10月18日に開催された京都弁護士会の常議員会(代表者による議会)で、9月27日に2名の死刑確定者に対して死刑が執行されたことに対して抗議する会長声明が可決されました。
(私も常議員の一人です。)
会長声明はこちら http://www.kyotoben.or.jp/siritai/menu/pages_kobetu.cfm?id=658
私たちは生まれたときからずっと死刑のある国で生活しています。
しかし、死刑に関する情報は開示されず、その実態は厚いカーテンの向こう側に隠されたままです。
情報を開示すること、そしてその情報に基づいて存廃について社会的議論を深めていくことが必要です。
存置すべきという人たちは、世論調査で多数が死刑を支持しているのだから議論は尽きているといいます。
しかし、それは議論されることを恐れているているだけにしか見えません。
情報が公開されて、論理的な議論がなされてしまうと、廃止という結論になってしまうかもしれない。そんなことにならないように議論することから逃げているとしか見えません。
いま、田中慶秋法務大臣が更迭か?ということがニュースになっています。
いろいろと問題が指摘されていますが、こんな法務大臣に命を奪われては納得できないと思います。
しかし、冷静に考えてみれば、田中法務大臣が特別に悪い人だとも思えません。
非難されるべきこともある反面、人のために働き、尊敬されることもしてきたでしょう。
人は誰も、多かれ少なかれ、ウソもつけば、卑怯なこと、非難されるべきことをし、失敗します。
誰も、何ら恥じるところのない人生を送ってきた人などいません。
それは、人が人である以上、あたりまえのことです。
法務大臣も、裁判官も、検察官も、人の命を奪う資格があるほどに潔癖ではない。
人である限り、誰もがそれほどに潔癖ではあり得ない。
人には誰も、他人の命を奪う資格はない。
今回の死刑執行に対しては、今日までに全国の17の弁護士会で抗議声明が出されています。
すぐに死刑を廃止できなくても、何度でも、何度でも、死刑執行に抗議し続け、問題提起していくことが弁護士としての責務だと思います。
死刑になるような犯罪を犯す人がどういう人たちかということを、
刑事裁判が間違って死刑になってしまう人を生み出してしまうことを、
誰よりもよくわかっている弁護士の責任です。