで候補者の動向を公示後も伝えていた。本来、文書による選挙運動は規制されていたが(今も、この「新しい記事を渡航します」の画面には、「※公職選挙法に関するご注意」が掲げられている)、今回の参院選では、ネットでの選挙運動が解禁されたといってよい。人と人が対面して、ある候補者を推薦したり、投票するようお願いすることが自由なのと同様に、ブログにおいて、特定の候補者を支援することも自由に行えるようになったといえるのではないだろうか。

 しかし、残念ながら、堰を切ったように、ブログでの候補者批評がなされたわけではない。韓国では、日本と同じような規制があったにもかかわらず、投票すべきではない候補者を掲げる「落選運動」が全国的に大展開され、完全に規制を乗り越えたという。日本では、様子見だった方が多いと思う(私も含め)。

 そういう意味で、技術革新による新しい可能性があった場合、一気に多くの方がそれを利用することで、法の規制を逸脱してしまおうという呼びかけは魅力的だし、おとなしい日本市民には効果的なアドバイスだと思う。

 ただ、一方で、そのような法の逸脱も、結局は法の克服につなげなければならないことは強調しても強調しすぎることはないと思う。つまり、究極的には、「表現の自由」に対する不当な規制を克服するための手段として法の逸脱があるということだ。

 例えば、いま、インターネットの内容規制は行われていません。ですから、マスメディアが自主規制や利権確保などのために伝えない内容の情報をインターネットによって伝えることができる。

 例えば、このブログで再三書いているように(ここ←クリックなど)、放送行政を政府ではなく独立した機関(独立行政委員会)によってなさしめるのが英米では当たり前だという事実、あるいは、クロスオーナシップ(系列化)によって表現の多様性が失われないようなシステムが英米では当たり前だという事実、欧米では広告代理店が一業種一社制によって競争が激しいためメディアの財布を握るような(つまりメディアに圧力をかけることができるような)巨大代理店は出現しようがないという事実などは、メディアの業界としての利権であったりするため、報道されることは少ない。

 いまは、幸い、そのような事実をここで書くことができる。

 しかし、いま、通信と放送の融合が法の世界でなされようとしており、通信も内容規制がされようとしている(ここここ←など)。

 新しいメディアが出てきた時、政府はしばらくは様子を見るが、政府にとってプロパガンダとして利用できるとか、放置すると不都合な事実が次々と明らかになるとかの事態にいたるとそれを規制しようとする…。

 分かりやすい例が、自民党が政権から一度転落した後、自民党による表現の自由(特に放送)に対する規制が強くなっていることであり(主として新しく法を作ることによる)、あるいは、原始的な手段であるビラ撒きに対する過剰な規制がなされたりすることだ(住居侵入いによる逮捕など従前の法を拡大解釈することによる)。

 インターネットの規制がある法によってなされても、その規制をかいくぐる通信方法によって規制を逸脱することは、その手段が先端的な意識をもっている層で利用されている限りは許されるが、それがメーンストリームになろうとすると必ず政府は規制をかけてくる。

 そうすると、市民のうち先端的な意識を持っていない多数派はいつまでも、規制のかかったメディアを利用するほかなくなり、表現の自由は画餅と化してしまう。

 だからこそ、法の逸脱を利用して法を克服するべく連帯しなければならない。

 日本のメディアシステムが異常なほど政府に弱いシステムになっていること、それを克服する動きが民主党を中心とする野党で出てきていること、これらをインターネットの自由を守るよう地元議員、知り合いの議員、同僚、同級生、近所の人、そして、ブログを見ている人に伝え、これまで疑問を持たなかったシステムの問題点に気づき、そのシステムを民主的なものに変更すること、これを今すぐ行うことで、規制を克服しようではありませんか。

 冒頭紹介した方も、法の逸脱と法の克服が連帯する必要性を説いた。

 私もそう思う。そして、インターネット規制がなされようとしている今、その連帯を直ちに開始する必要がある。

 法を克服するための行動を!

 
※写真はこちら(←クリック)から









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ドイツ編集者綱領を輸入しよう!~表現の自由を守るために

2007-08-04 02:53:58 | メディア(知るための手段のあり方)
 メディア内部での表現の自由を実現させるには、いまのように編集権を経営陣が握っているという状態を変更し、実際に取材・編集に携わる現場スタッフにも編集権を与える必要がある。現場でものを見た者が一番、そのものの報道価値を把握しているのだから、当然だ。

 そこで、リビングスピーチ(ここ←クリック参照)を守るために、野党に取り組んでいただきたいことの№2は、メディアの現場編集者の表現の自由を守るため、編集(者)綱領の設置を義務づける法律をつくることだ。有名なドイツの編集綱領を見習い、上司の圧力から現場を解放し、真の自由あるメディアとすること、これを求めましょう。もっとも、法律でメディア規制をするのは本末転倒になるため、編集者綱領の内容そのものは、基本条項を示すに止まり、具体的には各メディアが独自に設ける形にする必要がある。

 元関西学院大学教授・石川明さんによると(講演のレジュメ)、ドイツの編集綱領は、1960年代の末に新聞社や放送協会で働く記者や番組制作者が企業内部の意思決定構造を変えるために「編集(者)綱領運動」を展開したという。特に公共放送の運動で要求されたのは、国家や政党、さまざまな利益集団からの独立であったらしい。

 そのような運動の結果、1980年代後半には、放送法(州の管轄)が改正され、編集者綱領の概要が放送法に盛り込まれた。これによって、ドイツでは、番組スタッフの信条の自由が保障され、放送協会と番組スタッフが「放送の自由の実現」という共通の役割を担うこととなったという。

 現場のスタッフに与えられたのは、主として次の5つの権利だ(西部ドイツ放送協会の編集者綱領に基づく)。

1.信条の自由の保護
  「いずれの番組スタッフも、その記事や番組で、自らの信条に反する意見や芸術上の見解を、自らのものであると主張することを指示されたり、自らの情報に反する報告を正確であると指示されてはならない。また協会の任務の範囲にあり、かつ、公共性のある、総合的で、事実に即した情報に属する報告や意見を差しとめることを指示されてはならない」(第1条3)

2.理由開示請求権
  放送を予定された番組が中止されたり、その内容や意味の点で、関係者にとって重大だと思われるように改変された場合には、責任者はそのことを当の番組スタッフに対して、また、申し出のあるときには、編集者代表会に対して(中略)原則として中止や改変の前に、また、希望があれば文書で(中略)その理由を説明しなければならない」(第6条4)

3.情報収集権
  「番組や番組スタッフの編集上の業務に重大な影響を及ぼす基本的な構造上及び組織上措置がとられる場合には、編集社代表会には、番組局長からしかるべき時期に、それについての包括的な情報が提供されなくてはならないし、編集者代表会には、意見表明の機会が与えられなくてはならない」(第8条1)

4.聴聞権
  「編集者代表会は、番組局の管理職員の任用基準に関する話し合いに西部ドイツ放送協会の参加規定に基づいて、独自の職業グループとして参加できる」(第8条1)

5.公表権
  編集者代表会は、編集者綱領の枠内で、重要な意味を持つ問題についての決議と意見表明を、西部ドイツ放送協会の広報室を通じて公表することができる(第8条3)


以上、石川明さんの講演のレジュメに基づく説明です。

ドイツでは、放送だけでなく新聞も同様の規定があるそうです。ここまでの規定がある国とない国で、権力監視機能に大きな違いが出てくるのは間違いないでしょう。

市民だけでなく、記者・ディレクターら現場スタッフの中にも、こんな画期的な制度が現に運用されている国があることを知らない人は多いと思う。現に私も新聞記者時代には、全く、知らなかった。

この事実を市民だけでなく、報道陣自ら、仲間たちに伝え、実現に向けて少しでも努力してほしい。で、民主党は、放送法改正にあたって、この点も考慮に入れてほしい!










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民主党がすでに、放送行政を担当する独立行政委員会の設置法案を提出済み~LSを守るために!

2007-08-03 03:01:20 | メディア(知るための手段のあり方)
 
 
 放送行政が総務省に握られているから放送局が政府の言いなりになってきたことはこれまで何度も述べてきた。現在、日弁連では、放送法の改正に向けた意見書を検討している。その過程で、民主党議員から、民主党が提出していた独立委員会設置法案の全文(←クリック)を紹介していただいたので、ここでも取り上げたい。

 まずは、民主党がこの案を2004年に提案していることを強調したい。つまり、放送行政を独立行政委員会に委ねることは、政府与党さえ、その気になれば、いつでも可能だということだ。現在の総務省による直接行政が当たり前のように思われているが、簡単に欧米並の独立行政委員会型に持って行けるのだ。そういう意味で、民主党案の意義は非常に大きい。

 内容を確認してみよう。民主党の案は、戦後まもなく制定され、日本の独立後廃止された「電波監理委員会設置法(以下、「旧法」という)」(←クリック)を基にしているようだ。その構成は、実によく似ている。

 大きな違いは、民主党案は、放送と通信の融合を前提としているため、所掌事務に通信分野も入っていることだ(民主党案4条、旧法3条)。

 気になったのは、旧法では、政府からの独立を維持するために、①国会議員、②政党の役員(任命の日以前一年間においてこれに該当した者を含む)は委員長・委員になれないことが明文で決められていたが(旧法6条3項3号)、民主党案はそこが明記されていないことだ。

 ただし、民主党案には、11条2項で【委員長及び委員は、在任中、政党その他の政治的団体の役員となり、又は積極的に政治運動をしてはならない】と決められているので、実際には、旧法と同様、国会議員や政党役員は就任できないことになるのかもしれない。しかし、ここは、旧法の方が明確であり、政党役員については、一年前まで役員であったものの就任も拒否できるため、旧法の規定が望ましいように思える。

 ちなみに、同一政党に所属する者(国会議員ではなく党員)が過半数を越えることができない仕組みは、旧法と民主党案は同じだ。


 また、旧法は、12条で【内閣総理大臣は、委員長若しくは委員が身心の故障のため職務の執行ができないと認めるとき、又は委員長若しくは委員に職務上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行があると認めるときは、両議院の同意を得て、これを罷免することができる】としており、このような場合の罷免にも国会の同意を得ることとして一定の歯止めを設けていたが、民主党案は、国会の同意は不要という仕組みになっている(9条、10条)。ここも少し危惧されるところだ。内閣の横暴を防ぐためには、国会の同意を必要とするべきだろう。

 さらに、旧法は、委員の退職後の就職の制限が決められており、一年間は、関連企業に就職できないこととされていた(15条)、この点、民主党案は、規定がない。もっとも、天下り禁止法案で包括的に禁止されるのならば、それでもよいが…。

 こうしてみると、民主党案は、やや独立性の観点から、旧法よりは、弱いような感じがする。

 せっかく、新設するなら、もっと、独立性を高めた形にならないだろうか?独立性の低さは、日本の行政独立委員会全体の問題だとされている。

 何か、いい案はないでしょうか?教えて下さい。

 
 ※写真は、ここより。「電波の日」というのは、【昭和25年6月1日に電波三法(電波法、 放送法、電波監理委員会設置法)が施行され、電波利用が広く国民に開放されたことを記念して定められました】らしい。その後、電波監理委員会を抹殺した歴史は、総務省には刻まれていないようだ…。







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-9の重圧-橋本勝の政治漫画再生計画第82回

2007-08-03 02:57:52 | 橋本勝の政治漫画再生計画
【橋本勝さんのコメント】
 戦後レジームからの脱却とかいっちゃって
 9条を変えることが
 わが使命と張り切ってみたものの
 参院選で大惨敗
 それでも続投宣言したのはいいけれど
 下がる、下がる、どんどん下がる支持率が
 とうとう一ケタ台の
 9%に落ち込んだり
 嗚呼、9という重荷背負って
 どこまで行くのか、わが首相
 のたれ死にだけはしないでね…

【ヤメ蚊】
 9条を掲げて平和的外交戦略を打ち出す方がよっぽど簡単なのにねぇ…。







★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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過労死の責任を労組に問う民事調停~御用組合打破へ!

2007-08-02 05:28:55 | そのほか情報流通(ほかにこんな問題が)
 朝日新聞によると、【会社の労働組合にも組合員の過労死を防げなかった責任があるはず――。そんな思いから、外食大手「すかいらーく」の元店長で、長時間労働により過労死した中島富雄さん(当時48)の妻晴香さん(51)と、晴香さんを支援する全国一般東京東部労組は31日、同社労組に対し、謝罪や過労死対策の説明などを求める民事調停を武蔵野簡易裁判所(東京都武蔵野市)に申し立てた。過労死した人の遺族が労組の責任を法的に問うのは異例】という。

 詳細は、レイバーネットに【「過労死の責任は労組にもある」~遺族が民事調停申し立て】などの記事で掲載されているが、上記朝日によると、【申立書では、富雄さんの過労死について、労組としての義務を十分尽くさなかったことへの謝罪▽過重労働を防ぐために行った措置の説明▽今後、労働環境の改善に努力することの確認――などを求めている。 富雄さんは04年8月、脳梗塞(こうそく)で亡くなった。当時は神奈川県などの複数店舗を担当する店長で、月平均残業時間は130時間に及んだ。05年3月、労災と認定された。晴香さんは、夫のために何をしてくれたのか、労組に何度も説明を求めたが「一般論ばかりで納得できなかった」】という

 勇気ある調停を起こした遺族の方を応援したい。もちろん、ケースバイケースなので、労働組合に責任を問うことが酷な場合もあるだろうが、いわゆる「御用組合」なるものの存在が当たり前のような風潮の中で、労働組合が労働組合としての役目を果たさない場合には責任をとらされることもあるという緊張感は必要だろう。

 現に相談に来られるケースでも、組合には相談したけど相手にされなかったということは少なくはない。

 労働組合の執行部などは、やっかいなことになったな…と思う方もいるだろうが、【労働組合の責任が重くなることで組合の存在意義が改めてはっきりし、組合のない会社は「従業員の生命を軽視する会社」というような見方が生まれるまでにしよう!】という前向きな方向で、この調停を捉えて日々活動して頂きたい。

 連帯こそ力!

 










★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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裁判員法を巡る疑問に弁護士会も見解発表~市民に分かりやすい説明を求めるべき!

2007-08-02 04:21:56 | 適正手続(裁判員・可視化など)
 
 
 
 裁判員法67条1項の解釈を巡って疑問があることを「裁判員法の条文が不明確なのは何故か?~システムへの無頓着さが悪用される恐れも…」(←クリック)で、少し前に報告しましたが、こういった疑問に対し、日本弁護士連合会がこのほど、上記のような見解を発表しました。

 本件は、67条1項には、「評議における裁判員の関与する判断は、(中略)構成裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数の意見による」とあり、これについて、【仮に裁判員六人が無罪で、裁判官三人が有罪の場合、条文をそのまま読むと、無罪が過半数でも裁判官の意見が含まれないので、無罪にも有罪にもならずに評議は成立しない。だれかが意見を変えるまで評議を続けることになる】という解釈がなりたつのではないかという問題だ。

 確かに、「双方の意見を含む」とある以上、そう読むことも出来る。

 しかし、裁判所は、【裁判官三人が有罪意見でも過半数ではないのだから、犯罪の証明がないとして無罪となる】との見解を発表し、弁護士会も上記のとおり、裁判所の解釈となることを確認したわけだ。

 無罪推定の原則から、有罪の評決がない以上、無罪となる、つまり、「裁判官と際場人の双方を含む合議体の過半数」が有罪としない限り、無罪となる…というのだ。

 そういう解釈となることは大いに歓迎すべきではあるが、ここでの問題は、そのことを明確に条文に書くか、もしくは、裁判員に対する説明の中できっちりと示してほしいということだ。

 裁判官3人がまとまって、有罪を主張していても、裁判員が5人以上、無罪を主張すれば、無罪になるということを!

 この辺りを曖昧にしてしまうと、裁判官のペースで議論が進むことになりかねない。

 弁護士会も、単に、裁判所の見解を流すだけでなく、このことを裁判員(候補者である市民)にきちんと伝えることの大切さにも触れてほしい。

 こういう安易な書き方だと、裁判員制度導入を機に、20日間もの勾留(その間の自白強要)、密室での取調(取調の録音・録画化、弁護士立会の不存在)、有罪証拠のみの開示(捜査側が無罪の証拠を握っていても出さなくてよい)という3大悪を抱えた日本の司法制度をなんとしても改正させるという意気込みが伝わってこない。

 頑張って制度改正を実現しましょう!


















★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
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地球の上に生きる~世界で何が起きているかを目撃しに行きましょう!

2007-08-02 03:48:26 | イベント情報(行かれた方はぜひご感想を)
 
 
「地球の上に生きる」と銘打った写真展が9月、横浜で開催される。一枚の写真が伝える力の大きさを実感してみたい。以下、主催者サイトからの転載。

【ジャーナリズム本来の「監視の目」としての役割をになうべく、大手メディアが報じない世界の現実を伝えてきました。世界では今も、戦争や紛争、人権侵害や自然破壊など、私たちの伝えなければいけない事実がたくさん起こっています。

  今年で3回目を迎えるDAYS JAPANの「地球の上に生きる」写真展と広河隆一写真展を中心に、横浜で「横浜国際フォトジャーナリズム・フェスティバル」を開催します。フランスのペルピニヤン国際フォトジャーナリズム・フェスティバルをモデルに、「単なる写真展ではなく、日本中からフォトジャーナリズムを目指す人々が集まるイベント」を目指し、展示以外にもさまざまな企画を予定しています。

  最前線のフォトジャーナリストたちが命をかけた写真を通して真実を訴え続ける、「横浜国際フォトジャーナリズム・フェスティバル」をどうぞよろしくお願いいたします。】











★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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選挙後の紙面からも、情報流通、選挙制度改革の必要性は明らか!~力の帝国への抵抗その2

2007-08-01 04:48:11 | メディア(知るための手段のあり方)
 
 
 
 「民主党大勝~ならば、必ず政権交代を…一方、私たちはthe Empire of Forceを克服しよう」(←クリック)というエントリーの中で、①リビング・スピーチを話す自由を得ること(システムとしての表現の自由の実現)、②リビング・スピーチを政治に反映させるシステムを実現すること(完全比例代表制の導入)の重要さを訴えたが、選挙翌々日の結果分析紙面で、その重要性を裏付ける記事が掲載されていたので紹介したい。

 1つは、朝日などが取り上げた片山虎之助氏が落選したことによって放送の自由が侵害されるのではないかという問題(上記①)と、毎日などが取り上げた今回の参院選のような投票が衆院選でもなされたら、民主350議席、自民89議席となり4:1もの大差がつくという選挙制度の問題だ(上記②)。

 ①について、上記朝日(←クリック)は、

【片山氏は「いろんな圧力のガス抜き役、防波堤」(NHK関係者)だった。NHKが9月に策定する経営計画に向けて値下げ論議が再燃しつつあるだけに、防波堤を失ったNHK幹部は「菅総務相と直接話し合うしかない」と不安げだ。
 民放では、番組捏造(ねつぞう)問題を機に菅総務相の主導で放送法改正案に放送局への新たな行政処分が盛り込まれた経緯がある。日本民間放送連盟は「番組への介入だ」と反発。片山氏が中心となって「自主規制が機能している間は発動しない」という留保条件をつけるように調停した。審議は秋以降に持ち越されており、片山氏抜きで「留保条件どころか、法案自体がより厳しい内容になって出し直しになるのでは」と危ぶむ民放幹部もいる】

とレポートしている。

 問題は明白だろう。放送行政を独立行政委員会(政府から独立した機関)に委ねていないために、政府与党による圧力をもろに受けているからこそ、このような問題が起きる。「人」の問題ではなく、「システム」の問題だ。

 日本独自のメディア規制システム(←クリック)を修正する必要性が非常に大きいことはこの記事からも明白だ。

 ただし、残念なのは、この記事が独立行政委員会が必要だという議論まで踏み込んでいないことだ。ポイントは、片山氏が落選したことではなく、世界でもまれな政府直轄放送行政というシステムなのに…。

 ②についての毎日の記事は、上記グラフから明白だ。衆院選だったら、4:1のトンでもない結果(自公が負けることはいいが、4:1だとそれはそれで、勝たせすぎだと思われるのではないか)になったということだ。

 なぜか、それは衆院選は小選挙区がほとんどだからだ。

 今回の参院選では、選挙区73:比例48だが、選挙区のうち、小選挙区(一人区)は29に過ぎない。つまり、小選挙区:非小選挙区=29:92なのだ。

 ところが、衆院選は、小選挙区300:非小選挙区180と圧倒的に小選挙区が多い。そのために、僅かの得票差でも大きく響くのだ。

 今回、自民党と民主党の得票率は、選挙区で31:40、比例区で28:39であった。

 民意としては、ちょうど得票率くらいだったのではないだろうか?つまり、完全比例区だったら、民意がそのまま議席数に反映されるが、小選挙区が中心だと、バンドワゴン効果(勝ち馬に乗る)が効き過ぎることになる。そうなると、逆にそれを見越したアンダードッグ効果(判官贔屓)も生じる…。

 こちとら、神じゃないんだから、そんな微妙なさじ加減はできっこない。

 やはり、分かりやすいシステム、民意が素直に反映されるシステム(←クリック)として完全比例代表制を導入するべきなのだ。

 上記朝日は、【NHK改革などで業界への厳しい姿勢を続けてきた竹中前総務相、菅総務相の路線に対抗するため、片山氏が頼みの調整役だったからだ。自民党内に「後継者」が見当たらず、業界内には「民主党にも働きかけよう」という声が出始めている】という。

 そう、別の人材を捜すというのではなく、システムを変える方向で民主党に働きかけようではありませんか。

 幸い民主党は、独立行政委員会を設けることを提案したことがある。再度、法案として提出して参院を通過させてほしい。

 そして、衆院を比例区とする法案も。

 民主党を本気にさせるには、社民に働きかけるのもよいかもしれない。共謀罪を止めたときのタッグプレーは見事だった。

 今が絶好のチャンスかも知れない。身近な民主党議員、社民党議員に政策提案をしませんか?

 なお、比例区こそが成熟した民主主義社会が選択すべき制度であることについては近々、エントリーを立てます。


 











★「憎しみはダークサイドへの道、苦しみと痛みへの道なのじゃ」(マスター・ヨーダ)
★「政策を決めるのはその国の指導者です。そして,国民は,つねにその指導者のいいなりになるように仕向けられます。方法は簡単です。一般的な国民に向かっては,われわれは攻撃されかかっているのだと伝え,戦意を煽ります。平和主義者に対しては,愛国心が欠けていると非難すればいいのです。このやりかたはどんな国でも有効です」(ヒトラーの側近ヘルマン・ゲーリング。ナチスドイツを裁いたニュルンベルグ裁判にて)
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