息子はめったに私たち夫婦と出掛けなくなった。
『皇居の桜を車窓から見る』という企画は、長い抗がん剤投与を終えた母へのはからいだった。函館から来た母は80歳だ。母には8人の孫がいるが母が名乗る名字を名乗るのは私の息子だけだ。息子の貴重な日曜日に、彼は自分の祖母との『皇居の桜を車窓から見る』ツアーに参加することを選んだ。
はたして桜は、ハラハラと散るらん....皇居周辺はピンクの吹雪が舞う。銀座和光デパート前から築地を抜け、豊洲から東京湾を廻り浜の倉庫街に着いた。母は函館の弁天台場の近くで生まれ育った。函館のレンガ倉庫街も母の育ったエリアだ。私は函館のレンガ倉庫街のほうが好きだが母は興奮気味で喜んでいた。性格のよい嫁と真面目な孫と息子である私といることが嬉しかったのだろう。
父が網走から函館に入港した際に弁天台場(函館ドッグそば)の母の務める洋品店に「息子の服をくれ」と言って入ってきたそうだ。「息子さんはおいくつですか?」母が訊ねると、下半身を指さして「パンツだよ。下着だ」と言って笑っていたそうだ。もちろん母は父を軽蔑するのだが...それからというもの父は船のマイクをつかって港から母へのラブコールをしたそうな....それから父が母を映画に誘ったそうだ。エリザベス・テイラーの『巨象の道』上映中 父はずっと寝ていたそうだ。帰りの喫茶店では珈琲に砂糖を何杯も入れ...ティースプーンで音をたてながらすすっている姿をみて心からゲンメツした母だったが...なぜか結婚して私は第三子として生まれている。
眼帯をしている祖父に抱かれて父を見送る幼い私の写真は函館の港だそうだ。父を見送るのはいつも港だった。
33年前、私の19歳のとき港が一望できる火葬場で父を見送った。父は真面目な人だった。私も真面目だと妻によく言われる。息子も真面目な部類の人間だ。祖母のために横浜までついてきた息子の中で『あまり会うことがない函館のおばあちゃん』をどのように思っているのだろう...4月の横浜の海は青く。桜の花びらは淡い桃色が波間に映えていた。
息子とはふたりで函館の港まちを歩いてみたいと思う。
息子はどんな女性と結婚するのだろう...ちょっと楽しみだ...