福澤昭司氏は、『長野県民俗の会通信』258号(平成29年3月1日発行)において「自然石道祖神」について報告されている。『長野県道祖神碑一覧』の編集を行っている中で、東信地方を担当していて気がついたのは自然石の道祖神が多いということだった。自然石といっても、いわゆる双体像にしても文字碑にしても、自然石を加工して彫りこんでいる以上「自然石」と変わりがないかもしれないが、ここでいう「自然石」とは、ほとんど加工していないそのままの石をいう。そうなると、わたしがこれまで分類してきた「自然石」とともに、「陰陽石」も捉え方によっては「自然石」の部類に入るかもしれないが、あくまでも形態からして陰陽を表しているものについては、「陰陽石」として分類している。もちろん文献からまとめたものだから、引用した文献に「陰石」とか「陽石」、あるいは「陰陽石」と表記されているものをまとめているから、編集者が意図的に自然石を「陰陽石」として扱ったわけではない。
これら自然石系のものについては、難しい面もある。ようは地元で「道祖神」として祀っているのかどうかということ。形態が同じでも、必ずしも道祖神ではないこともある。したがって石造物の調査をした段階に、どれほど地元で聞き取りがされているかによっても、その精度は異なってくる。とくに「陰陽石」=「道祖神」ではないことを捉えておかなければならない。そういう意味では、道祖神ではなくとも陰陽石の事例はかなり多いと考えられる。そして「自然石」としてまとめられているものは、さらに扱いは聞き取りが重視される。そもそも何でもない石を祭祀対象物であると捉えることが難しい。そうした中、一定量その数を数えられるのには、ほかの形態の道祖神と同居していることにもよる。道祖神が祀られている場所にある自然石は、自ずと「道祖神」として捉えられている例は多い。
福澤氏は旧丸子町の三つの事例を報告されている。その中の宮沢の事例には次のように書かれている。
昔お堂があったという場所に建つ公民館の庭の隅に、ドーソジンだという石が並んでいた。近所の人は「ただの石だでね」と教えてくれ、それでもただの石と見分けがつくか心配になったとみえて、公民館まで教えに来てくれた。ドーゾシンの石は、やはりブツブツと穴があいたりゴツゴツとしたりしているが、別の場所に転がっていれば何の変哲もない40センチくらいのただの石である。それが4個も並べられていた。
この光景を浮かべてみると、いずれ世代がいくつか変わっていくと、忘れられて本当の「ただの石」になってしまうかもしれない。
さて、これまでグラフで県内の道祖神種別を表していたが、ここに長野県図に分布状況として表してみた。本来はドットで表せばよいのだうが、位置がわかっているわけではないので、おおざっぱに現在の市町村ごとの総数で分布状況を捉えることとした。もともとのデータが平成の合併前の旧市町村ごとまとめられているので、旧市町村で表せれば良かったが、現在ある地図が平成の合併後のものなのでこれで表した。触れてきた①「自然石」のもの、②「陰陽石」のもの、そして③「石祠型」のものを図にしてみた。①の県内総数は358基、②は142基、③は267基を数える。しかし、これまでにも触れてきたし、前述の福澤氏の報告事例でもわかるように、自然石については1箇所に複数祀られている例が多い。したがって「基」とは言うものの、個体の数を表しているわけではないことは勘弁願いたい。
東信を調べて自然石が多いと感じた福澤氏であるが、図でもわかるように、上田市には確かに多いが、いっぽう佐久地域にはほとんどないことがわかる。これは、そもそも引用文献の問題で、この地域には行政がまとめた調査報告書がほとんどない。福澤氏によると、実際は佐久にも自然石の道祖神は多いと言うが、あくまでも文献からまとめたため、こういう状況となっている。そもそもそんな「一覧」で良いのか、という意見もあるだろうが、無いよりはマシ程度というこだろう。というか、これが文献からまとめた結果の現実だと悟り、今後の課題とするべきなのだろう。色の濃い地域は、上田のほか長野市、伊那市といった地域である。諏訪、下伊那、木曽に北部県境域が少ないことがわかるが、佐久同様に、文献という捉え方をすると、諏訪地域の精度も低いかもしれない。陰陽石も同じような傾向が見えるだろう。長野市が特徴的に多く、やはり佐久、下伊那、木曽、北部県境域は少ないが、前述のような課題は残る。石祠型は以前にも触れた通り、諏訪が圧倒的に多く、北信域に偏って色の濃さが目立つ。
追記
そもそも統計をとっても意味がない、と実際に東信を担当された福澤氏には指摘を受けていることを書き留めておく。十分承知の上で、今回のまとめをデータ化して問題を指摘しておくことも意味あるものと考えている。
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