からくの一人遊び

音楽、小説、映画、何でも紹介、あと雑文です。

The Moody Blues - Nights In White Satin (1968)

2022-07-07 | 小説
The Moody Blues - Nights In White Satin (1968)



1973 Tulip - 夏色のおもいで



Sun Bursts In   Eyeless in Gaza



リーピ·チープ / T·O·K·Y·O Dreaming



Elton John - Your Song (Platinum Party at the Palace)



(ちんちくりんNo,85)


 いずれ彼女は俺に別れを切り出すかもしれない。いつしか僕はそう思うようになった。
 その疑念は意外に手強かった。彼女が会社の出張と言って家を空けると一晩であろうと僕は恐れ、不安に苛まれた。たまの休みに家族で何処かに行こうと誘うと、「その日は予定があるの」と特に何の用事があるとも言わず、断られることがあった。すると僕の中で「家族よりも大切な用事って何」という思いが膨れ上がり、過剰な怒りが沸き起こった。が、爆発寸前になりながらも結局表に出せなかった。「本当のこと」を知るのが怖かったからだ。そんな調子で僕はずっと疑念を払拭出来ず、日々を淡々と過ごしていった。心に不安と孤独を抱えながら……。しかし、僕は年月を経るということはただ時間が流れるということではなく、例え起伏のない毎日を過ごしていたとしても、いつかは何らかの心の変化が訪れるものだということを知った。思いもかけない出来事をきっかけとして……。
 二年前、ある日の夜中に近い時間に帰宅した裕子が、珍しく二階へは直行せず、そのまま僕のいる居間に入って来た。「ちょっといい?」と言いながら、テーブルを挟んで向かい側に座った裕子の顔色は、誰が見てもすぐれないと分かるほど青白み、目は虚ろだった。「どうした」僕が声をかけると彼女は脇に置いた大きな肩掛けバックから、350㎖のビール缶を二つ取り出して一つは自分の前に、もう一つを僕の前に差し出した。「飲も」
 昔、「ビールはお腹が膨れるので苦手なのよ」と彼女はよく言っていた。結婚してからも彼女がビールだけではなく、酒類全般を手にしている姿を見たことがなかったので、僕は若干の驚きと戸惑いを感じてつい二度目も同じ言葉を発してしまった。「どうした」
 すると彼女はビール缶のプルトップを引き剥がすように取り去り、一気に恐らく半分くらいは中の液体を口から喉を鳴らして胃へと流し込み、テーブルの上に缶を戻すと力なく笑った。

「作家がね、逃亡したの」

「逃亡?作家が?」

「そう、新聞小説の連載依頼をしてあったんだけどね、なかなか原稿があがって来ないので、今日少し急がせようと自宅の貸家へ行ったら玄関ドアに張り紙がしてあってね。″しばらく取材旅行へ行ってきます。ごめんなさい”だって」

 裕子が担当している甲斐日日新聞の小説の執筆は、基本的には県内出身者か山梨に所縁のある作家に依頼するという方針があった。勿論作家の予定だとか適当な作家が見当たらない場合もあるのでその限りではないが、県内出身の有名どころの作家が執筆するとなれば、意外と読者の反響も多く、それだけ新聞の販売部数にも直結することもある。逃げた作家はその県内出身者で、今まさに波に乗っているという流行の作家だった。裕子によればその作家はデビューからずっと同じ出版社の雑誌に書いていて、単行本もそこでしか出したことがなかったようだ。別に専属契約を交わしていたわけではないらしく、それならそれもまた奇妙な話ではあった。が、それはともかくとして、そういう作家を裕子は山梨県出身という縁を利用して粘り強く交渉した。その結果、その熱意にほだされた作家が甲斐日日新聞に、自分の小説を執筆することを承諾したという経緯があったのだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Angel (2012 Remaster) Everything But The Girl

2022-06-27 | 小説
Angel (2012 Remaster) Everything But The Girl



OMY 僕に胸キュソ Boku ni mune kyuso.



Hollyn - i wasn't enough for you (acoustic)



ザ・コレクターズ / 明るい未来を



Julian Lennon Performs 'IMAGINE' for Global Citizen's Stand Up For Ukraine w/Nuno Bettencourt



(ちんちくりんNo,84)



 そうなると、なおのこと一日の中での二人一緒の時間が少なくなっていくのだが、別に互いに嫌いになってそうなったわけではなし、かえって「楽」のように感じて「時間」や「空間」を自分の自由に使えることは僕にとっては喜ばしいことであった。しかし、物事には正の部分もあれば負の部分もあるわけで、年月を経るうちに僕は裕子が何を考えているのか僕に何をして欲しいのか分からなくなっていた。当然といえば当然の結果なのだが、それは僕にとって「不安」でしかなく、彼女のちょっとした言動に、僕は恐れ、不安になった。
 何故そうなったのか、理由は明白だった。2011年3月31日、裕子の祖父が亡くなった。そう、かほるの祖父でもある古書店の主人、あの″アルムのおんじ〝だ。
 その日の夜、僕ら家族はキッチンで夕食をとりながらテレビの画面を注視していた。画面には八戸や陸前高田等各地の家々が広範囲に津波にのみこまれていく様子が映し出されていた。屋上や屋根に上って助けを待つ人々、形を保ちながらも流され、徐々に崩されていく家屋、救援に向かう自衛隊のボート。一転画面が切り替わると、今度は個人の携帯で撮影されたとみられる、陸を越えて迫りくる波から高台へと必死に逃げていく老若男女の荒々しい映像が流れた。3月11日の大震災以来、それらの映像と福島第一原発の水蒸気爆発の瞬間の映像は連日テレビで流れない日はなかった。そういったテレビ映像に正直飽き飽きしながらも、どうしても目を離せずにいたのだった。
 ″アルムのおんじ″の訃報はそういった夕食の一コマの中で、突然の電話という手段によって裕子の神保町の実家からもたらされた。席を立って受話器を手にとり耳に当てた裕子は、母である薫りいこからの電話だとわかると、とたんに和らいだ表情になったが、その後、十数秒もしないうちに顔色が変わった。―悪いほうに。電話を終えた裕子はしばらくの間、ぼうっとしていた。僕はどうしたのだろうと彼女の方を見ていた。……が、彼女はやがて食卓テーブルの席に戻り、青ざめた顔をして、僕の目を見ながらこう口にしたのだった。「おじいちゃん、死んだんだって。何故……」
 彼女が疑問を呈したのも当然だった。″アルムのおんじ″はその頃にはもう百歳近くになっていたが、いたって健康で足腰もしっかりしていて、毎日早朝に近所の公園まで往復3kmの散歩をするほどで、3月11日の地震のあとに電話をして、「大丈夫だ」と元気な声を聴いたばかりだったから。「眠っているうちに心臓が止まったんだって」裕子は自身でそう付け加えても、なおその事実を認めたくなかったようだ。「何故?」ともう一度あとで呟いた。
 ″アルムのおんじ”の葬儀も終わり、四十九日を終えてから裕子の表情から明るさのようなものが戻って来た。僕は安堵し、それからはいつものようにまるでルーティンのような代り映えのしない毎日が続いた。僕は居間で寝起きし、朝七時には家を出て学校へ向かう。裕子は朝10時に家を出て新聞社へ。中学生になっていた薫子はバスケットボール部に入部したらしく、家に帰宅する時間が僕と同じくらいになることが多くなったが、それもまた続けばいつもの日常の中に組み入られるようになった。ただ、そういった「日常」がまた始まった中で、裕子がふと漏らした言葉が僕には気にかかっていた。四十九日が終わってから少し後だったと思う。よく晴れた日曜日で珍しく裕子も休日で、縁側に座って庭を眺めていた僕のところに裕子が緑茶を持ってやってきた。「はいお茶」裕子は緑茶を僕に手渡したあと、僕の隣に座した。

「ねえ」

「何」

「かほるがね、言うの」

「かほる?」

「そう。あなたはいつ私のことを書いてくれるの、って……」

「かほる?かほるはもういないだろ。書こうとは思っている。でも……。ああ、それは君の気持ちということかい?」

「違うわ。かほるが私に言ったの」

「言った?じゃあ、かほるは何処に?何処にもいないだろ」

 そう僕が反論すると、裕子は自分の右耳、すぐ上の側頭部を右人差し指でさして小首を傾げた。「此処よ」

 僕は裕子がおかしくなったと一気に血が引くような思いが込み上げてきたが、その僕の表情を見た彼女は急に可笑しそうに笑いだし、「よく考えておいてね」といってその場を去っていった。
 その後、彼女がおかしなことをいうことはなかったが、僕の中では彼女に対する不安感が頭をもたげるようになった。―よく考えておいてね、って何だ。ならいつまで経っても書かなかったら?その後の普段と変わらぬ生活の中で、見えない時限爆弾が仕掛けられたような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Manic Street Preachers - The Secret He Had Missed (Official Video) ft. Julia Cumming

2022-06-17 | 小説
Manic Street Preachers - The Secret He Had Missed (Official Video) ft. Julia Cumming



サンタラ 蘇州夜曲 2021/7/4ツイキャスプレミア配信Bonfire Time!VOL.17&2020/9/4ツイキャスプレミア配信Bonfire Time!VOL.3



スキマスイッチ × 元ちとせ / 雫



春夏秋冬   泉谷しげる



The Kinks Sleepwalker / Celluloid Heroes March 8, 1977



(ちんちくりんNo,83)


そして流れる年月は―



 そして、流れる年月は僕を57歳にした。
 西暦、年月日にすれば2019年2月5日だ。裕子が56歳、娘の薫子が成人式を迎えた年で、2月の5日というのは僕の誕生日だ。平日の火曜日だったので、地元の大学生になっていた薫子は「用がある」と日中いなかったし、珍しく有給休暇を取得していた裕子は、朝から二階にあがったきり下りて来なかった。我が家は誕生日だからといって特に何かをするといった主義ではなかった。最も薫子だけは二十歳になるまで毎年誕生祝いをしたが、それも昨年で終了した。
 山梨に移住してから十五年というもの、何か重大な問題があったのかというと、別段そういったことはなく、むしろ起伏のない平凡な日々を過ごして来たと思う。僕は私立高校の教師として、裕子は地方新聞社の社員として働いて来たが、当初苦労することになるだろうと覚悟していたことが、全くの杞憂であったと逆に反省までしてしまう程、順調に進んでいった。勿論薫子も移住以来喘息のぜの字もなく、軽い風邪はあっても医者に通うような病気に罹ったこともなかった。
 15年間、今までの僕の人生の中でも最も平穏な時を過ごして来たわけだが、ただ「不安」がなかったといえば、そうではなかった。-僕と裕子との関係の変化。山梨に来て五年目、僕らは寝室が別々になった。別に仲違いしたわけではないのだが、あえて言うならば「すれ違い」ということになるのだろうか。家を出る時間と帰宅の時間が合わないということもあるし、お互いに仕事を持ち帰るということもあって、何となく流れの中で、裕子は今まで通り二階の寝室を兼ねた元々の僕ら夫婦の部屋に、僕の方はといえば、家に帰って来てもその部屋には向かわず、それまで家族全員のくつろぎ場所であったはずの一階の居間を占領し、そこで寝起きをするようになった。いつの間にか……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七尾旅人 "兵士Aくんの歌" (映像作品『兵士A』より)

2022-06-05 | 小説
七尾旅人 "兵士Aくんの歌" (映像作品『兵士A』より)



Fairground Attraction - Clare



優河 with 魔法バンド / fifteen live session at キチム  fifteen (live session) by Yuga with Maho Band



六月の詩



"The Longing" - Patty Gurdy (Hurdy Gurdy Music)




(ちんちくりんNo,82)



 それから一年後、2004年の春には僕ら一家は山梨に移り住んでいた。自宅は二階家、100坪程の土地に半分は住宅に、残りは庭とした。出来るだけ自然に近いところが良かろうと、「白州・尾白の森公園」に近い町の外れに住んだ。僕の実家からは車で40分かかる。僕はその地に住むために、それまで残っていた自分の貯蓄のほぼ全てを費やした。不安はあったが、私立高校の教員という定職を得たことでかえって心の安寧は保たれた。
 教員試験は、最初は応募者多数のようで危ぶまれたが、面接で僕が(あの)作家の神海人だということが判明したことで、決まったようだ。恐らく「客寄せパンダ」になると踏んだのだろう。初めての授業のとき、黒板に文字を書き込むのに一瞬躊躇したが、思い切って白墨を黒板に当ててみると、自分でも意外なほど流暢に手が動いた。勿論小説を書くわけではなし、手が震えることはないだろうと思っていたが、「もしも」のことを考えていたので、それは僕にとってとても喜ばしいことだった。
 薫子は地域の子供らと馴染むだろうかと心配したが、それどころかいつのまにか自らが率先してその子らをまとめるような存在になったようだった。喘息の気配は移り住んでからまるで表れていなかった。やはり空気の質が良かったのだろう。
 裕子は薫子が小学校に上がるとともに、地元の新聞社に契約社員として雇われ、文芸部へ配属された。仕事は、新聞の文芸欄に載せる本の紹介だとか、作家、評論家とのやり取りだとか、新聞小説の編集だとか、まあそんなところだ。僕が、新聞社なんて、よくそんな仕事の募集があったもんだなと訊くと、苦笑いしながら「分かってるでしょ?」と応えた。ああ、龍生書房のつてか。僕も苦笑いした。

 かほるの幻影は薫子の入院以来、見ることも感じることもなくなった。僕は山梨に来てから、゛あの物語″を書く意欲をなくしていた。いや、そもそも作家を続けて行くことさえ、考えなくなっていた。だから、きっとかほるにまた悩まされるに違いないなと心の奥底で構えていたのだが、いつになっても一向にその気配はなかった。それは考えてみれば当たり前のことだった。何故なら小説を書くことは、言わばかほると対峙するための手段なのだったから。その手段を捨てた僕のもとに彼女が現れるはずがなかったのだ。きっと僕はずっと間違っていたのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カーリングシトーンズ Music Video「それは愛なんだぜ!」~映画「マイ・ダディ」主題歌~

2022-06-01 | 小説
カーリングシトーンズ Music Video「それは愛なんだぜ!」~映画「マイ・ダディ」主題歌~



Liam Gallagher - I've All I Need (Official Video)






飛べない蝙蝠:小椋 佳



Vashti Bunyan session - 17 Pink Sugar Elephants




(ちんちくりんNo,82)

 薫子はもともと喘息の因子を持っていた。ただ、日常に於いてそれは特に彼女の生活に重大な支障を与えるわけではなく、極たまに軽く咳き込むことがあるだけで吸入器を使うまでもなく済んでいた。入院する前も時々咳き込んではいたが、いつものことだと思い、様子見をしていたのだった。結果的にはそれがまずかったということだ。医者は喘息が肺炎になったわけではなく、喘息症状によって体の抵抗力が弱くなったことで、細菌が肺に入り込み炎症を起こしたのだと僕と裕子を前にして言い、気管支喘息は東京の空気が悪いということもあるがと付け加えた。喘息と肺炎とは直接の関係性はなく、きっかけであるということか……、とそう理解しながらも、僕は何故だか薫子の喘息が一番の悪であると思った。だから〝東京の空気が悪い″と聞き、思わずこう医者に返してしまった。

「じゃあ、治すには娘を空気のいい場所にやれば良いということですよね」

 隣の裕子が驚く顔を見せ、医者は「いや、喘息は場合によりけり、良くなるかどうかは一概には……」とあからさまに僕を拒否するような顔をした。

 今にしてみれば、僕はずっと逃げたかったのだと思う。だけれども逃げるにしても言い訳がいる。そこへ薫子が肺炎で入院。それを喘息と結び付けて、田舎に引き籠る言い訳として利用したのだ。当時はそんなつもりはないと考えていたが、時を経るとともにその実感は確かなものになっていった。
 薫子が入院している間、僕は一家で山梨の田舎に引っ越すことを裕子に提案した。仕事は?という問いには、田舎で書いている作家はいくらでもいるさと応え、生活は?という問いには、私立の高校の教員募集の口があると応えた。裕子は仕方ないわよね、と言いながら寂しく笑ったが最後に一言だけ「あの約束……」と言いかけて口を閉ざした。わかっていた。僕と裕子の実妹、かほるとのあの夏の物語。それを書き上げる約束はどうするの、と裕子が質したかったということを。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする