1月31日、昼間はKa氏の告別式に行って来ました。Ka氏は地元のだんじり保存会で活躍した人で、ゆうべもそうでしたが、保存会関係の人たちが大勢参列していました。
この日はスーパームーンの満月&皆既月食の天体ショーが見られる日でしたが、天候が不安定で天体ショー見えるかどうか判らないなぁと思いながら夜を迎えました。結果は下の写真の通りです。というか もっと写しましたが 代表的な4枚を載せることにしました。
夜の8時過ぎから 空は一面の薄雲に覆われ、コンディションの悪い日でした。 下の写真の右3枚は全部 薄い雲がかかっていました。 でも、最後に写した皆既月食の直前の赤銅色の月が撮れたので 良かったです。
前回の皆既月食は2014年10月8日の夜でした。その時の写真記事は次のURL(アドレス)に載せています。
http://blog.goo.ne.jp/kusunokinosato2010/e/ef0d9efcd7219e6daa0d402d25d9753f
☝皆既月食に進む満月です。左から 18時51分、21時05分、21時50分、22時16分の順です。この後 雲に隠れてしまいました。
昨日、近所のおじいさんが亡くなられました。今晩がお通夜、明日 告別式です。 お通夜へ行くことを考えると 昼間から落ち着かず、家の中の整頓、廃棄などをしました。断捨離の一環です。テレビなどを断捨離の様子を紹介していますが、とてもあのようにできません。何度も何度も繰り返し要らない物を処分する要領で進めないといけないなと思っています。
暗くなって、お通夜に行きました。 最近には珍しく比較的きっちりと丁寧に行なうのだと感じました。明日の告別式にも出席する積りです。
葬儀場までの行き帰りは葬儀社のマイクロバスでした。 お通夜が終了して家の近くでマイクロバスを降りた時に、マルイ月が出ていることに気づきました。 そう言えば 明日は満月、しかも皆既月食になるのです。 明日の天候によれば月そのものが見えない可能性があるので、十四夜の月を写しました。
☝空を広く写しました。月が東の空高く登っています。 ☝十四夜の月です。いつものように月を大写ししました。
1月29日、Talking Gospel12のレッスン日でした。やっとこの日に先日印刷業者から届いた「Talking Gospel12史」をレッスン場所に持ち込みました。昨年秋に開催されたTalking Gospel12周年記念コンサート・パーティーでプロジェクターで映し出した写真を元に12周年記念コンサート・パーティーの写真も加えて表紙も作って冊子作りを行ない、やっと完成しました。 下に冊子にまつわる写真を中心に載せてみました。
この日のレッスン曲は 「As the Deer」、「Deep River」の2曲でした。今年も湊町リバープレイスで、高齢者ホームで、そのほかの場所で歌ったり、300人の大合唱に取り組んだり、Talking Gospelの合宿など行事が続きます。Talking Gospelの大忙しの13年目が始まっています。
☝いつもの大阪産業創造館です。 ☝ホワイトボードの連絡事項などを熱心に見入るメンバーです。
☝今日のレッスン開始前に配布した12年史に見入るTalking Gospelメンバーです。
☝Talking Gospel12年史を手にして全員で記念写真を撮りました。
☝完成したTalking Gospel12年史の中はこんな感じです。 ☝12周年パーティ用画像から、冊子作りまで担当した2人です。
朝、拙宅の庭は1~2cmの積雪でした。もしかしたら生駒山の上の方は銀世界かも、と思って登ってきましたが ほとんど雪はありませんでした。 ここ数日の寒さの影響でしょうか、今日は山登りのハイカーたちが少なかったです。着込んでいたので寒さはあまり感じませんでしたが、豊浦橋の下を流れる川が少し凍っていました。
今日のコースは 近鉄・枚岡駅⇒枚岡神社⇒豊浦橋⇒枚岡展望台⇒神津嶽休憩所横⇒弘法の水⇒暗峠⇒大原山頂上⇒森のレストハウス(昼食休憩)⇒ぼくらの広場⇒なるかわ園地案内所横⇒神津嶽休憩所横⇒枚岡展望台⇒枚岡神社⇒近鉄・枚岡駅。 運動量は 歩数 18471歩 消費 610.2kcal 歩行時間 3時間15分 歩行距離 12.4kmでした。今回の山行でスマホのアプリYMAPを近鉄枚岡駅で「スタート」登録をして登ってきました。下山して枚岡駅で「終了」を押して 今回の山行データー取得を完了しました。いろいろなデーターが取得できたり、歩いた軌跡が残っているのも興味深いことです。
☝今朝、目覚めたら拙宅の庭が1~2cmの積雪の銀世界でした。
☝生駒山歩きの出発点・近鉄・枚岡駅です。 ☝枚岡神社にハイカーの姿が1人でした。 ☝登る途中にほら貝の練習をしている女性が。
☝豊浦橋の下、豊浦渓のあたりを流れる水流はところどころ凍っていました。
☝枚岡展望台の景色を眺めるハイカーたちです。 ☝枚岡展望台を出発して山を登って行く人たちです。
☝暗峠でです。路面が少し凍ってました。 ☝暗峠あたりから北方向に生駒最高峰が。 ☝信貴生駒スカイラインの路面が真っ白です。
☝暗峠から大原山へ向かう白い道を行くハイカーです。 ☝大原山からぼくらの広場方面へ向かうハイカーです。
☝森のレストハウス(無料休憩所)内はいつもより空いていました。
☝ぼくらの広場で見かけたアオジです。 ☝ぼくらの広場の表示柱で記念撮影です。
☝ぼくらの広場から西方向の展望です。向かいが六甲山系ですが、よく見えません。
☝府民の森管理事務所へ降りてきました。 ☝府民の森管理事務所へ郵便が届きます。
☝下山の時も枚岡展望台へ寄りました。 枚岡展望台から見た下界の風景です。
今日の高大は 「バルカン半島の音楽」の講義でした。先生は民族学博物館の 新免光比呂准教授でした。随所で音楽を聴かせてもらいながらバルカン半島の民族、地勢についての講義を聞きました。
インターネットで調べた内容を以下に示します。
バルカン半島の音楽は、他のヨーロッパ地域にはない、共通した特徴を持っている。これは主に、現在のバルカン半島の音楽はこの地域に存在した多くの民族の伝統音楽から始まり、オスマン帝国の支配の下でそれらが相互に影響しあって誕生したためである。また、汎地域的に興行したロマ(ジプシー)によってもたらされた影響も大きい。この地域で多数を占めるセルビア、ブルガリアなどの南スラヴ系の諸国の音楽は、キエフ・ルーシやソビエト連邦に代表される西スラヴ系のものとは大きく異なっています。
ユーゴスラヴィアのロックミュージックは1950年代に始まりました。当初はエルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーなどの影響が大きく、多くのバンドがこぞって彼らの真似をしました。当時を代表するミュージシャンは、「ベオグラードのプレスリー」ことMile Lojpur(ミレ・ロジプル)です。当時珍しかったナイロン製のシャツを着て、マイクを取り付けたギターを奏でる独特の出で立ちは、ユーゴスラヴィアの明るい未来を象徴するものでした。
ユーゴスラヴィアは1943年から1992年まで存在した社会主義国家です。絶対的なカリスマ指導者ティトーのもと、多民族・多宗教の人々が集合し、独自の社会主義路線を歩みました。「兄弟愛と統一」をスローガンに、公平な経済と富の分配を目指しますが、次第に構成国の独自路線は進んでいきます。ティトーの死後ますます分権化は進んでいき、各地で構成国の独立戦争が勃発するようになり、1992年に連邦は解体。現在は、クロアチア、スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナとしてそれぞれ独立国となっています。
☝新免光比呂准教授です。 ☝ヨーロッパ地図とバルカン半島拡大図です。
☝ルーマニア歌謡の演奏団です。☝ベオグラードのプレスリーことMile Lojpur ☝ジプシーの音楽集団です。
☝帰りの電車が若江岩田駅に到着後、ホームの端から生駒山方面を写しました。雪を思わせる雲が出ていました。