ずっと自然石道祖神について最近触れているが、視点は「石」と「五輪塔」である。五輪塔については神奈川県の事例についても先般触れたが、意外に五輪塔を道祖神として借用している例はあるようだ。若いころに一度訪れているが、道祖神が意外と盛んな地域に伯耆がある。明治維新の直前の伯耆の領域は、現在の鳥取県米子市、倉吉市、境港市、東伯郡、西伯郡、日野郡だったという。簡単に言うと鳥取県中西部であり、東部は因幡である。鳥取県全体で捉えると、石造祭祀箇所608箇所、数は祭祀数は789に及ぶ(森納著『塞神考』平成2年)。そのうち双体像は331、単体像は20、文字碑は意外に少なく22、そして自然石が94ある。そのほか木祠が43、神木が93などとなっている。双体像は米子市や西伯郡に多い(「淀江町亀甲神社のサイノカミ」や「伯耆のサイノカミから」参照)。前掲書において自然石の道祖神について触れており、その中で五輪塔が岩美郡5、鳥取市2、気高郡1とされており、「頭部にあたる空風を一石にする形式がある。即ち宝珠と請花の突起部を押し込むのである。それは陰陽を象形化した性交を想起させるものであり、岩美地方ではこのような宝珠、請花部分をサイノカミの依代として祈願する所もあった」と記している。「そして古老はこの五輪塔の頭部は男根を示唆するものとして、受胎を願う婦人が布に包んで寝ると子供をはらむという伝承があった事を教えてくれた。これに類する話は相州ゴロ石と称して神奈川県の平塚地方にもある」(183頁)と言う(「五輪塔残欠と道祖神」参照)。ここでも神奈川の例について触れている。
事例は少ないものの、五輪塔の存在に注目したいわけであるが、前掲書では岩見町牧谷と浦富定善寺横の祭祀物の写真をあげており、無数の五輪塔が集められている(5頁)。同様の光景を長野県東信地域や北信の西山で見てきてこのような類似例があることを知った。
なお、市町村区分は、昭和59年以前のもの
さて、これまでにも長野県民俗の会がまとめた『長野県道祖神碑一覧』から何度となく県内の道祖神について触れてきたが、その際に触れた通り、東信地域の道祖神数は正確性に劣ると触れた。今回岡村知彦氏が長年かけてまとめられた『東信濃の道祖神』から東信地域のデータを補足して県内の道祖神数を修正したところ上記のグラフのようになった。大きな相違点は上田市の道祖神数である。『長野県道祖神碑一覧』に一覧化した上田市の道祖神は13基しかなかった。それが今回のグラフに示した数は526に上る。いかに正確性に欠けるか分かるだろう。東信地域については同様に大きな差異が発生している地域があり、佐久市で差異143、小諸市96、東部町95、青木村68などが大きい。上田市の差異513は飛びぬけている。その上田市も自然石道祖神が多い。ただ、これらの地域で五輪塔を道祖神として取り上げている例は極めて少ないが、実際は道祖神とともに五輪塔残欠が並んでいる箇所は、数字以上に多いというのが、実際に訪れてわかったことである。