ひとりの男が鼻節神社へお礼に参じていた。
好いた娘との婚礼が決まったからだ。
お礼参りもすみ帰ろうとしたそのとき
地面がうなり声をあげた。
社の山ごと男も紺碧の海に沈んでいった。
859年の貞観の大地震である。
相手の娘は深く悲しんだ。娘も男を好いていたのだ。
海へむかってくる日もくる日も男の名を呼んだ。
その声が、沈んだ社へ届いたのか、ほどなく娘も身罷った。
不憫に思った家族は、海が見える小高い丘に塚をたて供養した。
それ以来、恋しい人の名をその海に向かって叫ぶと、思いが叶うという。
娘が眠る小高い丘から見える美しい白い砂浜がその当時のなごりを残している。
前塚浜という。
花淵浜の由来
貞観の地震後、鼻節神社の山一体に咲き誇っていた紅枝垂れ桜の花びらが紺碧の海を紅に染めた。
紅が波うち輝く様はこの世のものとは思えぬほどであったという。
紅の花の淵、花淵となった所以である。
紅の波は悲恋の二人の婚儀を祝うかのよう静かに舞い漂ったという。
清少納言の枕草紙にも「はなふちの社」とあり多くの歌に詠まれており、当時からその美しい様が遠く都まで聞き及んでいたことを示すものである。
後にこの地に城を築き治めることとなった氏が花淵紀伊となるも何かの縁であろう。