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年会へ 前編

2024-10-26 23:01:06 | 民俗学

 國學院大學で開催された日本民俗学会第76回年会に参加した。2日間にわたる年会だが、今年はいつもと違う。何が違うかと言えば、長野県民俗の会でグループ発表する。わたしにとっては初めての発表であり、また民俗の会がグループ発表するのも初めてである。ということで明日のグループ発表が気になるところだが、いつもどおりシンポジウムに参加して、総会、懇親会へも参加し、そのあとの二次会も予定されていた。

 今年のシンポジウムのテーマは「祭り・芸能をめぐる現代的課題」というもの。発表は

桜井弘人「南信州における女性参加の実情と課題」
石垣悟「祭りのなかの『子ども祭り』」
矢島妙子「祭り・イベント・芸能とツーリズム」

の3つであった。大雑把に言えば、民俗芸能への①女性参加の現状と、②本来芸能に参加してきた人たち以外の人の祭りへの参加の現在(子どもを中心に)、③絶滅に瀕している芸能の復活の可能性、というものだった。とすると、民俗芸能の変容を前提とした課題に取り組もうとしたのか、とも見えるがその趣旨を読み返してみよう。そこには「祭り・芸能に焦点をあて、その現場がどのような課題を抱えているのか、論点の所在を明らかにすることを目的としたい」とある。さらに「このことは一方では、現代社会が抱えている諸問題が、その祭り・芸能に映し出されているともいえる」という。こうしてみると、現代社会で派生している問題を祭りや芸能のフィールドに探る、ということなのだろう。結果的に研究者が決めることではなく、民俗芸能を継承している当事者である地元の人々がどうするかということになるのだろうが、討論の中では、研究者として助言することが限界だろうということだった。民俗芸能分野では、希少価値のあるものに焦点を当ててきた風がある。発表者の一人、桜井弘人氏が「南信州は民俗芸能の宝庫である」と発表内で発言されたが、背景には国指定の無形民俗文化財が多いことによるものだという説明をされている。しかし、趣旨である現代的な課題で捉えようとすれば、周囲が民俗芸能の宝庫だということで、保護活動をしている政策の背景も現代的課題を創出しているとわたしは思う。このことはまた別項で触れるとして、女性参加に限らずこの地域で起きている事実と似通った事例が、討論の中の石垣氏の言葉にあった。

 石垣氏への質問に祭りに参加する外部の人は、どのようなつてで参加するのか、というものがあり、石垣氏は知人や学校の関係からつながっていると答えられた。石垣氏が事例として発表された「子ども祭り」は、大人の祭りに倣って子どもの祭りが創出されるというもの。そして子どもの祭りも本来の祭りと同じような形に変えていくともいう。子どもの祭りに参加した子どもたちは、成長するとそのまま大人の祭りにも参加するようになるといい、ようは本来の祭りを継続していくための2軍が出来上がっているようなもの。外部の人が加わって祭りが成立するというような例は飯田下伊那地域でもある。果たしてそこまでして継続するべきなのか、という意見もあるだろうが、そうした場合の祭りの伝承地とはどこなのか、という疑問も生まれる。この知人や学校つながりというところには、問題が派生するとわたしは考えている。かつてなら地域の祭りには資格のあるものはみな参加した。あるいは参加せざるを得なかったかもしれない。ところが知人や学校の関与で地域外の者が加わり、さらにそれが広がりを見せるタイミングが、まだ地域に大勢の対象者がいる中で行われると、地域の中で違和感が生じる。自分たちの祭りという意識が薄れる人たちが生まれるだろうし、祭りを担う人たちが「おともだち」組織に変わってしまう。もちろんそれが地域の本来の対象者だけならともかく、地域外の者がそのような「おともだち」の集まりに変わっていくと、地域内の不協和音も生じるだろう。ようは地域として危なくなるというわけだ。

 祭りに限らず聞き取りをしていると、つながりのある人たちが良好にとらえている事象が、実はそうでない人びとからは敬遠されている姿を目にしたりする。ようは人それぞれ思うところがあり、好き嫌いで見る人が必ずいる。そうした現実を加速させるような要因に、祭りがなってしまう可能性を秘めている。したがって全く成立しないほど人口が減少しているのならともかく、対象者がある程度確保できる状況で、外部から安易に人を増やすのには問題があると思う。したがって矢島氏が報告したイザイホーに至っては、1978年以降実施されていないという。観光の資源として復活させるとなれば、それは本来の趣旨に沿っていればともかく、人寄せという趣旨だけでは偽物ということになるだろう。

 確かに現代社会における課題が祭りには表れている、ということになるだろう。そしてそれを扱っていく分野として民俗学があるのだろう。さて、シンポジウム後の定刻に始まった総会は、今年も予定時間内で終わらなかった。昨年と同じ指摘で時間をくった。予算の問題だ。会場からの指摘は予想できたものだと思うのだが、そもそもこの議案は評議員会を通っている。評議員会で会場で指摘されたような指摘はなかったのか、とも思うが、その場に参加すべき者がしなかったのにどうこう言えるものでもないし、ちょっとわたしには発言はできない。とはいえ、このためだけに総会に足を運ばれた重鎮もおられただろう。わたしのような者でも、決算案を見て「わかりづらい」と思った。二次会はいつも二次会でわたしたち長野県民俗の会の仲間の二次会に加わってくださっているI先生のお誘いで、学会の重鎮の先生がたと席を同じくして始まった。総会が遅れたから懇親会も遅れて、二次会も予定より遅く始まった。二次会だけに足を運ばれたS先生、T先生は予定の時間には二人で始められていたよう。そこへ懇親会から合流したわたしたち、そして懇親会を設営してくださったI先生、総会で「このために来た」といって発言されたF先生も加わっての楽しいひと時を過ごさせていただいた。何といっても隣に座られたF先生から「あなたはわたしがいる間、一度も顔を出してくれなかった」と、あるわたしの身近な研究会へかかわらなかったことを指摘された。「近いのに」と言われ、まさにその通りなのだが、裏には「いろいろある」と察知されているが、どうしてもわたしの看板になってしまっているようだ、F先生には…。


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