三越の歴史については細かいのでここでは省略いたしますが、
今、江戸東京博物館で「近代百貨店の誕生 三越呉服店」という展示をしています。
友人が行ってきましたよとアップしてくださったので、いろいろ写真など見せていただきました。
15日、今度の日曜日まで開催しています。私は…行かれませーん…(ーー;)
とりあえず、その三越展で過去のポスターや冊子など、見られるそうなのですが、
私の手持ちの「古本」の中に、その「冊子」があります。
展示場では、当然ガラス張りの中での公開でしょうから、
きらーくに見られる私の手持ちのボロボロ本をお見せいたします。
私の手持ちの「三越関係冊子」、もう5~6年前の入手だと思うのですが、
ヤ○オクで、さしたる値もつかずで落札。まぁこんなものは興味のある人、少ないでしょうから。
ボロボロ状態で、初期のもの、大阪三越のものなど合わせて10冊ほどあります。
気を付けてみないとページがどんどん外れるし、手は薄汚れるし…のシロモノですが、私にとっては「お宝」。
で、トップにのせたのが「時好」というタイトルの冊子。
お客様向きの冊子で、いわば「通販カタログ」です。「時好」とは「一般的に好まれるもの」、
平たく言えば「今の流行」みたいな言葉ですね。
郵便制度が確立して、郵便振替と言うものができるようになったための「通販」開始ですね。
こちら、別本の「後ろについてる振替用紙」、これに書きこんでお金を送ったわけです。
この「時好」は、明治の終わりに「みつこしタイムス」と名前をかえました。
こちらは「みつこしタイムス」になってすぐと思われる「臨時増刊号」、
明治44年9月のものです。
この最初のページには製品の生地見本が貼り付けてあります。「ホンモノの生地」です。
手間かかってますね。どれくらいの部数だったかはわかりませんが…。
次のページには「通販はこんな風にやってます。顔を合わせないお買い物でも心配ないですよー」のアピール?
細かい四角の戸棚は「御註文のお手紙入れ」
店員さんも着物が多く、なによりこのころはひたすら「人海戦術」だったのですね。
このカタログになると、呉服だけでなく様々なものが販売されています。
こんなのも…女性用は右上の編上げのみ。ハイカラさんはこれに袴…だったのでしょうねぇ。
このほか、懐中時計、簪、化粧品、洋服、洋装肌着など、扱う商品は多岐にわたります。
このころからこんなだったなんて、ちょっと驚きですね。
ちょっと戻って、トップ写真の「時好」、もう一度出します。
大阪支店の開店の広告がありますので、明治40年かと思います。
これの裏表紙がこちら。読み辛いですぅ。最後のとこなんか全部漢字。時代を感じます。
この号は季節先取り(当たり前ですが)で、浴衣の販売生地ばかり。
例えばこんなのばかりが並んでいて、さかんに「中型がはやっている」とあります。
中型と言うのは「柄の大きさ」で、こまかーい小紋と、大きな花がポンポン飛んでるような大型との間、の意味。
浴衣で細かい柄と言うと、昔おじいさんやおばあさんが来ていたような藍染め(紺白)の浴衣。
細かい柄は、どうしてもジミ目になります。また大きな朝顔や蝶が飛んでいたりすると、これはもう若向き。
なのでその真ん中あたりの小さからず大きからずのものは、色や柄の種類を選べば、
幅広い年代に受け入れられて使いやすい…と言ってるわけですね。
更にこのころからすでに「染めの技術」「染料」が日々精進…でよくなってきていましたから、
「色があせない」「色落ちしない」と、自画自賛しております。
そして、笑っちゃいけないけれど…の記事がこちら。上半分だけですが…
タオル浴衣…要はバス・ローブですがな。
ローブそのものは「ワンピース型の外套」のことですが、これはしっかり「バス・ローブ」と書いてあります。
なんたって「土耳台湯(とるこゆ)」に用いる…云々。
「トルコ湯」、私たちの若いころの風俗関係「トルコ風呂」ではありませんですよ。
いやぁこれ、詳細は私にもわかりません。サウナかなぁとも思ったのですが、
実際のトルコの公衆浴場では、半身浴とか岩盤浴、プラスあかすりの専門職がいる…サウナともちょっと違うのですよね。
いったいどんなお風呂だったのか…これが必要…なんとも不思議なお話ですが、これ写真つき。
サザナミローブという名前がついています。なんか文豪風の紳士…がベビー服を着ているよーな…
売れたんですかねぇ…コレ…。
ちなみに、上の文のなかで「六ケ敷い」と言う言葉が何度も出てきます。これ「難しい」のことです。
ちょっと年取った人が「こんなのム『ツ』カシイ」って言うのきいたことありませんか?
これは明治にはよく使われた書き方らしいです。
またちょっと戻って「中型」のところの説明ページの最初のところ…
一部を拡大します。
上流社会、普通人士…「人士」とは、一応教養ある人とか地位のある人と言った意味がありますが、
ほんとは「庶民は」とか「そのへんのおばさんおねぇさんは」って、そんな感じですよね。
「令夫人」なんて言葉も出てきます。
本当は上流では夏も絹(絽とか紗とか夏紬とか帷子とか)で、木綿の浴衣なんて庶民の夏着だけど、
今は夏の着物では差がなくなってきているから、令夫人も浴衣に黒繻子の帯など締めて、
当時や旅行に出かけるようになってきている…夏に黒繻子の袷帯かい…。
なんだか気を遣ったように見えて、実はまだまだ「階級」が残っているということがわかります。
今こんなこと書いたら「別にぃあたしなんかセレブじゃないしぃ。いいわよ、ユニ○ロもイオ○もあるしぃ」ですね。
カタログの中には、庶民向けの銘仙などもたくさん出てきます。
銘仙は、高い絹が買えない「階級」の人が気楽に変える絹物として、一世を風靡したものです。
元々「掛売なし」「対面販売」、そういう「デパート商法」を広めようというコンセプトで始まった
日本初の百貨店ですから、結果的に段階を踏んで「庶民でも買いやすい」にしていったのだと思います。
社会の変化というものは、こんなところでもおもしろいものです。
かつて「今日は帝劇 明日は三越」の、歴史に残るキャッチコピーを出した三越ですが、
今のキャッチ・コピーは「飾る日も 飾らない日も 三越で」。
むしろ今の方が、「普通人士」の呼び込みを一生懸命している感がありますねぇ。
というわけで…ほんとはポスターのお話なども書きたかったのですが、長くなりましたので(いつものことじゃん)
このへんで…あ、ひとつだけ…高島屋もデパートとして開業したわけで、
当時のポスターは高島屋も三越も、たいへん美しいものを遺しています。
今のようにテレビやパソコンなどの媒体がありませんでしたから、もっとも大切な宣伝手段だったのですね。
京都高島屋は、その絵に有名な日本画家を起用しました。
例えば北野恒富など、一方三越は「新人とか新進気鋭と言われる人」を起用しました。
最初のポスターは橋口五葉、このポスターで人に知られるようになったわけです。
また途中からポスターや「みつこしタイムス」の表紙を飾ったレトロモダンなイラストは杉浦非水。
この人は日本で「グラフィック・デザイナー」という横文字の仕事を本格的なものにした人です。
そんなことでも、明治大正という時代は、なんだかわくわくするものが、たくさんあったように思います。
あと二日しかありませんが、行かれる方、ぜひ江戸東京博物館へ…、あ、別に館の回し者ではアリマセン…。
ありますが、このような冊子が有ることも通販
されていた事も初めて知りました。
浴衣のお話も興味が尽きません。近かったらぜひ行きたいものですねえ。
私もこんなに古くから…と驚きました。
昔は行商とか、何かの修繕とか、
いろいろな人が来ていました。
便利になった分、そういうお付き合いが減りましたね。
さすがトーキョー…ですねぇ。
たくさんの人が、専門で対応していて、
すごいものです。
江戸東京博物館は、常設展示だけでも面白いです。
何度も行きたいなぁというところの一つですよ。