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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

子獅子誕生の背景 前編

2024-10-11 23:57:29 | 民俗学

 先ごろ駒ヶ根市中沢の本曽倉(ほんそぐら)御坂山神社の獅子舞について触れた。その翌週、対岸の香花(こうか)社の祭典はどうかと思ったが、コロナ禍を幸いに獅子舞はやっていないという話を聞いた。地元の方に聞いていてあえて神社関係者に再確認をしなかったが、コロナ禍を契機に民俗芸能が中止されている例は多いのかもしれない。御坂山神社でもコロナ禍後に以前同様な形で獅子舞を披露したのは、今年が初めてだったという。その御坂山神社の獅子舞において「子獅子」が登場することについて触れたが、なぜ子獅子を加えることになったのか疑問になって、当日も話をうかがった仕事でもお世話になった方のお宅を会社からの帰りに寄ってみることにした。午後8時近かったこともあり、躊躇したが、確認だけしたいと思いあえて寄ってみた。すると聞きたかったことについて記された資料があるはずだと、「探すから上がって」とう促された。時間が遅いこともあって遠慮したが、奥様も「どうぞ、どうぞ」と誘っていただいたので上がることに。それから1時間余ほど、資料を探しながら話をうかがった。地元のことについて資料を丁寧にまとめてあって、不要になった布で表紙を作成されて、箱状にして紐で縛って整理されているのには驚いた。スクラップも綺麗に貼られていて几帳面さがよく分かるまとめ方だった。

 そもそも以前触れた通り、ここの獅子頭は地元に住まわれる北原さんという方が自ら製作された。以前使われていた頭が古くなったため更新したのだが、製作費を調べると150万もかかる(昭和58年のこと)ということで、氏子に負担してもらうのも忍びない。そこで彫刻をされている北原さんなら彫れるのではないかと、当時の保存会長さんが依頼したようだ。さすがに獅子頭など彫ったことのない北原さんは断ったようだが、説き伏せられて彫ることになったという。地元にそうした方がおられたことも大きいが、この地区では獅子舞を続けようという強い意志があったことと想像する。探していただいた資料に、なかなか子獅子のことが書かれていない。とはいえ、それらは中沢の公民館が作成した文集のようなもので、獅子頭を彫ることになって苦労された話(製作者本人の投稿)が何回かに分けて書かれていた。こういった地域色の濃いものは、公民館が発行するものに掲載されることが多く、ふだんから気にはしているものの、なかなかそこまで文献を探し出すのは大変だ。そうしたなか、獅子頭を彫られた本人が『伊那路』にそのことについて触れた記事を投稿されていたことを教えていただいた。平成2年のこと。この内容については後日改めて触れたい。

 さて、新しい獅子頭を彫った際のことが、当時の中日新聞に掲載されていたことを教えていただいた。その記事のコピーを頂いたが、残念ながら新聞の発行日がはっきりしない、彫った獅子頭はまだ彩色されておらず、記事では「六月初めには富山県・井波町の塗師に頼んでウルシ塗りをする」と書かれているので、おそらく昭和59年の5月頃の記事と想像する。そこには、保存会長の言葉が添えられていて、「小型のシシ頭も寄進してもらえるので、子供神楽をつくりたい」とある。

続く


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