これまでに立科町の自然石道祖神について幾例か触れてきた。例えば五輪塔が併祀されていた牛鹿虎御前公民館前のものは、双体像のみが道祖神として認識されているようだが、その空間にはほかの祭祀物はなく、明らかに道祖神の祭祀空間に置かれた五輪塔残欠であった。前例からそう遠くない平林の例も同様だ。立科町には『東信濃の道祖神』(2023年 風間野石仏の会)によると、82例示されているが、自然石道祖神については数が読み取りづらいところがあり、私的に自然石道祖神を祭祀箇所に統合すると79例と捉えている。同書から見る自然石道祖神祭祀箇所数は5箇所であるが、前述の五輪塔が置かれている例はカウントされておらず、これらを自然石道祖神と捉えれば、その数はもう少し増えると見る。
立科町芦田姥ヶ懐の道祖神
さて、これまでは立科町でも北部地域の自然石道祖神を紹介してきたが、芦田川沿いの集落にも自然石道祖神が幾例か見られる。写真は芦田姥ヶ懐のもの。五つの石が並んでいるが、左から二つ目は双体像、ほかの石はすべて自然石である。だいぶ表面が変色していて、それが何の石質かはっきりしないが、双体像と自然石はほぼ同じような石と思われる。が、どこが異なるかと言えば、やはり少なからず陰陽を表しているのかもしれないが、はっきり陰陽石とは捉えられない。ちなみに前掲書では陰石3個、陽石1個と捉えている。真ん中の石は双体像並みに大きく、主神とも捉えられるが、いずれの自然石も比較的ゴツゴツしていて、最もゴツゴツしているのは右端のもので、背後から捉えた写真もとりあげてみた。どれを陽石として捉えているかはっきりしないが、右から二つ目のものだろうか。もともと自然石は陰陽を表す意図が強かったのかもしれないが、あえて陰陽の区別をするのには違和感はある。
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