私たちはいつまで死刑を続けるのでしょうか。
間違って死刑にしてしまうおそれがあります。
裁判官も人です。だから、時には裁判にも間違いがあります。
戦後、裁判で死刑判決が確定した人は850人、そのうち4人は無実とわかって生還しました。
212人に1人が間違って死刑を執行されそうになりました。
本当は無実なのに、死刑が執行されて人もいるかもしれません。
間違った裁判で、かけがえのない命を奪ってしまったら..... 取り返しはつきません。
世界の多くの国が死刑を廃止しています。
世界の中で死刑を廃止した国は141カ国、死刑を存置している国は57カ国です。
世界の3分の2の国が死刑制度を廃止・停止しています。
先進国といわれる国の中で死刑制度が残っているのは、日本とアメリカだけです。
アメリカでも多くの州で死刑が廃止(停止)されており、廃止しようとしている州もあります。
私たちも、そろそろ考えるべきではないでしょうか。
京都から死刑制度の廃止をめざす会を立ちあげました。
ホームページはこちら http://www7.ocn.ne.jp/~kyo_shmk/
「人の弱さ知り 可能性信じて」
「私たち弁護士は、命の問題に向き合うことがあります。
弁護士になって3年目、殺人事件の被告を弁護しました。
被告は、勤め先の女性と関係を持っており、検察官は裁判で
借金をうるさく責める妻が疎ましく、愛人と一緒になるために妻子を殺したと主張しました。
しかし、拘置所で面会した被告は、普通の家庭で育ち、高校卒業後ずっと真面目に
働いてきた、おとなしくて気の弱い人でした。
なぜ事件を起こしたのか、検察官の主張する動機は表面的で、
どうしても腑(ふ)に落ちませんでした。
少しでも真実に迫りたいと思い、被告と同じ状況ならどんな気持ちになるかを何度も考え、
事件当時の被告の追い詰められた心情を推し量りました。
検察官は死刑を求刑しました。2人の命が奪われた結果からすれば当然かもしれません。
私は、被告は普通の人で、私たちも被告と同じ弱さを持っている、
そんな弱さが一定の状況下で「殺人」という行動になってしまったと裁判官に訴えました。
裁判官は判決で、被告に生きて罪を償い続けることを命じました。
恐ろしい事件も、起こすのは普通の人です。
人は誰もが弱さを持ち、間違いを犯すこともあります。
一般市民から選ばれた裁判員なら、被告の弱さも理解できるはず。
被告の命を奪い、社会から消し去るのでは憎しみと悲しみを重ねるばかりです。
人は弱い。けれど可能性がある。だから人を信じて受け入れよう。
憎しみや悲しみを乗り越える社会を、裁判員とともに目指したいと願っています。」
朝日新聞HP http://mytown.asahi.com/kyoto/news.php?k_id=27000151108220001