「去年はいつ刈っただろう」、そう妻は言った。もちろん草刈のことだ。常に気を留めている草刈の場所があり、これまでにも何度となく草刈をしたあとに、日記に留めてきた場所だ。例えば2018年には5月20日に「今年初めての高畦畔草刈り」を記し、2017年には6月3日に「ことしの草刈り」を記し、さらに堂日記に記しているように、2016年は、5月22日に「よそ者」に記している。5月20日ころから、遅ければ6月に入って最初に草刈をする空間、常に気を留めている草刈場なのである。
実はこの空間、土手下にある村道の道幅はほかの場所と比べて広い。日ごろ妻の実家に行く際には必ず通る道。この道に入る県道もそれほど広くないが、県道からこの村道に入ると、対向車が来た場合、普通車だとすれ違うのは難しい。道の分岐点が広かったりするからそこが待避所のようになるが、妻の実家の入口までの間で、そうした特定の場所を除くとこの場所が最も広い。以前にも触れている通り、この場所は道路の上法も、道路の法面も我が家の土地である。今なら道路の下法は村の土地になるだろうが、当時は最小限しか村の土地に登記しなかった。大きな道路の法なのに、その法はわが家の土地なのだ。この立地からかつての道路拡幅について知識のある人はすぐに想像がつくだろう。ようは、どちらも同じ人が所有している間に、村の土地が道路の水平面だけ存在しているということは、この土地の所有者が寄付行為で村道として譲ったということである。もともとは村道も含めわが家の土地だったところへ道路が新設されたというわけだ。かつての道は、歩く道幅で、大きな土手をまっすぐに下っている。車が通るとなると急すぎてそのまま拡幅するわけにはいかないので、大きく迂回して勾配を確保したというわけだ。
にもかかわらずこの場所がほかの村道空間に比較して広いのには、理由があると妻はいう。この道の突き当たりにある家の人が、拡幅当時区長をしていたという。そのひとにとってみれば、県道に出るまでの道は広いほうが良いに決まっている。あらかじめ立会いをして決めておいた幅を(杭か何かが打ってあったのだろう)、区長が無断で広げてしまったというわけだ。そのため本来なら必要とされる法勾配が、道路面の幅を広げたせいで、急になったというのである。もう少し具体的に表現すれば、この村道と上にあるわが家の水田との高低差は最大で5メートル近く、最小で1メート余。平均すれば3メートルくらいあるわけだが、この高さで切法となると1割くらいの法勾配で設計されたはずだ。ところが現状は8分、あるいはもっときつい。平均3メートルとして、1割なら法面の水平幅も3メートルとなるが、8分なら2メートル40センチ、ようは60センチほど道は広くなるというわけだ。5メートルも高さがあれば、1メートルは違う。わたしが常にこの土手の草刈をする際に厄介に思うのは、法が急すぎて足場がないということ。それでいて、この土手の草を放っておくと、道路を通る人たちに「迷惑」になるため、言ってみれば「よそ者」であるわたしがこの地域の人たちのために「草刈」をしているというわけだ。ところが、わが家にとって見れば本来優先順位は低くしたい場所。が、しかし、既に当時の区長は亡くなって久しいが、その息子(といってもいい歳だが)が「草を刈れ」といわんばかりに世間に「草を刈らないのはあのうちのせい」みたいなことを言いふらす。わたしにとっては「刈りたくない場所」だが、妻や義弟にとってはとても気をつかっている場所で、仕方なくわたしも気をつかわざるを得ない場所なのだ。ということで、本日今年初めての草刈を実施した。5月23日である。
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