Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

毎朝の鬱陶しい“奴”

2024-10-09 23:31:22 | ひとから学ぶ

 会社への道、かなり後方からいつもの車が見えてきたので、スマートインターのあるパーキングに入ると誘導路から外れて大型車の駐車スペースにハンドルを切った。2度目のことである。この「いつもの車」が視界に入ると嫌悪感が高まる。ずいぶん以前に記したアルファロメオも嫌悪感がすぐに高まったが、最近はこの車がわたしの通勤時間帯に被る。高速道路から同じスマートインターで降りて、わたしの駐車場のある場所まで経路が被るため、時間帯が同じなら、毎日のようにその姿が目に入る。その車が視界に入れば「またか」と思い、近ごろは「避けたい」と思ってあえて道を外れるか、高速道路上では走行車線にすぐに入って“奴”の視界から消えることにしている。繰り返すが、以前記したアルファロメオのように一瞬に抜き去っていく車と違って、速度差はせいぜい20キロくらいだから、付き合う時間が長くなってしまう。だから余計に鬱陶しいのである。高速道路から駐車場まで、付き合ったとしてもほん数分のことなのだが…。

 とりわけ鬱陶しいのは、インターを出て駐車場までの一般道だ。後ろに着かれると接近してくる。これまでにも何度も記している通り、接近されるのが嫌で仕方ない。誰でもそうだと思うのだが、とりわけ駐車場へ入る際に減速すると、ぶつかるくらいに接近してくる。したがって奴が後ろに着いていると、一般道ではあるものの、速度を上げて奴との車間が開くようにする。かなりの速度にしないと車間が開かない。ということで、もはやこんな駆け引きが鬱陶しいから「避ける」ことにした。逆にうしろからついて行って接近してやろうとも思うが、信号機で止まると、公園の駐車場内をショートカットして信号機を回避するくらい焦った運転をする。「バカか」と思うのだが、いつもこんな感じの運転を繰り返す。ちなみにわたしよりは少し若いのだろうが、“オッサン”である。

 同じ道を走る同僚たちに聞くと、皆がみな奴を意識しているよう。若い彼は「煽ったろうか」、プラス「止まった時に文句言ったろうか」と口にする。「それは辞めた方がいい」とアドバイスしたが、皆に意識されているということは、誰からも嫌がられているはず。可哀そうな“奴”だ。


コメント    この記事についてブログを書く
« 長松寺の貞治仏 | トップ | 立科町姥ヶ懐の自然石道祖神 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ひとから学ぶ」カテゴリの最新記事