Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

今年のデーモンジ

2015-01-15 22:53:20 | 民俗学

 

 

 昨日、内田北花見の御柱を拝見した後、帰路辰野町北大出のデーモンジに立ち寄ってみた。ここでも多屋小路や鞍掛など従来通り1月14日に建てられる。今年の様子はどうなのだろう、と寄ってみたわけだが、たまたま多屋小路で写真を撮っているとご老人が歩いてこられたので少し話をうかがってみた。なんといっても「道祖神の柱立てを探る・前編」で触れたように、かつての多屋小路のデーモンジはまさに高々と燈籠が上げられて、ヤナギも見事なものであった。このことがご老人の口から何度も発せられる。「昔と違ってしまった」と。柱が折れてしまって以降、鉄柱の幟柱を建ててから高々と上げることがなくなったという。内田北花見のようにここでも電線が走っていて邪魔だったことは上げなくなった理由のひとつかもしれない。何より昔のデーモンジとは異なる。かつては「養蚕大当」という文字が燈籠に見えたが、今は「道祖神」「天下泰平」「家内安全」「五穀豊穣」の4文字が書かれている。てっぺんに掲げられる白い御幣が御柱同様に恵方に向けられていたが、ご老人によると本来は道祖神の方向に向けるという。デーモンジの柱の南側に道祖神が立つ。

 多屋小路の道祖神は双神像。その脇に石柱に載った灯籠が立つ。いわゆる常夜灯にあたるのだが、大正3年の御大典の折に建てられたものという。それまでこの地域には常夜灯を当番で毎夜灯して回していたという。その代わりにここに電灯式の常夜灯を建てたのだと言う。中部電力と電気代無料という取り交わしをしたともいわれ、道路下に電線管が埋設されていたというが、今は電灯が繋がっておらず点かない。もうずいぶん昔からのことで、ご老人は自分たちが元気なうちに、もう一度常夜灯に火を灯したいという。かつてこの小路が子どもたちの遊びの中心だったという。

 小正月ということもあって厄落としの話を聞くと、ご老人も気にしていて今朝も様子をうかがっていたという。本日たまたま長野へ仕事で出向いた帰りに、暗がりのなか多屋小路に再び寄ってみた。積雪でしっかり様子はうかがえなかったが、茶碗のかけらがひとかけら落ちていた。昨夜投げられたものかどうかははっきりと解らなかったが、いまだ厄落としが引き継がれている様子はうかがえた。

 その足ですぐ上の宮下のデーモンジも寄ってみると、積雪で見事に支柱である竹が折れてしまっていた。また今年は建てる日が違ったのか、それとも作るのを辞めてしまったのか、羽場上組の辻にデーモンジらしき飾りがまったく見られなかった。多屋小路の変化もそうであるが、デーモンジの行く末もかなり怪しくなってきているという印象は否めない。


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