緊急事態宣言が解除された県がある中、神奈川県はまだまだ予断は許せません。そんな事情で、当寺参禅会もお休みが続きます。明日の第3日曜日も中止とします。来月からは再開したいと考えています。ネット坐禅会もしばらく続けます。 . . . 本文を読む
曹洞宗の坐禅について述べてきました。本日が最終回です。 . . . 本文を読む
坐禅については、いくつかの誤解があります。一つは無心になって考えてはいけないということ。もう一つは、無功徳、いいことなんか何にも無い、という誤解です。 . . . 本文を読む
曹洞宗の坐禅の特徴について、前回までに述べてきましたが、まとめて一言に表せば、「只管打坐」に尽きると言えます。ただ坐る。無目的。思い量らない。周囲と一体となった本来の自己の実現。
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ここまで曹洞宗の坐禅の特徴について述べてきました。釈迦が坐禅によって悟り、祖師方に受け継がれ、仏教を学ぶ正門としてきたこと。人は、自らの中に仏の可能性を備えていると思えること。しかし、仏としての行いを実践しない限りは、現れては来ない。そのためには、自我の思い計らいを離れ、本来の自己を実現するための坐禅が大切であること。 . . . 本文を読む
今生きているリアルな現在こそ、唯一無二のライブ、生放送の生きている瞬間瞬間です。そこを仏の実現として生きるのが、「修証一如」の禅の精神ですが、どのように過ごして行けば良いのでしょうか。 . . . 本文を読む
本来仏様であるはずなのに、苦悩は多く、争いは尽きず、悪知恵はどこまでも際限がありません。コロナの脅威も深刻です。いつ仏はやってくるのでしょうか。この現実の矛盾の中にこそ、坐禅の重要性があると、曹洞禅は展開します。 . . . 本文を読む
只管打坐の坐禅の背景には、もともと自分の中に素晴らしさがあるということが前提に考えられています。迷いのもとは、むしろ自分自身による余計な思慮分別にあり、それを排除する行の大切さを求め、その行いに生きるという精神につながっています。 . . . 本文を読む
ここからは、曹洞宗の立場からの禅の精神、考え方、現代的な意味を発信したいと思います。 . . . 本文を読む
インドの仏教が、盛んに高度な教理を追求し、中国の仏教も沢山の経典が翻訳され、達磨大師が禅を伝えた頃、日本に高度な仏教がいきなり伝わり、カルチャーショックのような衝撃とともに、飛鳥、奈良、平安の先人たちは、教理の発達順に関係なく、優れた教理を受容していきました。禅についても平安時代末期からは、すでに広がりをみせていたようです。 . . . 本文を読む
中国に渡った仏教は、インドで練られた様々な解釈による教義内容が、時間経過や内容を問わずにもたらされたために、学問としての体系化が為され、やがて宗派が形成されていきます。そんな理論的な教えから、実践的な教えが望まれる形で広まったのが、禅や浄土や密教です。特に禅宗は、達磨大師によってもたらされ、全土に広がりました。 . . . 本文を読む
しばらく、禅の生活スタイルについて考えてみたいと思います。そもそも坐禅の起源は何処にあるのか?存在意義はどこにあるのか調べてみたいと思います。 . . . 本文を読む
緊急事態宣言が延長され、いよいよ戸惑いも増し、本腰で将来にむけての在り方を見直す時が迫ってきました。 . . . 本文を読む
3調の残りの調心についてしるします。 . . . 本文を読む
コロナウィルスによる心への感染防止の特効薬とも言える「禅」の調息について考えてみたいと思います。 . . . 本文を読む