Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

長野県人の常識

2017-11-09 23:06:35 | ひとから学ぶ

 先ごろ「水の都」へ出向いた際に、伊豆半島に1泊した。行程の中には海の傍で泊まるものの、海産物をお土産に買うような場所は組み込まれていなかった。すると予想通り、多くの参加者の中から海産物を買うことのできるところに寄れないか、という希望が。限られた行程の中にそれを組み込むのは容易ではないようで、添乗された方々が苦労されていた。

 この時代だから海辺へ行く機会も多いだろうし、海のものを日々口にしているはずなのに、それでも山の者は海端に行くと「海のものが欲しい」そう思う。沼津から伊豆という立地から「干物屋に寄りたい」という声は多かった。その通り干物屋を行程に組み込んでいただき、時間は短かったものの、希望を叶えてもらった。もちろんわたしはそこでお土産を買うことはなかった。そもそもこうした場面で、わたしはお土産を買うタイプではない。買ったとしても家族に喜ばれることはまずない。それでも別の場所で会社の人たちに、と思って購入したお菓子を買ったついでに家へのお土産を手にしたが、さすがに干物屋でお土産を買う気にはならなかった。

 長野県人らしい意識、それが海への憧れのようなものなのだろう。何といっても海は遠い。どれほど海産物が日々手に取ることができたとしても、活き活きとしたものはそこに行かなければ手にできない、という意識は農産物からくる意識なのだろう。もちろんこの時代にはそれほど意識しなくても手にすることができる望みだ。それでもあえて海に行ったら「海のものが欲しい」とは、まさに県民性なのである。

 再来週には同じような海端へ行く企画がある。当然「せっかく海に行くのだから、海のものが手に入るお土産屋に寄る」、ちゃんと行程に組み込んだ。これは長野県人を海端に連れて行く際の常識なのだ。


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