静かな生活  微睡の 私記

 
さりげなく 簡素に生きたい。傍らに コーヒーがあって
とっておきの本たちがあれば それだけでいい
 

懐かしい場所に再び帰って・・・

2017-11-16 11:24:30 | ブログ


  やっぱり こここそ 私の居場所だと、つくづく実感します。

 遠くへ出かけて かれこれ3年ぶりの帰宅です。 遠くでいったい 

 なにをしていたの? ただぐずぐず その日暮らしかも…


  いろいろなことが有りました。お里の丘に

 実家のお墓が出来ました。両親は他界して、もう故郷は

 遠く遠く なりました。

  歳を重ねて 長年親しんだ 陶芸も ピアノも

 カーライセンスまでも すっかり 手放しました。

  ああブログ…残るのは パソコン だけ。


  ・・記憶力の退化…・この3,4年間…

  パスワードが どうしても覚えられなくて すっかり覚束なくて…

   
   先ほど、ふとしたことで パスワードも ブログのアイディーも

    蘇った! 嬉しいっ… きっと あの所為かも…

   アンチエイジングの手助けにもなろうか…と、

   この夏 Excel2013初級用のテキストを本屋さんで求めて、

  ひとりでこつこつ 算数のお勉強開始。その結果かもしれない…

   引き算は今もって苦手だけれど…
 
   人付き合いが 少しだけ 苦手でなくなったし、口癖の’どうせ’

  という言葉も どこかへ消え去った。


   毎日は 愉しく 明るくなりました。知人に逢うことも

  もう苦にならなくなったし、 毎日を気楽に過ごせ そう…

 
   老年の、最晩年の時 を過ごす楽しみも 夢みるこの頃です。



   ブログを 日記代わりに 記述し、続けたいな‥‥

  


 

詩人 吉行理恵さんと ローズマリー

2014-12-14 23:29:26 | 読書

ときどき 素敵な言葉に 出会います

2014-12-07 10:10:16 | 読書



〝なつかしい時間" それは、啓蒙している詩人 長田弘さんの ことばです。

「〝ひらがな"で表わすから、〈なつかしい、今〉を いうときの

すてきな言葉」なのです。

わたしは 老人の 変わり映えのない 日々の生活を、日常のなかの

大事な流れとして、楽しく 過ごすことを 習慣化するために、詩人推奨の

"なつかしい時間" を 努めて心に描きます。

すると、どうでしょう! 〝ああ、めんどくさい。ま、明日にしよう…"は、

夜になって、寝る時になって、取り返しのつかない、無駄な日だった…

と、悔やむことも、以前より少なくなった。


楽しくなるための、心のもちよう、って、とても大切だなと、思う。

飲んで百歩、断って百歩、つまり、人生って、そんなもの。

潔くあきらめる、心の切り替えも大切だな、とこの頃つくづく思う。


ただ今

免疫療法、と自称する 発酵食品摂取に 当にカブレている。

自家発酵のカスピ海ヨーグルト、でしょ。自家仕込み塩麴タレでしょ。

お砂糖不使用の甘酒 でしょ。ぬかみそ漬けは 当然。しかし、です。

納豆だけは なんとも受け付けません。あのニオイと、

絡みつくような 長~いベトベトには 手をやきます。

ブログの更新を順調に行える目鼻のついた頃、以前の様に

イギリスパンも焼きたい。コーヒーケーキも、と、意欲的です。

体力改善療法、と称して、気が付いた時、いつでもスクワット20回。

腹式呼吸。それと、ときどき 太陽を浴びる、などなど。すべて習慣化。

お医者さまに頂く 背骨の痛み止め薬断ちも、かれこれひと月経過です。

甘え抜きで、病状悪化などなし。つまり自称治験、当分続けていよう。

一つだけ、〝なつかしい時間"の、不実行なこと。流しの食器類の片づけ。

哀しいかな、まったく半端で、やりきれない。

明日のために、明日、でなく、ブログの更新を済ませたらする…スマナイ。



老人の 日常生活の〝習慣化" は、どれだけ長生きすれば達成するもの

やら。継続は力な る前に なんと骨の折れるもの で あることよ。



おお〝なつかしい時間" の、テーマでした。やさしく、やさしく…なろう。






変わり続ける街 変わらぬ街路

2014-11-28 18:29:12 | 四季








悲しいほど変わる街並み。ほんの数日の間に 通いなれた 郊外の

 コンビニエンスストアのお店の姿は消えて、空き地になっている。

もう、地元の農家のトマトは買えない。大好きな バターフィンガーも…

  これから、どこへ行ったら いいのでしょう。


 お散歩の楽しみもなくなって、ただ、ぼーっと、のろのろ

 曇りの空を、日傘を杖代わりに、残りの2千歩ばかりを

 裏町沿いに 我が苫屋 に帰るだけ。ポケットの中で、チャラチャラと、

 主を失った小銭は 手持無沙汰に 遊びます。


  中年の男性と女性たちが、停車場で 乗り合いバスを待っています。

 いつものお顔馴染みでしょう、大声で会話を交わしています。

  街路を隔てて こちら側の歩道を わたしは そっと歩きます。

   いいえ、俯いてだけではありません。

  この季節、そよ風に乗って 枯葉は はらはらと 散るのです。

  きれいな 見事な絨毯を ほら、このように 敷いてくれました。

  その中の、きれいに色づいて、みごとなシミを付けた葉たちを

  選よって 持ち帰りました。

 
  我が家の 狭い広間に 並べて、レモングラス・ティーを


  添えたくなりました。


 二枚目のお写真の 秋の終わりの 悲しそうなレモングラスも


  もう 老株です。あと何杯 ハーブティーにお付き合いできるのか。

  
   残り少ない葉を数えたら、10本ばかりです。今年は もう


   数杯分で おしまいでしょう。



    今朝の お散歩は 少しだけ しんみりと、滞りなく済ませました。





 


東京の人の 心のふるさと 隅田川

2014-11-27 12:02:28 | 読書




【墨田の花火 という名の アジサイ。数年前の 五月の頃、

通りすがりのお花屋さんで 鉢植えを買った。以来 ずっと元気です。】



小雨の続いた 火曜日と水曜日に 木下杢太郎氏の随筆"市街を散歩する人の心持" を、

声を出して、自分だけのために 読んだ。氏は、詩人なだけに、文章はひきつけます。

幻想の中を、ただゆっくりと、作者と一緒に 二時間も、 銀座裏の路地、 日本橋、

清州通り、深川、 隅田川に架かる いくつもの橋を渡り、品川辺りを散歩した。

読み進むうちに、界隈の地名に導かれて、長唄、三味の音の聴こえる 哀れな

当時の 生活の姿など、明治末期の頃の、薫りも漂います。

ふと、気づくと、永井荷風様の姿も、影のように歩きます。

滝廉太郎さん… どれほどか 隅田川を愛していたことでしょう。

"春のうららの、隅田川…" 口ずさんでいる わたしです。



平成元年の一年間、義母の入院していた 浅草の さる整形外科病院を、

週に一度 ほど、ここ多摩の地から見舞い、足を延ばして 浅草界隈の

金物店で 包丁など、台所器具を買ったり、半七十手捕り物、藤村の

"夜明け前"を 連想しながら、仏壇店通りを 歩いたものです。



いつの日か わたしは、 隅田川の川下りを、 もう一度、

命を長らえる糧にして、そこに望みを託したい。