日日雑感

その日の気になった出来事や
七ヶ浜町の状況をつぶやいています

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愛しき友人

2013年04月17日 | ひとりごと
震災がなかったら会えなかったと思います。

七ヶ浜のために様々なかたちで支援して頂いています。

震災はたまらなく憎い!

しかし、この出逢いには感謝です。

山形県朝日町 大谷小学校 最後の卒業式の校長式辞

2013年04月17日 | ひとりごと
七ヶ浜町と友好の町である朝日町の校長先生のメルマガです。
とても素晴らしい校長先生で、七ヶ浜にボランティア活動にも来ていただきました。
美しい山並みに囲まれた自然いっぱいの大谷小学校。
式の様子が目に浮かぶ内容でしたのでご紹介いたします。
(子供たちの名前は仮名にしております) 

 北国にとって、3月は雪解けの月です。降り積もった雪が春の太陽に温められて、
透明な水となってほとばしります。私はこの季節が一番好きです。ほとばしる水が
新しい命の息吹を感じさせてくれるからです。そして、それは新しい希望へと
つながっているからです。

 12人の6年生のみなさん。卒業、おめでとうございます。君たちは6年間、大谷
小学校に元気に通ってくれました。そして、最後の1年間は全体の大黒柱として、
この学校を支えてくれました。教職員を代表して、あらためて「ありがとう」という言葉
を贈りたいと思います。

 一人ひとりに、はなむけの言葉を贈ります。

川田雄司 君
 東日本大震災があった2年前の秋、津波で大きな被害を受けた宮城県七ケ浜町の
小学生を迎えて、
大谷小学校で交流の集いが開かれました。お互いに初対面でした
から、最初はぎこちなかったのですが、君は真っ先に相手に声をかけて、その場の
雰囲気を和ませてくれました。おかげで、リンゴもぎも、その後の芋煮会もとても楽しい
ものになりました。本当にありがとう。最初に口火を切るというのは何事につけても大変
なことです。そういう自分のいいところを大切にして、大工さんになるという目標に向かって
真っすぐに進んで行ってください。

川田由芽 さん
 あなたはとても物静かな生徒ですが、みんなのことを実によく見てくれていました。給食の
配膳の時も、掃除の時も、下級生にきめ細かく気配りをしてくれていましたね。ありがとう。
書道が得意で、書き初めでよく金賞を取っていました。ピアノも習っていました。そのピアノの
先生がひいている姿をみて、自分もピアノの先生になることを目標にしたのですね。一歩ずつ
前に進んで、その夢を実現してください。

川田美里 さん
 町の陸上競技記録会で、あなたはリレーのアンカーとして走ってくれました。青葉の中を走る
姿は輝いていました。みんなに勇気を与える走りでした。学校では鼓隊の指揮者として全体を
まとめ、放送委員としてみんなを引っ張ってくれました。ありがとう。お母さんもおばあちゃんも
花が大好きで、将来は花屋さんになるのが夢でねす。お店を訪ねた時に思わず笑みがこぼれる
ような、そんんな花屋さんになってください。

川田良哉 君
 日光と福島に修学旅行に行った時の帰りのバスのことを思い出します。君は、「ワイルドだろう~」
とスギちゃんのもの真似を連発しました。バスの中は爆笑の渦でした。スポーツ少年団でバスケット
の練習に励む君の姿からは想像もできない、もう一つの意外な顔を見せてくれました。「芸は身を
助ける」と言います。その才能を大切にしてください。カーレーサーになるのが夢で、そのためにちゃん
と勉強しますと書いていました。夢を叶えるために、その誓いを大切にしてください。

須藤 愛 さん
 あなたは、ニコニコしている時が本当に多かったですね。苦しい時でも笑顔を忘れず、みんなを励まし
てくれました。そのえくぼに表彰状をあげたいくらいでした。ありがとう。優しい看護師さんになって患者
さんを勇気づけてあげるのが夢です。優しさは折り紙付きです。一歩一歩、その夢に向かって進んでくだ
さい。

加藤一平 君
 君の笑顔も、時には桃ちゃんに負けないくらいでした。クラス全体、学校全体をいつも明るくしてくれて、
ありがとう。スポ少のバスケットの練習も一生懸命にやっていましたね。体育館でそのドリブルのうまさを
見て、感心したことを覚えています。夢は美容師になって、お客さんみんなを笑顔にすること。大丈夫です。
今の笑顔を忘れずに努力すれば、きっと実現できます。

白川貴子さん
 あなたは、4年前に私が大谷小学校の校長として赴任した時、最初に出会った生徒でした。始業式で
3年生を代表して「がんばり発表」をすることになり、その練習のために一人で学校に来ていました。
あの時は自信がなさそうでしたが、今では、みんなの前で話す時にも実に堂々としています。頼もしい
限りです。将来の夢は犬や猫の世話をするトリマーですね。これからも自信を持って前に進み、その夢を
叶えてください。

伊藤 大志 君
 君は、クラスでは勉強の面でも行事でもみんなの背中を押してあげる役割を引き受けてくれました。
また、縦割り班では下級生の面倒を見る班長の役割をしっかり果たしてくれました。何でも安心して
任せることができる生徒でした。本当にありがとう。将来はテニスの選手になって世界の各地を訪ね
たいという夢を抱いています。中学に進んでも、これまで同様、文武両道で頑張って、その夢に挑戦
してください。

川田恵 さん
 5年生の秋に田んぼで稲刈りをした時のことを思い出します。みんなが戸惑っている中で、あなたは
しっかりと稲を刈り、束ねていました。宿泊学習で木をこすり合わせて火起こしに挑戦した時も、最初に
火おこしに成功したのはあなたの班でした。慣れない、大変なことをする時、クラスのみんなはいつも、
あなたがどうするかを見ていました。とても頼りになる存在でした。将来の夢はマンガ家。厳しい道です
が、じっくり構えて、自分を磨き、夢を叶えてください。

岡部啓治 君
 君は町の陸上競技記録会でも水泳記録会でも大活躍し、みんなを引っ張ってくれました。運動会でも
赤組の組頭として獅子奮迅の活躍でした。ありがとう。君にはサッカーのことをたくさん教えてもらいま
した。地元のチーム、モンテディオ山形のことは誰よりも詳しかったですね。夢はサッカーの強い大学に
入って、プロのサッカー選手になること。高い運動能力を活かしてその夢に挑戦してください。

高村綾乃 さん
 大谷小の体育館で剣道の練習を始めて間もない、4年生のころでした。あなたは「いくら練習しても
結果が出ない」と少し悩んでいました。けれども、その後も練習を休むことはありませんでした。精進を
重ね、剣道の大会で次々に優勝カップを手にするようになりました。「努力は裏切らない」ということを
身を持って知ったのではないでしょうか。「剣道日本一」という目標に向かって、これからも倦(う)まず
弛(たゆ)まず、研鑽を積んでください。

山村みすず さん
 あなたは、クラスで一番静かな生徒でした。でも、作文を読むと、口には出さなくてもあなたがいろいろ
なことを深く考えていることがよく分かりました。学校文集に、おばあちゃんと黒豆を煮てお正月料理を
作ったことを書いていましたね。優れた作文でした。これからも自分の力を信じて、文章を書き続けて
ください。洋服のデザイナーになるのが目標です。新しいものを生み出すという点では、文章もデザイン
も共通するものがあります。コツコツと努力を積み重ねてください。

在校生のみなさん
 いつもみんなをリードしてくれた6年生は、今日、大谷小学校から巣立っていきます。少し心細いかも
しれませんが、4月からは新しい仲間が入ってきます。その新しい仲間と力を合わせて、また「元気で
楽しい学校」をつくっていきましょう。伝統というものは、そうやって少しずつ積み上げていかれるのだと
思います。新しい先生方と新しい伝統を築いていってください。

保護者のみなさま
 お子様のご卒業、まことにおめでとうございます。みなさまに手をつながれて大谷小学校の門を
くぐったお子様は、今や中学校の制服に身を包み、こんなに大きくなりました。それぞれ、胸にこみ上げて
来るものがあるのではないでしょうか。この6年間、お子様を元気に大谷小学校に通わせていただき、
本当にありがとうございました。どの子も、豊かな感受性と多様な才能に恵まれています。大らかな目
で、また温かい心で、これからもお子様たちの成長を見守ってあげてください。もちろん、わたくしたちも
いつまでも応援し続けます。

ご来賓のみなさま
 本日はお忙しい中、大谷小学校の卒業式にご臨席たまわり、誠にありがとうございました。校長として
4年間、大谷小学校を運営してまいりましたが、朝日町と北部地区のみなさまには、あらゆる局面で最大
限のご支援をしていただきました。あらためて、深く感謝申し上げます。
 4年間を振り返ると、与えるよりも与えられることの方が多い日々でした。教えるよりも教えられることの
方が多い4年間だったような気がします。感謝の言葉を重ねて、卒業式のご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。

  *3月18日、山形県朝日町立大谷小学校の平成24年度卒業式での校長あいさつ

被災地への玉音放送

2013年04月17日 | ひとりごと
たまたま見つけて読んだら震災からの復興へ頑張っている方々へのメッセージにも
通じる気がしたので載せてみました。


ネット上にこんなのがあった。「玉音放送を現代語訳してみた」
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」このフレーズは何度も耳にした。
そして、これが玉音放送で唯一理解出来る箇所でもあった。
何を言ってたのか、全文理解してみようなんて思った事なかった。
そして、これが現代語訳だそうです。
あの時代、国民はどんな想いでこの放送を聞いていたんだろうか、。



世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。

私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。
そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。

最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。

けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。


その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。

そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。

私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。

この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。

けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。

私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。

感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。

何とか国全体が1つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。

私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。



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