「きものばなし」ずいぶん間があいてしまいましてすみません。またボチボチ書いていきますので…。
写真はおなじみ「ダイロン」、簡単染めの便利アイテムです。
さて、昔のヒトは、どんな「染」をしていたのでしょうか。
「染」というのは、つまり色をつけてそれを定着させること、と「染めるということその1」でお話しいたしました。
媒染、という方法やその材料というものが使われるようになるまで、
ただ、布を色のついたものにこすりつけたり揉み込んだりしていたわけですが、
それだと洗うと落ちる、置いておけば色あせする、
そこで染料をしみこませ、定着させる方法、つまり「媒染」が、あれこれ考え出されたわけです。
媒染は化学変化ですが、昔は分子だの組成だの酸化や還元などという
学術的なことがわかっていたわけではありません。
長い時間をかけて「酢を入れるとこうだ」「灰汁(アク)につけるとこうなる」…そういうたくさんの経験の積み重ねから
「○○で染める時には△△をこうして、こう浸けるとこういう色になる」と、ひとつひとつ確立してきたんですね。
全体を染の液に浸けこんで染める…というような技術は仁徳帝のころ、といいますから
だいたい紀元400年くらいのころ、かの「秦氏」が、織りの技術とともに染も伝えた…といいます。
とりあえず「染色」は、技術が進み、植物を基にして染めるものが主として発達しました。
藍や茜、紫は「紫根」からとっていましたし、遺跡から紅花なども発見されていますから、
植物が山ほどあったわが国、それこそ何でも染めてみたんでしょうね。
また植物以外で、たいへん手間のかかったのが「貝紫」と呼ばれる色の染色。
元々フェニキァから始まった「貝紫」が有名で、のちに「皇帝の紫、ロイヤル・パープル」と呼ばれましたが、
何しろ手間と材料がかかります。日本、またメキシコでも同じように貝から紫の色素を取ったわけですが、
日本で使われた貝は調べましたら「イボニシ・アカニシ」という貝だそうです。どうやって色素を取り出すか…。
貝の中にある「パープル腺(紫の名前の由来にもなっています)」という器官を刺激すると、
乳白色の液体を出します。これだけ聞いても「ごく少量」と、わかりますね。
この「乳白色の液体」の中の成分が、太陽光の紫外線に反応して紫色に変わるのだそうです。
この液体を、たとえば一枚の着物を作るために染める分…となると、10個20個という単位ではありません。
一説には何万個…というハナシもあります。
当然「資源の枯渇」が起きないように、小さいものは戻すとか、一箇所で獲らないとか、
いろいろ知恵も絞らねばならなかったわけで、よけいに貴重になるわけですね。
日本では、当初「貴族の紫」は「紫根」、つまり「ムラサキ」という名前の植物の根っこを使っていた、と
推測されていましたが、近年あの「吉野ヶ里遺跡」で、貝紫で染めた布の切れ端が出たのだそうです。
貧しい海辺の民が、貴族のための貝紫を、せっせせっせととっていたのでしょうね。
貝紫は「褪せ」にくい、つまり紫外線で発色するわけですから、当然紫外線に強い染料です。
だからよけいにもてはやされたことでしょう。
これ以外に動物からとる色…というのはコチニールの「赤」が有名ですね。
コチニール虫、臙脂虫と呼ばれる虫、カイガラムシの仲間で、ごく小さいです。
色が取れるのはメスだけで、繁殖させて一気に集め、乾燥させてから水に浸けたりして色を抽出します。
繁殖の様子や、採取、抽出など、テレビて見ましたが、正直あまり気持ちのいい眺めではありません。
それでも自然界の色素としてもっとも安定しているといわれていまして、
虫からとる色素ですが、現在でも食品や化粧品にも多く使われています。
布を染めることにも使われましたが、これは原産地は南アメリカ、今でもペルー特産です。
日本には、ヨーロッパのものでウールを染めたものが南蛮船でやってきて…が最初。
信長や秀吉が好んで着た、「赤い陣羽織」は、このカイガラムシ系の赤で染めたもの。
元々「絵の具」としては、動物や鉱物から取る染料はいろいろあったわけですが、
布を染めるのは、やはり植物系が一番多く使われました。
草木染、つまり植物の場合は、その繊維の中に色素がありますから、煮出したり発酵させたりで、
いろいろな色が出るわけです。なにしろ何でも何かしらの色は出る…もので、今でもたまねぎの皮染めとか
花びら染めとか紅茶染めとか、いろんな染が使われています。
ただ、着物、ということになると、やはり美しい色、安定した色ということで、これも長い時間をかけて、
その地方地域や、気候風土によって、さまざまな「よい染料となる材料」がみつけ出されたわけです。
日本で使われるものといえばよく耳にするのは「紅花」「藍」「刈安」「紫草」「茜」など。
そして大事なのが媒染、これは元々染料は水に溶けるけれど、「色素」そのものは水溶性ではないことから
何かを使うことで、布の中にしっかり色素を入れ込んで定着させる働きをする…ということです。
実際には「ミクロの世界」のことで、化学反応という形で、これが行われているのですね。
このとき、同じ染料でも、使う触媒によって色が違ってきます。
とてもわかりやすいページを見つけました。こちらです。
鉄媒染、アルミ媒染、銅媒染、錫媒染…金属系が多いですが、ほかによくきくのは「ミョウバン」ですね。
着物好きの憧れ「大島の泥染め」は、まず「車輪梅(シャリンバイ)」、地元では「てぃーちぎ」と呼ばれていますが、
これをチップ状にして煮出し、これで糸を染めます。茶色ですが、染める回数や時間で濃淡ができます。
これを田んぼの土の中で、洗うようにして動かす・・・。この田んぼの泥が自然界の鉄分を豊富に含んでいることで、
「鉄媒染」になるわけです。一度ではなく、何度も工程をくりかえして、あの泥染めの茶や黒ができるわけです。
こんなふうに、まず「染めることのできる色素」を持つものがいろいろ見つけられ、
それを定着させる「媒染」という技術が確立し、更にほかの方法、発酵などが確立して、
いろいろな色の染物ができるようになった…というのが、染めることのおおまかな歴史ですが、
日本という国は、古くから身分制度が確立しており、裕福なのは一部の貴族や武士、
ほとんどが貧しい庶民…という時代が長く続きました。目の覚めるような美しい染物や織物は
あくまで富裕層のものであったとは思いますが、庶民もそれなりに、いろいろ楽しんでいたと思います。
その「染」について、大きく進歩したのは「木綿」というものが、一般的に出回ったことが、ひとつの要因です。
木綿はそれまでの麻や、その他の繊維で織ったものと比べて発色が大変よく、
また藍で染めることで布を丈夫にするなどのメリットがありましたから、
藍染がさかんに行われるようになったわけです。
元々の藍染は、藍の葉をそのまま使いましたが、やがて「発酵」という方法が考え出されました。
これは「藍」を刈り取ってきざみ、水をかけては混ぜてを繰り返し、最後に筵などをかけて発酵させるもの。
できあがったものを「すくも」といい、そのすくもに「灰汁(アク)」などを混ぜてしばらく寝かせますと、
あのジャパンブルーの藍色になります。
実は、あんなに濃い藍色なのに染めても藍に染まるわけではなく、最後に空気に触れることで藍色になるのだそうです。
柳田国男の「木綿以前の事」の中に、江戸時代の俳句で「紅をぼかしたウコン染め」という記述がでてきます。
紅ウコンというのは、ウコンの一種で、今の時代は染料よりも「漢方としての需要」が多いです。
オレンジっぽい色をしているウコンです。それで染めた木綿の着物、ということですね。
これが出てくるところに「嫁入りしたばかりの、女性の新しい普段着であろう」という文があります。
木綿着物といえば、つい藍染めや絣を思い浮かべますが、若い女性はそんな色も楽しんだのですね。
また「染の色」というのは「身分や職業」にも関連して使われました。
身分の高い人の場合は、官位や役職によってかわる、また禁色として、ほかのものは使ってはいけない、
という色もありました。僧職にあるものは、位によって袈裟や衣の色がかわったり、
修行するものは、墨染めの衣とか灰色の衣とか…。
染める技術が確立したからこそできた「区別」であったわけですね。
今はもう、染料は化学染料が主流で、自然界の材料を使ったものは、
わざわざ「草木染」とか「本藍染」とか「紅花染」 などの表記があります。ちょっと寂しいことですね。
おまけに今は染料で染めるのではなく、インクジェットなどという印刷まで出てきました。
それによって価格が安くなることは、普段着物を着たいと思うものには、ありがたいことなのに、
なぜかそんな印刷技術が「振袖」などに使われる…。
この辺が日本の着物界、呉服界のどっかズレてるところです。
染めるということ、ごくごく駆け足のお話しですが、日本人が研究熱心で、勤勉で、
美的感覚にすぐれていたからこそ、たくさんのすばらしい染料や染めのワザがうまれたということ、
着物を見たら思い出してください。
さて次回はいつのことやらです。お約束できなくてすみません。
*参考文献*
「木綿以前のこと」 柳田国男 岩波文庫
「染色の技法」 田中清香 理工学社
*参考HP*
「京都染料のやまそう」
訂正ありがとうございます。
ただ、臙脂虫はコチニールカイガラムシだと認識しております。
説明がごっちゃになっているところもありますしね。
ラックの方は正倉院に伝わっているとのことですので、
私は戦国時代の陣羽織なら、スペインが独占していた、
コチニールの方であろうと、想像してしまいました。
いずれにしても…ですけど「虫」の姿を思い浮かべると、
いくら安定しているとはいわれても、赤いかまぼこを食べるときは、ちとひきます!
金属による媒染の時期ですが、元々おおまかなお話しということで、
手順と言いますか、こんな感じで進んできたんだよということに重点を置きましたので、
時代的なことを書きませんでしたが、
独りよがりであったと反省しています。
着付け教室デビューなんですね!
何ヶ月かかかるのでしょうね。
がんばってください!
あ、ちなみに陣羽織の赤は、同じ虫系ですが、コチニールではなくラックだと思われます。
臙脂虫と言われる奴です。赤のトーンがちょいと違うんです。
コチニールはご存じ、ファンタグレープ色でして。
ハムなんかの着色にも天然色素として使われておりますね。
そして媒染ですが、銅や錫、クロムなどが使われはじめたのはそれほど昔ではなく、
昔から使われてきたのはアルミ(ミョウバン)と鉄のみになります。
大島紬の泥染は有名ですが、山形など鉄分を多く含む湧水で鉄媒染するところもありますよ。
天然染色は手間も時間もかかりますが、なくしてはいけない技術だと思います。
伝えて行きたい大切な文化ですよね!
そうそう、私事ですが、とうとう着付教室なるものに足を踏み入れてしまいました。
クラスは月末からですが、、、
ふしぎですよね。母が紅茶で染めたのに、
紅茶のまんまの色にはなりませんでしたし…。
おもいろいものですね。
なんか逆行していますね。礼装しか売れない、と
もうそこから広げては考えずに、じゃそれを安くしよう、と、
そこにいってしまって…。
悪循環ですね。
紫蘇なら赤紫に染まると思うのに違う色、
玉ねぎの皮なんてあまり色が出ないように思うけど・・・
媒染の種類で色が変わるのも不思議です。
印刷は洗える着物にすれば安価で着物を
普段着に着る人が増えるのかも・・・
個人的には礼装用の着物には昔の技術を
使ってほしいですね。
コメントありがとうございます。
遠くからのアクセス、嬉しいことです。
張り板も伸子張りも、とんと見なくなりました。
玄関先でやっていると珍しがられます。
母の時代で、着物離れが始まりましたから、
幸いにも母が着物好きで、私にうるさくあれこれと
いってくれたことが幸いしました。
特別専門に学んだわけではありませんので、
今となっては「おばぁちゃんの知恵」の部類に
入ることばかりですが、何かお役に立つことがあったら嬉しいです。
呉服界も、なんで悪いほうへと流れるのかと、
毎度ゴマメの歯軋りをしております。
いつから日本人は「お金」ばかりを
追いかけるようになったんでしょう。
少しでも、昔の着物暮らしのいいところを
伝えていけたらと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
戦後生まれの私の世代から下、みんな私みたいに何にも知らない者ばかりかと思ってましたのでとんぼさんの博識に脱帽です。とんぼさん、私より3歳くらい年下かな。賢い人はちゃんといたんだ。うれしいです。
母は大変な着物好きだったのに、私ときたらトホホです。でもだいたい私が子供のころはわが家だけでなくどこの家でも板に洗い張りくらいはしてましたけどね。張りつけた布の糊と水分が均等になるように、へらみたいなものを使って上からスーッと布をなぞって下ろしてましたっけ。
着物に興味を持ったきっかけは、最近エンタメ時代小説読むようになりまして、登場人物の性格描写にも使われているらしい着物の名前が私にはわからない。で、まずアマゾンで着物の本をわんさか取り寄せたり〔円も高いのでだいぶお金使いました〕ネット検索したり。ついでに、今の着物業界が黒いうわさが絶えないことまで知っちゃいましたけどね。
というわけで、2,3ヶ月で着物の種類や生地の種類など大雑把なことはわかりました。ネット時代はありがたいですね。とんぼさんのサイトは、「家で伸子張りまでしている人」として2,3の本に紹介されてて知りました。私の場合、実物を見ないで本とネットだけの机上の知識なので、とんぼさんの写真つきの個別の生地などの説明、楽しいし勉強になります。着物談義は聞いてて飽きないです。