からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

泉 沙世子  『カス』 Music Video(歌詞入り)

2022-09-18 | 小説
泉 沙世子  『カス』 Music Video(歌詞入り)



Passion Pit - Carried Away (Official Video)



anamu&maki (アナム&マキ) - ケセラセラ (Que sera, sera)



Juice Newton - Queen Of Hearts • TopPop



BrainStorm - Maybe (Official Video)



(ちんちくりんNo,90)



終章


 真っ暗だ。右も左も上も下も勿論前後も。

 夢を見てきたような気がする。目が覚め最初はぼんやりと夢の尻尾を掴んでいたような感覚があったのだが、意識が明瞭になっていくに従って自分の周囲が闇に包まれ、しかも足が地についていないことに気付いて、海人の心臓は一気に跳ね上がった。そのため思わず夢の尻尾を離してしまい、後に残ったのは何故自分がこうして深い闇の中に浮遊しているのかという疑問だけだった。ここは何処なのだろうか。海人にはまるで見当がつかなかった。
 暫くして、はて、ところで俺は一体誰なのだろうか、彼は自分に「神海人」というれっきとした氏名があることさえも全く記憶の外に置いてきてしまったらしい。言いようのない不安にかられた。無理もない。辺りは闇で宙に浮いている状態、その上自分が何者であることも分からないとなると、疑問符だけが頭の中に溢れるばかりで、終いにはその後の自分のごく近い未来さえも想像出来ないことを知ってしまったのだから。
 海人がその状態から腕や足を泳ぐように動かせば、とりあえず移動出来ることに気付き、幾ばくかの落ち着きを取り戻した頃、正面に光るものを見た。円形であることは認識できたが辺りを照らすような光ではない。円形の中だけが白色に光り、その周辺に全く光が漏れていない。まるで黒い色紙をそこだけ彫刻刀でくりぬいたようだと海人は思った。光るものが近づくにつれ、海人はその「もの」が奇妙な動きをしていることに気付いた。まず、円ではなく球であること。その球が大きな揺れもなくただ一直線に海人に向かってくること。つまり、球は宙に浮いている状態ではなく何かに乗って、或いは何かに支えられてこちらに向かって来ているようなのだ。球の背後にそれを運んでいる誰かがいる?それにしては人の気配というものがしないのだが……。
 光る球の正体がどうやら水晶玉のようで、占い師が使うのに丁度手ごろな大きさだ、と海人が感じたとき、その水晶玉は微妙な距離を残して俄かに静止した。海人は目を凝らしたがそいつの背後は相変わらずの暗闇で、何者かがいるのかどうか分からない。だが、ふっと呼吸音のようなものが聞こえたと思った瞬間、静止していた水晶玉はまるで下手から投げられたりんごのごとく、緩やかな放物線を描いて海人のもとに向かってきて、彼の目前を今まさに通り過ぎようとしたので、思わず海人は両掌を前に差し出しそいつを捕獲した。衝撃はないに等しかった。
軽い、というよりも重量を感じさせない白色に光る水晶玉。海人が不思議に思い、どれどれと覗き込むと、光るだけだった玉の内部に黄色や赤や青など何色にも重なった渦のようなものが現れた。渦は幾つかに分かれ、また統合し横に広がり縦に広がり、それを繰り返すうちに、徐々に何かの映像のようなものが浮かび上がって来た。
最初に目にしたのはドアの映像だった。周囲の様子から恐らく玄関の。天井から斜め下、引き気味に撮影されているため部分的に土間も映っている。妙にきっちりと揃えられた男物と女物の靴が一組ずつ端に見える。誰の家か。海人が想像していると、しばらくしてドアが引かれた。女が玄関内に入って来たのだ。コンビニの買い物袋を左手に下げている。歳は五十代にも四十代にも見える。髪を前で切り揃えボブ系の頭にしているせいか若く見え、アラフォーと言っても通用しそうだ。画面の中にはいないが、彼女のすぐ前方には誰かがいるのか、一言二言声をかけているようだ。音声がないので何を言っているのか分からないが、多分名前を呼んでいるのだろう。カメラの位置がやや下方に降りたのか、女の表情が見て取れその表情が見る見るうちに変わっていった。異変?彼女は下げていた買い物袋をするっと落とし、サンダルが脱ぎ捨てられるように軽く宙に舞ったと思ったら、女は式台を飛び越えるようにして駆け画面の縁の先に消えた。何があったのだろう。
 海人は先ほどから女が誰なのか気になっていた。何処か懐かしいような容貌。見知った人物のような気がしたが、思い出そうとすると脳髄の底にイソギンチャクでも張り付いているような重く鈍い違和感が広がった。再び水晶玉に目を落としても、画面には誰もいない玄関が映っているだけ。この画面の縁の先だ。その映っていない「先」で何か大変なことが起こっているような気がする。アングルだ。アングルが逆にならないのか……。すると海人のその意思が伝わったのか、突如画面が切り替わった。そこには……尻を地につけアヒル座りになっている女がいた。やや後ろからだが辛うじて横顔が見て取れた。廊下?彼女はその廊下の上に横たわっている「男」の上半身を抱きかかえ、「男」に向かって必死に呼びかけを行っていたのだ。意識を失っているのか。脳梗塞かなにかで倒れたのか。彼女はそれこそ泣きじゃくりながら、必死に「男」の意識を戻すべく恐らく、彼の名前であろう言葉を連呼していた。夫婦だろうか?海人はまた「男」の方にも興味を持った。ただ、「男」の表情が海人には、女の体が邪魔になっているせいかよく分からない。くそっもう少し回り込んでズームアップしてくれれば……。すると、また映像の視点が横へ回り込むように移動していき、「男」が見える位置で静止して、その位置で徐々に「男」の顔をズームアップしていった。画面いっぱいになった「男」の顔、海人はその「男」の顔のパーツ全てを、顔を擦り付けるように見た。まさか、そんな馬鹿な。大きな衝撃を受けた海人はその反動からか、瞬時に「男」が何者かを知った。

 アノオトコノナハ、ジン・カイト。アレハオレ、ダカラ、ココニイルオレモ……。

 特に記憶が蘇ったという感覚はなかった。実際目が覚めてから、海人は自分が何者なのかここが何処なのか全く記憶というものがなかったし、しかも自分の顔というものもこの暗闇の空間では確認しようがなかったのだから、「男」の顔が自分の顔と瓜二つであることなど、気づくはずがなかった。直感だった。直感が海人に事実をもたらしたのだ。
 水晶玉の中に突然七色の渦が出現した。その渦はまるで火の玉のように尾をなびかせてアップになった「男」の映像の周囲を飛び回る。予想外の動きをしながらも、それは中心に向かって幾重にも大小の円を描き、飛翔するものだから、やがて「男の顔」はそれに巻き込まれるようにして崩れた。渦巻きは、今度は分割されるのではないようだ。逆に膨れ上がり、暴れまくったために、水晶の表面にかなりの熱を広げた。熱で持てなくなった海人は水晶玉を手放す。と同時に水晶玉は一瞬のうちに粉々に散った。すると外部に出た七色の渦巻きは瞬く間に人間二、三人は呑み込めるほどに膨れ上がり、そこまでの大きさになると、今度は空間の一部にまるでドリルのように回転して丸く大きなトンネルのようなものを掘り進めていった。空間の奥底、深く深くどこまでも。さながらそれは「時のトンネル」というべきか。そのトンネルの前で海人は立ち尽くした。このトンネルを行けというのか?―と、海人の右手を何者かが握りしめた。温かく優しい手。彼の手を握りしめるノッポの女の影。海人にはそれがもう誰なのか分かっていた。かほる、お前なんだな。女の影は振り向き、こくんと頷いた。……ここはまだあなたが来るところじゃない。あなたにはまだやらなければならないことがあるのよ。それに……わたしは姉さんを悲しませたくないもの。海人も頷き、その後二人は、トンネルの中に飛び込んでいったのだった。


 病室というものは何処もこういうものなのか?

 海人は周囲を見渡す。ベッドの左には大きくもなければ小さいわけでもない普通のサッシ窓、角には壁に寄せた冷凍機能のない小型の冷蔵庫があって、その上に16型のテレビがのっかっている。右にはゴロが付いていて、動かせるようになっている三段の収納机。奥の方に引き戸になっている出入口があって、その横にはトイレと洗面所が設置されていた。あとは……、点滴スタンドやら、血圧や血中酸素濃度とか心拍数とかを計測する機器が足許に並んでいる。なんてつまらないところだ、と思った。もっとも病院に入院していて楽しいなんてことがあるわけないか。
 海人はベッドをたてて、身体を起こしていた。すぐ前にベッドテーブルを掛け、その上に仕事に使う15インチのノートパソコンが置いてある。

 海人がこの病院に運ばれてからもう二週間になる。運ばれて来たときには意識もなく、心臓も止まっている状態だった。それを、医師の懸命な処置によって海人の心臓は再び動き出したが、意識だけはそれから三日間戻らなかった。裕子は医師から、「呼吸がなかった時間を考えると脳に何等かのダメージがあったろうし、それを考えるとこのまま植物人間状態になってしまうか、もしくは意識が戻ったとしても普通の生活はもう無理だろう」と言われ、彼女自身精神的にもかなりのダメージを受けたが、海人が目覚めたとき、恐る恐る私が誰だかわかるかと問うたら、彼はきょとんとして「裕子だろ?裕子だよ。俺の大事な大事な恋女房」なんて言うものだから、彼女は途端に脱力してその場に座り込んでしまい、バカ!と大きな声で泣き出してしまった。
 意識もなく?裕子からそう聞いたとき海人は奇妙な思いにとらわれた。海人の記憶からすると、一度、彼の意識は戻っていたからだ。意識が戻ったとき、海人は裕子に抱きかかえられていた。はっきりと目を開け見たわけではないが、彼女は泣きじゃくりながら必死に彼の名前を連呼していた。彼の胸に顔を埋めながら叫んでいたものだから海人は返事をしたつもりだった。―大丈夫、俺は生きているよ、と。確かにはっきりとそう返事をしたはずだ。その後、彼は無性に眠くなり再び意識が底へ落ちていくのを感じたが、その意識のはざまで裕子の声とは別にもう一人の声も聞いた。

 さようなら海人、好きだったよ。またいつか会える日を期待して―。

 ああ懐かしい声だ。あれは悔いが残る、胸が締め付けられるような思い出。あのとき、もう三十数年も前にもなる″かほる″との別れのとき。好き、という言葉を二人とも、とうとう口から出すことが出来なかった。かほるはそう言いたかったのだろうか。……本当は、あのとき俺の方がそう彼女に伝えるべきだったのに。

 入院して三日後に目覚めてから、海人は意識が戻っても意外なほど筋力が落ちていることに驚いた。脳の機能的にも異常がないかMRIを撮ったり、脳波を調べたりして様々な検査を受け、そちらの方は記憶力がやや落ちているようではあったが、その他は特に異常がなかった。なので日々筋力を取り戻すためのリハビリを受けている。もう十日ほどリハビリを受けているので、海人はもういい加減いいではないかと言っているのだが、担当医師の返事は「まだ、何らかの後遺症が出るかもしれない。様子を見るため一か月は入院してもらわないとね」とつれなかった。
 海人は病室にてパソコンを前にして考えている。龍生書房の七瀬社長に依頼された書下ろしの小説はほぼ完成していた。学生時代の海人とかほるの出会いと別れの物語。倒れる前に書き終えていたのではあるが、最後を直したくなって裕子にそれを保存してあるノートパソコンを持ってきてもらったのだった。元は主人公とヒロインが好きとも言えず別れたところで終わりにしていたのだが、それは削除し別れることは必然だと分かっていても、告白を選ぶ主人公という場面設定にしてそれを詳細に描いた。どちらも悲劇には違いないが、読んでいる人により想いを伝えるためにはそうすることが一番だと考えたし、海人自身も自分の過去に何らかの決着をつけたいと思ったからだった。

「あら、なにを難しい顔をしているの」

 唐突に病室に入って来た裕子が腕組みをしてパソコンの前で考えている海人に向かって訊ねた。

「いや、タイトルを何としょうかと思ってね」

「タイトル?まだつけてなかったの?」

「俺がタイトルは最後に付ける性分だということは知ってるだろ」

 海人がそう不機嫌そうにすると、裕子はムスッとして何が言いたいのかぶつぶつと呟き出す。海人はまずいなと思ったけれど、そういった自分たちの今までの関係、経緯を客観的に考えてみると、何だかコミカルではあるなと思った。ならば(何がならばか分からないけれども)思い切ってタイトルはコミカルにしよう。

「なあ」

「何よ」

「『ちんちくりん』ってどうだ」

「ちんちくりん?それはあなたとかほるのことをモデルにした小説よね。かほるのこと?ちんちくりんって。かほるはほっそりとしたモデル体型よ。ちんちくりっていうのは背が低くてぽっちゃりした人が、全くサイズの合わない服を着ている様っていうか……そういうことじゃないの」

「俺は、ちぐはぐな様相で、性格も超個性的なんだけれど何だか憎めない奴って意味に思っているんだけどな。かほるってそういう奴だったんじゃないか」

「うーん。憎めない奴っていうのは確かにそうね。ちんちくりん、かあ。そういえば何だか愛らしい響きがあるね」

「うん。そうだろそうだろう。じゃ、決まり!」

 海人は早速パソコンのキーを打ち込んだ。

″ちんちくりん″

 おお、よいではないか。改めて活字にするととてもしっくりくる。
 海人が悦に入っているところに裕子が収納机の一番上の引き出しを引いて下着の入れ替えをしながら、訊いてくる。

「ねえ。あなたとかほるの物語はこれで終わりよね」

「はあ、そうですが」

「なら次回作は?」

「へえ」

「当然私とあなた、との物語、を書くのよね」

「へえ」

「なら良し!」

 嘘である。いや、勿論いずれは書くだろうが、海人はその前に誰もが憂い、誰もが苦しむ問題、例えば犯罪、事故、病気、天災などのもう少し大きなテーマに挑戦してみたいと考えていた。その中で人間は如何に生き抜いていくか、さまざまな人間模様を描きながら、それを読んだ人々に何らかの癒しになったらそれでいい。
 2011年には東日本大震災にみまわれ、ここ何年かは毎年夏の時期になると各地が大雨による洪水の被害に遭っている。今後何が起こるか分からない。もしかしたら殺人的な病原菌が現れ、人間は苦難の道を歩かねばならなくなるかもしれない。そういったときに、何か救いになるような小説が書けたら……。
 
―ねえ。

裕子に呼ばれて海人は顔を上げた。すると裕子は海人の肩に両腕を巻き付けるようにして体を寄せ抱きついた。

 ―よかったあ。本当によかった。

 ―心配かけたね、ありがとう。それに、きみに出会えて俺こそありがとうなのだから。

 海人は心底そう感謝しながら、裕子の小さな背中を優しく撫でたのだった。







 調べたらこの小説を書き始めたのは2021年の2月26日でした。なんと書き上げるのに1年7か月もかかるとは。もっとも、ペースも遅く不定期の連載でしたからまあこんなものかなと思います。
 これからこの小説を再度読み直して修正をかけたいと思います。恐らく直さねばならないところは多数あるでしょう。原稿用紙にすれば300枚近くはあるこの小説は、バージョンアップしたのち、再度またここに載せる予定です。そのときにはかなり読み易くなっていると思います。
ということで……では、また、いつか成長した神海人が皆さんに会いに来ることでしょう。

2022年9月17日
小説「ちんちくりん」終了す。
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The Beautiful South - Perfect 10 (Official Video)

2022-08-07 | 小説
The Beautiful South - Perfect 10 (Official Video)



隣の部屋 柴田淳



THE NEWS 誰かの贅沢で殺されたくはない



Janis Ian - At Seventeen • TopPop



America - First Aid Kit (Paul Simon cover)



(ちんちくりんNo,89)


 それ以降僕の人生は、忘れていたもう一本の道を再び探し当てたことで、俄かに動き出した。毎日が忙しくなった。妻の裕子が僕の担当なものだから、彼女が夜帰ってきてから、毎日のように大筋の話は変えずに、新聞小説としてどのように構成していくか二人で考え、また読み易くするための文章の区切りや訂正、削除、加筆等を夜半過ぎまで二人で検討した。そういった状況に僕はデジャヴみたいなものを感じていたが、考えてみれば結婚前、彼女がまだ龍生書房の一編集者で、僕の担当をしていた頃にはよくあったことだったのだ。あの頃の感情、あの頃の想いをまた味わうことになろうとは―。僕は彼女と相対する度に彼女に対して長い間持っていた疑念、わだかまりが徐々に氷解していくのを感じ、何故もっと早くこのように動き出さなかったのかをほんの少しだけ後悔した。
 僕の連載小説は半年で終わったが、その後甲斐日日新聞社でその小説を一冊の単行本にして出版する話をもらい、それからまた三か月近くはそのための仕事が続いた。本が出来上がり手にしたとき僕は手が震え、自分の小説が世に出るということはこんなにも重いのだということに、まるで新人作家のように畏怖し、改めて自分の行くべき道について考えた。今更何をと思いながらも……。


 僕は今思う。

 最初に15年の間、人生で最も平穏な時を過ごして来たと書いたが、どうやらそれは間違いなのだということに僕はここに来てやっと気づいた。

 僕は思う。

 15年間、最後の方は別にしても、僕は人生で最も動かない時を過ごして来たのだ。

 それがやっと動き出したということ。

 僕は炬燵に自らの体を足から潜り込ませ、背にしながらうつ伏せになって寝そべっている。天板と炬燵の間には炬燵用の布団が敷かれ、大きく四角に広げられているのだから傍から見ると炬燵に潜り込んでいる僕は、さながら蝸牛のように見えるんじゃなかろうか。ん?「こたつ」に「かたつむり」で〝こたつむり″―か。これ、いいかもしれない。

 バカなことを、と思いながら体を捻って天板の上に置かれたノートパソコンの画面を見る。ため息をついてまた元の体勢になる。
 朝から無性に体が怠い。しかも今日は自分の誕生日。だからといって二つのことには何の関連もないのだが、ともかく熱がありそうだったので学校の勤務は休んだ。57歳か……。別に祝ってもらおうとは思っていないが、娘は私用で出かけ妻は朝から二階に引きこもり。これ如何に。―ああ、具合が悪いんだけどなあ。
 裕子とはあの新聞小説の連載以来会話が増えた。またそれが本になった後の彼女の突然の総務部への移動、それによってほぼ定時に帰れるようになったことで、夕食も共にすることが多くなった。長い間僕が抱えていた彼女へのわだかまりもなくなったといってもいいのかもしれない。しかしどうもいけないことがある。時に嫌味のごとく冷たくされることがあるのだ。例えばテレビで奥さんが病気の旦那さんを必死に看病している場面を二人で見ているとする。裕子は何気なく呟くのである。「ああ、ダメだわ。私にはあそこまでは無理。絶対できない、ね。」と。しかも僕の顔を見てそれとなく同意を求めるような言い方をするのだ。たまったもんじゃない。そういうことをされると僕は怒りとともにチクリと心臓を針で刺されたような気分になり、それからすぐに、微妙にまっさらな運動靴が泥水に触れたときのような、何とも言い難い複雑な感情に襲われ、一気に落ち込むのだ。でも、もともと裕子は昔から皮肉屋のようなところがあって、若い頃の僕はそれが彼女の一種の魅力のように感じていた。それがそこまで神経を逆なでされたと感じるようになったということは、僕はもう若くはないのだなということなのだと思う。だから、結局仕方がないのだと思うことにしている。
 それよりも原稿の依頼。一月ほど前、久しぶりに龍生書房の七瀬社長から電話があった。最近中古書市場で昔の僕の作品が俄かに人気になっているらしい。そこで書下ろしの新作を書いてみないかと……。また、君の全集をうちで出したいと考えているとも言われた。僕が何故僕なんですかと訊くと、彼は、あと何年かで引退したいと思ってねと応えた。最後の仕事ってやつですか、それなら薫りいこさんがいるでしょう、何故?僕の返しに彼は少し戸惑ったのか三拍ほど間が空いてから言葉が返って来た。

 ―君がいいんだ。

 七瀬社長はそうはっきりと言い、それから、じゃあ頼むよの言葉で最後にしめて電話を切った。

 ふと窓の外に目を遣ると暗くなってきている。いつもはそうは思わないのに何故か具合が悪いのにもかかわらず、そろそろ玄関の外灯を点けた方がいいかなと思った。僕は炬燵から抜け出して玄関へと向かった。
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Joni Mitchell - Both Sides Now (The Johnny Cash Show)

2022-07-24 | 小説
Joni Mitchell - Both Sides Now (The Johnny Cash Show)



日食なつこ - '√-1' Live Video / ピアノ弾き語りver.(2022.03.30)



嘘(Live) | grapevine in a lifetime presents another sky(official teaser)



First Aid Kit - The Lion's Roar (Official Music Video)



The Beatles - Eight Days A Week





(ちんちくりんNo,88)



「……書こうか」

「え、何を」

「いや違った。俺に書かせてもらえないだろうか」

「書く?あなたが?この仕事を、新聞小説を代りに書こうって言っているの」

 僕の突然の申し出に裕子は、テーブルの上に両手を突き、身を乗り出すようにして僕の顔を見た。

「できるの?あなたはもう二十年近くも小説を書く生活から離れている」

「また始めている」

「え」

「きっかけがあってね。昔のことを思い出した。思い出したら無性に書きたくなったから、パソコンを開いてともかく思い浮かぶままに文字を打ち込んでいった。」

「震えは…」

「それが、まったく。不思議なくらい気にならなかった」

 そこまで訊くと、裕子は暫く何か考えている風に目を瞑り、右のこめかみに人差し指を当て沈黙した。その間、僕は目の前に置かれていたビール缶を手に取り、プルトップに指をかけて開けると、中の黄金色の液体を口から喉を鳴らしながら流し込んだ。僕自身も久しぶりのアルコールだった。何だか胃の底が熱くなるような気がした。裕子を見た。別に「思惑」があって僕に話しかけてきたわけではないのか。僕は少し残念に思った。沈黙は長く感じたが、実際は五分程度だったと思う。ゆっくりと瞼を上げた裕子が口を開いた。「……で、何か出来上がったものでもあるの?あるのならその原稿を見せて。良さそうだったら明日編集長にかけあってみるわ」


 結果からいうと、甲斐日日新聞の朝刊に僕の小説が載ることとなった。パソコンに保存してあった二百枚程の原稿をUSBメモリに落とし、裕子に渡すと、彼女はそれを持って二階の寝室へと向かった。翌朝キッチンで目を合わせたら、白目が赤く血管が浮いているように感じられたので、「無理はしないでいい」というと、裕子は上下の瞼がくっつきそうになりながらも優しく笑った。「これいいよ。いい、とても」
 驚いたのはその夜にもう結果を知らされたことだった。裕子が帰ってくるなり「この原稿をもとに、月曜日から金曜日、一回分が千文字、半年間の連載よ。いい」といきなり早口で言ってきたので「何それ」と返すと「何それって、新聞の小説。決まったんだからぐずぐずしないで」と激せられた。実は僕自身「書く」と言ったはいいが、それが認められるとは思っていなかった。昔は「売れた」とはいえ、その時出した殆どの書籍が絶版になっているし、やはりよく考えてみれば二十年もブランクのある作家の小説など誰も見向きもしないだろうと思っていたのだ。あとでそれとなく裕子に訊いてみたら、以前から、編集長に何とか書いてもらえないだろうかと言われていたのだそうだ。僕はずっと引退したような状況だったし、また書き始めたことも裕子に話していなかったので、彼女は編集長に言われるたびに「もう、書いていないので」と断っていた。因みに編集長は僕の小説の古くからの熱心な読者だった。もうとっくに忘れ去られたと思っていたのに、僕は一人でもそんなに熱心な読者がいたことにいたく感激したのだった。
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Lou Reed - Vicious (audio)

2022-07-18 | 小説
Lou Reed - Vicious (audio)



【LIVE】ゴーゴー魚釣り/工藤祐次郎+小山田壮平+生田竜篤



Pete Yorn, Scarlett Johansson - Bad Dreams



やさしい光 :sweet halo 2011



Pretenders - I Go To Sleep (Official Music Video)




(ちんちくりんNo,87)

 そのような推理を頭の中で繰り広げながら、同時にこのような相談を僕にして来た裕子の思惑について考えていた。裕子は気づいていたのだろうか。
 実はその時より遡ること数年前から、僕はまた小説を書き始めていた。無論僕は山梨に来てからそれまで、一行たりとも小説を書いてはいなかった。むしろこれまで話してきた通り、拒んできたといっても良かった。それが、授業を行う上での参考にしようと、大学時代の教育心理学の教科書を見つけ出すために、押し入れの中の段ボール箱を引き出したことによって、たまたま上の棚から落ちてきた一冊の稚拙な作りの本を手にしたことで変わった。その本のタイトルは「リジェネレイション」。そう、大学最後の夏に映研部の圭太、貢と共に、それとかほるをも巻き込んで作ったあの僕らの想いの詰まった本……。
 上から落ちてきたその本を手にしてまず表紙に目を遣った。―リジェネレイション。その本のタイトルを口にしてみたが、すぐには記憶が明瞭にはならなかった。そこで頁を捲ってみた。目次を飛ばして初っ端に目にしたのは「少年」というタイトル文字。その下に印刷された「神海人」とある自分の名前を見たとき、僕は、記憶の波が一気に僕の脳を呑み込まんがごとく襲い掛かる錯視に陥った。そうだ、これは〝あの頃の僕が書いた僕の少年だった頃の物語″。頁を繰って、僕はその物語をまるで懐かしい友に出会ったときのような期待と喜びで、じっくりと丁寧に読んだ。遥か少年の頃の物語には泣き、叫び、母の″呪文″に捕らわれた僕が必死にそこから抜け出そうとする姿が描き出されていた。僕は何をもってして戦ったのか。……小説。そうだ、僕は小説を書くことによりその楽しさを知り、その歓喜の鐘をもってして少なくともあの忌まわしい″呪文″に対抗できたのだ。だから小説を読み終え、後に続く圭太の映画評論や貢の社会風俗についての論考をパラパラと見ながら、考え、それに気づいたとき、僕は再び小説を書こうと誓った。「やっと気づいた馬鹿な俺」、僕は自嘲気味に独り言ちたが、一方で心の中は妙に晴れ晴れとしていた。
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Bryan Ferry - Slave To Love (Live in Lyon)

2022-07-11 | 小説
Bryan Ferry - Slave To Love (Live in Lyon)



中村月子 / 君だけ Music Video



Giles, Giles & Fripp - Little Children (From The Saga of Rodney Toady) (1968)



Little Freak  サンタラ




The Clash - London Calling (Official HD Video)



(ちんちくりんNo,86)

「で、どうするの」

「別の作家、元々候補に挙がっていた作家に頼もうかと思っているのだけれど、それもね……。日数もないしどうかと」

「そうか、新聞小説となれば毎日の連載だ。ある程度の原稿が出来ていないと、続かないしな」

 裕子の目を見ると、今度は怒りの炎のようなものが見えた。そうか。多分裕子は作家が逃げた先に気が付いていたのだろう。作家は一行も書けないことに悩み、結局はデビューからずっと書いている出版社の担当に相談する。担当はそれなら行く先はこちらから用意しますので、そちらに暫くいて下さいと……。そんなことをすれば、業界での作家の信用は丸つぶれだ。出版社にしても同じだ。しかしそれを敢えて決行したということは、侮られたのだろう。―どうせ田舎の新聞さ、と。それと、これは本当に趣味の悪い想像に過ぎないが、もしかしたら作家は今まで自分のネタをもとにして小説を書いた経験がないのではないだろうか。出版社の担当者から絶えずネタを与えられて、それに忠実に沿って小説を書く。いつもそうやって書いてきたものだから、そういう「サービス」のない他の出版社とは仕事が出来ないというわけだ。甲斐新聞社の仕事を引き受けたのは、作家も今までのそういった現状から抜け出したかったということもあったのだろうし、故郷の新聞であることや裕子の熱意に負けたこともあるだろうし、でも結局は甘い甘い蜜の味のする現状から抜け出すことが出来なかった。僕は作家のこれからの行く末と決して明るくない未来に同情を禁じえなかった。
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