11月2日(土)は義父の十三回忌で、夫婦だけでお寺さんへ。
因みにこの日は、義父の命日。
雨降りのこの日、午後から別件の用事もあり、本来ならば声をかけなければいけない
親戚には、失礼しました。
身近な親戚もかなり少なくなり、其々が健康に不安を抱える状態でもあり、
何より、遠野には会食できる会場が少なくなっているという事情もあります。
本堂の飾り金物を見ていると、以前のものと輝き加減が違っていました。
先代が磨き直しを頼んだそうです。この紋が、南部変り花菱。
このお寺さんは、八戸直義公が八戸根城から遠野へ移封となった際、共に移動。
時々愛妻家も、その縁で、八戸から移ってきたと言い伝えられています。
おそらく当初は新町で酒屋商売をしていたものと推測。
さて、神楽大会其の参です。
6幕目、土沢神楽さん
悪魔退治
昨年、花巻市の第40回みちのく神楽大会で演じた演目です。
今回の東和神楽大会には、動画や写真撮影の為に、他地域からお出でになる方が
少なかったように感じました。もしかして、他のイベントと重なった他に、
演目にも理由があったのかもしれません。
まさか、遠野のように自分の参加団体以外には、あまり興味を持たない人が多い
と云うわけではないでしょう。(;^_^A
撮影関係者が少ないだけで、一般客はいつものように入っていました。
7幕目 浮田神楽さん
龍殿の舞
花巻周辺では、近年、神楽の青年たちが団体の枠を超えて、様々な交流をしているようです。
其々が、継承についての危機感を持っているからかもしれません。
これは、神楽だけでも郷土芸能だけでもなく、一般の職業についても同様で、
よく聞くようになってきたのが、現在経営している商売の継承者を探している
と云う話です。
私が日中、居る地域だけでも、ここ数年で4件が店じまいをしました。
もしかすると、例えば神楽と云うくくりで、他団体から応援を借りなければ、
存続できないようになるところも出てくるかと思います。
その時、何とか駆けつけてくれる仲間を作ることも必要になってきているのかもしれません。
神楽は、他地域の同系神楽の人達とだったら、江戸時代の修験のようにチームを組んで演じることはできそうですね!
遠野の田植踊りの場合は、戦後には、既に廃れているので、これ以上の増減は、ほぼ無いかもしれません。
これから先、危惧されるのは、小さなエリアのシシ踊りと町中の南部ばやしかしれません。
南部ばやしも、元々は山車ばやしだったものが、内ばやしスタイルになり、踊る女の子も激減。毎年、もがいています。
ストーリーは配布されたレジメに載っていたので理解できました。が、事前にユーチューブで予習するのも善し悪しだなあと思っています。笑
悪神退治と悪魔退治は文字通りということではなく、言い立ての内容が何となく、似ていますよね。
どちらも戦の正当性をアピールしていたいりして。笑
今回感じたのは、事前にユーチューブで、あまり予習するのも善し悪しだなと。(;^_^A