先日ご紹介した「あさになったので まどをあけますよ」の本です。
先日は「表紙」を出しましたので、今回は「裏表紙」を…。カラフルです。
もう一度、お知らせしておきましょう。こちらです。
あさになったのでまどをあけますよ | |
クリエーター情報なし | |
偕成社 |
「絵」としてみるならば、実は、好きな描き方ではないんです。
私は細密画みたいなものが好きなので、絵もリアルなものが好きですし、水彩タッチが好きなので…。
それでもこの絵はいいですねぇ。キモチがホッコリします。
物語というものはなく、いろいろなところに住む人たちがいろいろな窓をあけて、
自分の住む町の風景を眺めている…そして「だからここがすき」とあります。
大きな山のふもとの小さな町、海のそばにちまちまと並ぶ家々、大きな川の、海に近いところの町、
パリの街角みたいな大都会、トロピカルゥな花いっぱいの森の中の家、
さまざまな「その場所」が現れます。日本の国の中でもあるような、どこかの外国でもあるような…。
はっきり漢字が書いてあるのもあります「商店街」なんて…。
私は、元々が下町育ちではありますが、東京の下町とはちょっと違う…戦災で焼け野原になって、
家をなくした人たちのために、町からちょっと離れたところをどんどん宅地開発して立てた市営の住宅地。
だから駅前にはにぎやかな商店街があり、その周りに住宅地があり、さらに周辺は田んぼや畑、
雑木林に小さな牧場…という、思えば不可思議なところでした。
こまこまと建ち並んだ家々の間の細い道で、ゴムとびやケンケンパに興じ、
わーっと走っていってすぐのところの、原っぱや雑木林の中で虫取りをし、秋には母ときのこや栗をとりにいき…。
思えば贅沢なところだったのだなぁと、今は思います。
最近は旅番組、特に外国のものをよく見ますが、やはり心惹かれるのはアルプスのふもとの小さな町とか、
都会でも、角を曲がると大きな公園がある…つまり「緑」にあこがれるのですねぇ。
元々海の風景より山の風景のほうが好きでしたが(泳げないし~)、
この本でも、やっぱり山の風景に心惹かれました。でも大きな川沿いもいいなぁ。
ウォーター・フロントなんてオシャレな言い方をしますが、東京に住むなら隅田川沿いとか…。
あっ、でも災害がねぇ…ほらほら、なんと現実的で夢のないことを。
すめば都、というではありませんか。
今住んでいるところには、毎年緑がへっていくというさみしい現実があります。
それでも、介護を必要とするものと暮らす私には、便利というところでは申し分ありません。
時々だけど、珍しい鳥が気まぐれに飛んできてくれたり、
手入れの悪い鉢植えしかなくても、ひらひらとと大きな蝶々が…時にはとんぼも立ち寄ってくれます。
空を見上げれば、電線が五線譜のように並ぶし、二階から見えるのは、よそ様の家のやねばかりだけれど、
それでも空は青いし雲はちゃんと流れていくし…。いろんな屋根瓦の色は、パッチワークみたいでかわいいです。
よくみれば…いいところもたくさんある、なにより私はここでずっと暮らしてきたし、
これからもずっと暮らしていく…本の中の言葉と同じ「だからわたしはここがすき」、です。
今は毎朝、まだ「早朝」という時間帯でも、玄関をあけると「わ、もう暑いわ」です。
窓を開けると、もわーっとした空気で、入ってくる風は「あたたかーい風」…。
こんな夏の日々だけど、明日の朝、また窓を開けたら「だからやっぱり、ここがすき」と、
言ってみたいと思います。
私も画風としては、苦手なほうです。
ちょっとにごった感じが…。
でも、どこかしらに「あっ、見たことある風景」があって
なんかあちこちめくってみてしまいました。
実は、裏表紙とよく似たワンコが、我が家にも
いたことがあります。
どうなったかも覚えていないのですが…。
どこかしらに、なにかしら…懐かしい気がしました。
本屋に並んでいたら 手に取る事が無かった本だったろうなと
どちらかというと この手の画風は苦手
そして 窓を開けても 山も畑も田んぼも無い
それでいて 高いビルが立ち並んでいる訳でもないという所で育ったので
私の幼き頃の窓辺の風景が無い・・・ と思ったのですが
裏表紙の犬 いました。
最中の看板をいち早く見つけた私はどんだけ食いしん坊なんだ
たまには 自分の好みの物から外れてみるのも良いものですね。
ついたとき、あまりの暑さに、本もホカホカでしたよ。
楽しみです
おっしゃるとおり、自分の人生にも当てはまると思います。
あの日があるから今があって、今の居場所が好きで、
そして今の自分が好き、だったりします。
あさになったので…当たり前だけどシアワセな時間なのですよね。
女性は男性より、生まれた土地を離れる確率がたかいものですが、
どこへ行ってもやっていかれるのが女の底力…と、思っています。
すめば都、どこでもそこに自分の居場所があるなら、ここがすき、って言いたいですね。
いとこも京都の田舎で生まれ、今も実家の近くです。
ずっとそれですから、あたりまえのように、
野菜だの木の実だのの話が出ます。
うらやましいなぁとおもいます。
花摘の思い出があるなんて、すてきですねぇ。
毎日、朝になると開ける窓の景色は
かわらないようでも、
季節や眺めている自分の気持ちでも
景色はかわって見えるものです。
特段自分の意思で選んだ居場所で
なくても、そこが好きになったりもする。
きっとこれは窓から見える景色でなくても、
自分で歩んできた人生にも置き換えて
考えられることでもあるのでしょうか、
<あさになったので窓をあけますよ>
<だから私はここがすき>
深い言葉に思えます。
本の絵を眺めながら
自分で言葉をはめてみたくなりますね。
やっぱり…前々から思っていたことを再確認した
ここが…過去でも未来でもなく、今自分のいるこの場所が
好き。
良い言葉ですね。この言葉を口にすると、幸せな気分になれます。
美しい詩を読んだような気分になりました。
私も、だからやっぱりここが好き、です。
今も自然がいっぱいの所で暮らして
いますが、野山を駆け巡り、きのこや
笹ゆりを取りに行った思い出がある事を
今でも幸せに思います。