風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

ゆるやかに 桂信子(比歌句 47 左)

2018年08月01日 | 和歌

ゆるやかに着てひとと逢ふ螢の夜 桂信子(かつら のぶこ)

 

和服を緩やかに着なおしました。だって、これからあの人と一緒に蛍狩りに行くんですもの。

おおらかに散文に直せば、こうなると思った。

で、まあ、投稿しようと思ったのだが、何かが引っかかる。

その何かが分からなかった。

夕顔や女子(をなご)の肌の見ゆる時 と並べて面白いので、それで良いと思った。

でも、気になる。何だろう?そう思った。

千代女は、明るく色っぽい。信子の句は、色っぽさに気品がある。

 

今日、昼寝をしていたら、急に何が分からないのかに気づいた。

そうだ。着物を緩やかに着こなしている女性を知らないからだ。

目にする着物を上げてみる。

花嫁衣裳、結婚式に招かれた女性の着物姿(ここ20年ほどめっきりと減ったが。)、成人式に向かう乙女(まるで、昔のキャバレーのホステスさんような化粧だ。)、卒業式に行くと思われる乙女(うん、袴を穿いたハイカラさん)

この女性たちの着付けは、キャバ嬢仕様だとしても、きっちりとしている。

後は、そう、花火で見かける浴衣姿。そして、浴衣姿すらもきっちりとしている。(まあ、着くづれて、だらしなくなっていることもありますが。)

着物を緩やかに着こなしているいる人を見たことがないために、この句が理解できないのだということに気がついた。着物を緩やかに着こなす女性とデートしたいものだ。まあ、私よりかなりのお姉さんだろうけれど。

話は変わるが、私が小学1年生の頃(昭和30年代、オールウェイズの世界だ)、運動会の入場行進の練習をさせられたことがある。私は、緊張のため、体がカチコチになっていた。すると担任の先生から「右足を踏み出す時には、左手を振るのよ。左足を出す時には、右手。分かった?右足を踏み出したときに、右手を前に出したら、まるでロボットみたいじゃないの。」と優しく笑いながら指導された。

私も照れ笑いをしながら、歩き方を直した記憶だある。

年を取ったある日、「右足を踏みだしたときに、左手を振るようになったのは、明治になってからであることを知った。(小学校の体操の教練からだという。)」何故そうなったのかと考えたら、着ているものの違いだということに気がついた。

“ロボットみたい”と仰った先生は、たぶん、昭和一桁世代だ。その世代でも、旧来の日本人の歩き方を忘れている。きっと、日舞や能などを見て学ばなくては、旧来の所作が分からなくなってしまうのだろう。

「緩やかに着物を着こなす女性」、そしてその所作も希少価値になってしまうのだろう。