ダージリンティーを淹れながら、カップを選びます。
ただ今は午后だから、アフタヌーンティー・・・
お紅茶といえば、テレビ番組の相棒の、右京さんの仕草。
なんとも美味しそうで、ついつい好い時空を作りたくなる。
今日のテーマに入ります。
昔々、趣味の陶芸にうつつを抜かしていたころの、
ある休日、近くの図書館で、お紅茶cupの 参考作品を眺めて
いました。 …嗚呼、このカップは すてきだわ…とある作品に出合いました。
練り上げて、焼き上げた作品を、つたないながら、
今もって愛着を込めて使い続けています…。
ところで、件の逸話…手に取って読んだ お紅茶のエッセイ…
かなり有名な そのエッセイストの 御本のタイトルは…≪紅茶を受皿で≫・・・
なんともおしゃれで、優雅で…それで、ついマネをして…私もその失敗を真似して…
お紅茶を、更には 今なら コーヒーなど、今朝の様に、お湯を注ぎすぎて、
受け皿に零しながら、当時そのままに 週出しています。
ああ、胸を射します。 思い出したのは、かの優雅な 受け皿で啜る行為を
小意地悪で、批判がましく誹謗したのは、それも当時すでに名のある文筆界の人物
登場でした。受け皿から、直接飲んではいけない…なんやらかんやら;;;
飲んだからって,…貴族的ではない・上品ではないの:::
とおっしゃるのです。
批判的な意見をその文筆家は、恥ずかしみもなく ながながと述べ尽くしたのです。
その文章を読んで、わたしはすっかり哀しく想ってしまいました…
今も、ネット上では、こんな出来事がよく散見されます・・・
批評と称して、他者を傷つけるような、批判記事が横行しています。
人間社会って、住みづらい。
他者を意識することは、ダイジョウブの範囲内で行いたい…
日本の、昔々の 幸せ物語が読みたくなりました…