これは2年ほど前にみつけた古い着物、と言っても戦後のものと思いますが、
東雲ちりめんのようです。それほど着倒した様子はないのですが、
衿や胸元の汚れがひどく、ちょっと落ちません。着物としては着られません。
地色が白っぽいですが実際にはもっと濃くて薄茶、ミルクティーの色です。
で、なんでこれで「お勉強」かと申しますと、実はこの着物の柄、
養蚕農家の様子、といいますか「蚕の一生」みたいな図柄なのです。
今日は写真が一杯です!これでも全部の柄ではないのです。
がんばっていってみましょう。
先ず最初は、蚕を育てるには大事なもの「桑」の採集の図。
桑というのは、以前にも書きましたがやせた土地でも育つものの、
よい葉を取り続けるには、若木も育て続けなければなりません。
それだけでもたいへんだったことでしょう。だから「桑畑」なんですね。
その下は「桑の葉の選別」、蚕ではなく「お蚕さま」に食べていただく、
大切な桑、良い糸をたくさん吐いてくれるように葉もしっかり選んだのでしょう。
次はいきなり「蚕の選別」ですが、ちょっと飛ばしてということで・・。
着ているものが、華やかなのは、まぁ図柄として美しいようにでしょう。
それにしても、男の人の姿がありません。実は全部の柄を見ましたが、
男性は一人しかでてきません。あとは全部女性です。
養蚕というのは「女のひと」が中心の作業だったのでしょうね。
いよいよ糸取り、「索緒」ですね。かまどに火が勢いよく燃え上がっています。
右の女性は、糸を続けて巻き取るために繭を足そうとしています。
左の女性は、糸をどんどん巻き取っています。
こちらの図、これはたぶん「くず繭」の処理をしているところだと思います。
ふとんとか、真綿のところで書きましたが、くず繭は糸をひきださず、
湯の中で割って広げ、それを重ねて乾かします。それが真綿。
これは柄ですから、かなり誇張して描いていますが、女の人が、
広げたものを杭のようなものにかけてひろげているところだと思います。
やることが早いですねぇ?!というのはジョーク、当然他にも作業がありますが、
そのあたりは省略して、とりあえず生糸が「機」にかけられました。
がんばって織っております。こんな風にして美しく織られた布を、
彼女たち自身は決して身に付けることはなかったのでしょうね。
で、とうとうここまできました。唯一の男性はどうやら「呉服屋さん」、
最初、母親が娘のために「反物」を見ているのかと思ったら、
左の女性、どうも手に持っているのが「きせる」で、
右手は「きざみたばこ」を取ろうと、煙草入れに手を突っ込んでいるらしい・・。
ありゃりゃ・・、その女性の前においてあるものが、よくわからないのです。
「こんな染め柄もございます」の、いわばパンフかな?
男性の膝上の包みには「ちりめん」と描いてあります。
決してうまい絵ではないのですが、このほかにも絵があって
続けて見ていくと、昔の養蚕農家の仕事ぶりがよくわかります。
着物として、よくまぁこんな柄を考えたものだと感心します。
ところで、最後の一枚、これはちょっとカンゲキ?!
子供が母親と、なにやら飛んでいくものを見送っているようす。
最初は雀かと思ったのですが、よく見ると「蛾」です。
つまり蚕から無事成長して、蛾として飛び立っていくのを見送っているのですね。
以前、コメントでご質問がありましてお答えしましたが、
蚕は蛾になっても繭を割ってでるのではなく、自分で溶剤を出して、
接着剤である「セリシン」を内側から溶かしてでてきます。
ですから、お湯で煮なくても糸は取れるのですが、それでも割れないという
保証はありませんし、なにより繭の均等な厚みが損なわれたりもするわけで、
それで「蛾」になる前、繭が一番安定したところで糸を取るのですね。
そのために何千匹という「蚕」が昇天するわけです。
たくさんの命を頂くわけですから「お蚕さま」であるわけで、
蚕魂碑なども作ったりして、感謝の気持ちを忘れなかったということですね。
もしかしたら何匹かはこうして本当に成長を見守り、逃がしたのかもしれません。
親が子供にそういうことを教えながら、見送ったのかも・・。
ちょっとホッとする図です。
というわけで、この着物、着られませんが大事にしようと思います。
東雲縮緬、しぼがあらくて縮みやすいと思ってますが、大丈夫でした?
こんな遅い時間にようこそ!さて閉めようかなと思ったらメールいただきました。ありがとうございます。
汚れている割には、あまり水を通っていないように思います。着物のままとっておこうかとも思ったのですが、縫いこまれているところにもいい柄がはいっているので、解いて布で取っておこうと思います。洗って伸子で張りますので巾出しはできますが、かなり細かく伸子を刺さないと横がデコボコになるでしょうね。明日はお天気もいいとのことで、がんばりますー。
子供の時分に母を手伝いました。伸子はりなさるってことは、板張りもなさる?
伸子はりした反物、なみなみになって、縫い代三分なんていわれてもちっともできなかったこと思い出します。
板張りと違ってなかなか難しいと思いますが、とんぼさんご器用なんですね。
糊は何を使われるんでしょう?
板張りも致しますが、母が見ているとにらまれます。母にはかないません。伸子張りも「なみなみ」にどうしてもなりますよね。糊は使うときは「ふのり」ですが、私の場合はほとんど「和小物」に作りかえるための洗いなので糊付けはせず、そのまま乾かします。
あとで自分のシャツでも作るか・・というときは糊付けしますが均一にってのは、やはり数こなしていない身ではむずかしく、人には「みせられません」。もっぱら母のくれた「ハケ」のせいにしております。全ての道具は、母が残しておいてくれたものと、あとはネットオークションで探しました。
よろしくお願い致します。m(_ _)m
なんだか、初めてとは思えない感じでして、もしや、以前に、ご挨拶しておりましたら、それこそ恥ずかしい事になりますから(笑)ざっと、前を見てみましたが、それらしき様子はないようですので(これで、万一ありましたなら何処の穴に入れば良いのか?笑)よろしくお願い致します。
今回の蚕の記事につきましては、大変興味深く、それでいてコメントしたい事が多々あります為に、我慢できずに登場致しました!(笑)話が長くなりますので、今回はご挨拶だけに留めておきますが、とんぼ様の記事は以前から拝見させていただいておりますが、とても勉強になります。
あなたは、ただ知識を身につけておられるというだけでなく、実践派として実際に行動なされているのが我々を納得させる底力となっていると思います。伸子張りひとつとりましても、私も幼少の折、母が庭先でしているのを眺めていた記憶はありますが、手伝った訳ではないので、実際にはできません。今思えば、少しでも手伝っておけば良かったと後悔しております。
以後、お見知りおき頂きますよう、よろしくお願い致します!
こちらでは、はじめまして、ようこそ!こちらこそ、よろしくお願い致します。
千兵衛様のHP以前からお伺いしておりました。「垣間見」をさせていただいていたわけで・・。JJ姫様のところでは、なにやら「漫才」になってはいけないと、抑えておさえてぇ~おりまして。(あれで?)今後ともよろしくお願い致します。(コメント、こわいなぁ~~、いじめないでくだしゃい!)
養蚕農家をしている級友から20匹ほどの蚕の幼虫を貰いまして、桑の葉も毎日畑に貰いに行き、育てた事があったのです。幼虫は何度かの脱皮を繰り返しながら大きくなりまして、ある時、大きくなった幼虫は繭(まゆ)を作り、さなぎになり、成虫として出てきました。要するに蛾(が)ですが、その姿形は真っ白なズングリとした形で、胴体の太さに比べ羽が異様に小さいのです。ですから、羽を目に見えない位の速さで羽ばたいているのですが、空中に浮く事もできず、ただ羽ばたきながら左右に動き回っている感じでして、そのうち30㎝四方位の飼育箱の中で蛾達は次々と交尾し始めたのです。
雄と雌が後ろ向きに連結してます。普通の昆虫や動物の交尾の体位と違いまして「雄が西向きゃ、雌東」という感じで、正反対の方向を向きながら尻尾の先だけがくっついてるのです。小学生の私は、その部分がどうなってるのか知りたくて(向学心です!)雌雄両方の胴体を持って引っ張ってみたのです。ボヨヨーン、ボヨヨーンっと、アコーディオンを奏でるように両方の胴体が伸びたり縮んだりしますが、交接部分ははずれません。これ以上引っ張ったら体が壊れてしまうほど引っ張ったのですが、はずれませんでした。見た事はありませんが、宇宙船のドッキングという感じです。(笑)
それからしばらくして雌は箱の中一面に卵を産みつけ、記憶では、その後、すぐに雌雄とも簡単に死んでしまったと思いました。これが蚕の一生です。
という訳でして、私の記憶では桑の木は葉を採取しやすくする為に普通は高さも背丈位ですし、蚕は飛ばないはずですが、ま、そんな事はありましても、この着物は楽しい着物でありますよね。(^_^)v
まず結論から申しますと、すみません、すっかり忘れこけておりました。実は現在の「カイコ」は飼いならされたもの、つまり長年かかって品種改良され、飛ぶことができない種になってってしまっています。但しそれは「家蚕」といわれるもので「テンサン」を代表とする「野蚕」は、羽も大きいミゴトな蛾になります。家蚕は人に育てられないと育ちません。家蚕で成虫まで育てたものは種繭といわれ、千兵衛様が目をこらしてご覧になったとおり、産まれてまもなくから交尾を始めます。フェロモンで相手をみつけるのだそうです。こうして生まれた卵は、昔は和紙に貼り付けて「シート売り」されました。今はエックス線などを使って染色体を操作し、さまざまな蚕をつくりだしているのだそうですが、なんか怖いハナシのような・・。
桑ですが、桑は葉をとるために若木を枝ごと切って使うので「伸びない」んですね。桑畑というと、切られたところがボコボコにもりあがったいわゆる「株」になった桑がズラリとならんでいますね。上の文で「だから桑畑」と書いたのは「それだけ大切なものだから、山に自生しているものをさがすのではなく、畑として作ってめんどうを見た」という意味です。実際の桑は赤い実のなる普通の木ですね。ちなみにテンサンは桑ではなくクヌギやナラの葉で育ちます。
ご指摘を受けて改めてこの着物を見ますと、絵としての効果なのか、それともまだまだ技術が稚拙なころのことを描いたのか、それとも描いてるひとが知らなかったのか・・ははは、最後だったりして。
また何か見つけられましたらご指摘下さい。私もまた勉強させていただきますので。
「シート売り」されていた等と、もしや、見た目は若くとも、実は100歳を超えていたりして、、、(笑)
新たな疑惑と共に、恐れ入りました!(笑)
おやつのない子供にとって、桑の実の、ラズベリーのような赤い実は、貴重な食料でした。
江戸時代が10代で、ご維新のときは・・って吸血鬼じゃないんですから・・。卵は和紙に貼られて売られていたようですよ。
桑の実は見た目もおいしそうですね。実家では毎年、やまほど「あけび」がなりますが、どーもねぇ・・。お菓子のない時代は、あのほんのりした甘さが貴重だったんでしょうね。友人が毎年「味噌煮」にするのにもらってくれるのですが、あとはもうお嫁入りがタイヘンです。絵を描く人には喜ばれますが・・。