本殿
お宮参りの扇子、麻、真綿
廻り舞台
宝石(以上令和6年9月10日撮影)
舞台の引幕「鞍馬天狗」(令和6年10月20日撮影)
10月第3日曜日は、辰野町北大出神明神社の例祭である。かつて「北大出神明社の天狗と獅子(昭和61年の記憶70)」を記したが、その昭和61年以来の例祭を訪れた。祭りの内容は前項に記している通りだが、「舟は「お舟道」と言われる道を上って境内に入る」と記しているが、今回その道の名を聞いたが、「お舟道」とは聞けなかった。今年の年番は、原小路で、詳しそうな方に聞いたのだが、「とくに名はない」とのこと。五つの集落で年番を務めるのは、もう半世紀になるようだ(昭和49年に信濃毎日新聞社が刊行した『信州の芸能』に「今では地区内を五つに分け、当番制でゆってましてね」とある)。
今回話を聞いて、驚く話を聞いた。天狗が三つ登場するが、それぞれ持ち物が違う。最初は扇子、次は笹、三つめは杉の葉だろうか。最初に登場する天狗の扇子は、お宮参りで奉納された扇子だと言うのだ。実は9月10日の昼休みに、神社を訪れた。そもそも訪れた理由は、お宮参りに扇子と、麻と、真綿を奉納していないか確認したいと思って昼休みにいくつかの神社を見て歩いた。その際の写真を紹介しよう。ここの神社にもその3点がセットで奉納されていた。辰野町エリアでのお宮参りの特徴とも言える。
また裏山には巨石が祀られていて、チャート系の石である。辰野町の西山は粘板岩の地質で、点々とチャートが露頭する。この巨石は「宝石」と言われていて、元々は富士山にあったという。その富士山がどこにあったのか、何人かに聞いてみたが、はっきりしなかった。そもそもこの宝石そのものを認識されていない人も多い。富士山には単独でこの石があったようで、「一つ石」と呼ばれていたという。大正3年(1914)に大正天皇即位記念として新明神社に安置することになったという。
もうひとつ、ここの舞台は大きな舞台で廻り舞台となっている。もちろん今は動かないのだろうが、直そうと思ったが高額な費用がかかると知って辞めたようだ。明治5年(1872)に建てられたもので、地芝居が行われていたという。舞台は本殿側に向けて建てられており、庭は舞台から山に向かって傾斜しているとともに、背面に斜面があって、境内は窪地になっている。ようは桟敷席スタイルになっている。この舞台前の庭が、天狗と獅子の入り乱れる舞台となる。
続く
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