役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

神様はお願いするのでなく感謝するもの、伊勢神宮へ 

2009年12月06日 23時13分06秒 | Weblog

毎年この時期に
木の香りをかぎたくなって
伊勢神宮に来るんですが、

今日は
異常なほど混んでました。


数年前に来た時は

ガラガラで
お店の前を通るたびに

声をかけられたのに・・・。


少し前、
食品不祥事を起こし
経営の危機と騒がれていたことが
まったくうそのよう・・・。
数えてみると30人並んでました。
赤福本店
大盛況ですな。

お土産で何回も食べた事ありますが・・・
実は・・・・
お金出してまで
食べたいとは思わないくらい
あまり好きではありません。
おいしいと思ったことなくて・・・。

今日は人が多くて

対流が出来てしまって
木の癒しのにおいが
なくなってしまってました。



下の大人でわかるように
やっぱりでかい木です。
癒されます。

いつの頃か
わかりませんが
神様の存在について
信じなくなっている
そんな自分に気がついたのは・・・。

中学校の頃
モルモン教の宣教師に
声をかけられ
ハワイ出身のマークとホワイトと
知り合いになり

なぜか教会の体育館で
バスケやバレーで遊ぶようになりました。

彼らはキリスト教の布教活動に
熱心でしたが
私は一向に信じることができませんでした。

仏教もキリスト教も
創価学会もモスレムもヒンズー教も・・・
どれも信じることができませんでした。

日本には神道というものがあり
万物に神が宿り各地に風習のように
生きづく物語がいっぱい存在します。
前出の宗教とは少し違うような気がします。

完全にのめりこむわけではありませんが
どうも私は
この神道の方が馴染みがあり
信じやすいみたいです。

学問の神様は北野天満宮、
かまどの神様は清荒神、
商売の神様は恵比寿神社、
天照大御神は伊勢神宮など・・・。

大学生のころ神社でバイトしてましたし・・・。
そのころから親しみがあったのでしょう。

ただ、どこかで冷めた感覚があって
神様は、信じるものでなく
単なる物語の登場人物にすぎないという
そんな感覚しかありませんでした。

信じてもらえないことが
当たり前になっていますが
私は、神頼みをしたことがなく
デートで初詣に誘われて行った以外は
神頼みをしに行くことはありませんでした。

何事も結果は終わってみて受け入れるものと
認識していました。

しかしながら、
神社に対して
何らかの結果を自分が受け入れられた場合
なんとなく神社へ感謝参りをしに行きたくなって
学生の頃から
伊勢神宮へは
12月の初旬に毎年参拝していました。

去年は11月から沖縄にいましたので
行っていませんが
20年間ずっと行ってました。

何をしに・・・
一年の感謝。

脳血栓で倒れた時は・・・、

慢心していた自分への
このような試練を通して
別の眼で見る感覚を与えていただいたことへ・・・
感謝。

朝、電車に乗って
景色を眺め
自分を振り返る。

ほとんどが怒りの場面・・・

楽しかったこともいっぱいあるのに
思い出には出てこない・・・。

12月初旬の休日の神宮はいつも空いていました。

木とコケの香りがあたり一面に広がり
寒い空気が身を引き締める・・・
時折降る雪。

帰りは松阪まで急行で帰り
松阪から特急で京都まで帰るのが常でした。

京都駅に着くころには
心がホクホク温かくなり
思い出が一掃されたように
軽い気分になっています。

このことは誰にも話さずにお出かけしてました。
恋人にも妻にも親友にも・・・

だからいつも、おひとりさまでした。

お伊勢さんの感謝参りも残すところ
あと3回になってしまいました。

月日が流れるのはとても早いですね。
時代は流れている
ですね・・・。




。。。。