飯田市では、かつて飯田市誌編纂の取り組みがされていた(「中央と地方」参照)。その中で民俗部会はアンケート調査を行ったが、編さん事業が中止されたため、それらは死蔵されることになった。おそらくこれまでも、これからも当時のアンケートが利用されることはないだろう。ちなみにアンケートが実施されたのは平成12年ころのこと。内容が重いアンケートだったが、市内全域から141名の方に協力いただいた(平成12年であるからその後の合併村は含んでいない)。生年月日を見ると明治35年生まれの方が数名おられ、明治時代に生まれた方が15名もおられた。貴重なデータではあるものの、前述したように死蔵されているもの。このアンケートの利用に関しては、その後発足した歴史研究所を通して了解いただいているが、もう10数年以上前のことだから認識されているかどうかは不明である。そもそもこの大量のアンケートについて、協力していただいた方たちに還元できていないことは失礼な話なのだが、繰り返すが編纂事業が中止されたから仕方ないことなのだろう。中止されるまでに使われた費用は無駄となったわけであるから。
さて、141名の方たちには同じ地域の方たちもいてそのまま地区数とはならない。アンケートをまとめられたのは当時の編さん室であるが、その際に地区名を付している。その地区数は92箇所あった。それら調査地区を図に落としたものが今回示したものである。旧飯田市の形状は左上から右下へ帯状になっているうえに、左端と右端は山間部のため集落がほぼない。外れた位置にある大平は廃村になっている地区でこれを外すと市域の真ん中あたりにしか集落がない印象を受けるだろう。それらがわかるように、今回は農振地域と用途区域を着色して示した。地区名が確認できる大きさで表示したため、すべての地区名が表示てきていないのは勘弁いただきたい。市街地のいわゆる丘の上といわれる地域は、比較的近いところに調査地点があるため、地区名を表示できなかった。
こうしてみてみると調査地点にやや偏りがあるように思える。薄く大正9年の行政区域を示したが、旧山本村には「久米」の1箇所しかない。旧三穂村にも「伊豆木」と「立石」の2箇所しかなく、南部が粗い印象を受ける。これらの地点で行われたアンケート結果から民俗地図を作成したものを次回から紹介してみる。なお、実はこれらアンケートを利用したものを既に本日記ではいくつか記している。
続く
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