『球根 』TRICERATOPS with 吉井和哉
Bus Stop - MonaLisa Twins (The Hollies Cover)
Kyoichi Sugimoto - Peanuts
性懲りもなくまたのっけます。
反応見たいので・・・・。
ラヴ・ラヴ・ラヴ
からく
あたしは小さい頃から服装には無頓着な女の子だった。
というか、必然的にそうなった。
うちはおばあちゃんとおかあちゃんとあたしの女三人家族だったのでそれほどお金を持っているわけでもなかった。
家も二階建ての持ち家ではあるものの、おばあちゃんが結婚した頃に建てた、カビ臭さが蔓延しているおんぼろだ。
だから幼い頃のある出来事もあってあたしが望む要求の殆どは通らないだろうことを感じていたし、またそれらを無理に通そうとする行為は悪いことだとも思っていた。
新があたしの目の前に差し出したものはあたし自身が要求したものではなかったのだけれど、こころの底では本当に欲していたもので、幸せってものがあるのなら、「これが幸せなんだな」と感じさせるものだった。
みんなの愛を感じたな。
何故うちが女三人かってことは小学校に入った頃に聞いたことがある。
「ねえ、どうしてうちにはおじいちゃんとおとうちゃんがいないの?」
「追い出したからね」とおかあちゃん。
「出て行ったのさ」とおばあちゃん。
その意味が分からないのに、あたしはともかく「ふーん」と分かったふりをしたものだ。
清貧に生きる女三人、男はいらず。
そんな訳であたしはそのときからこの家はともかくプチ貧乏で男子禁制の家なんだなと勘違いしてきたのだけれど、それから何年かして卓さんが我が家に来るようになったとき、あたしは一種のカルチャーショックを受けたのだった。
卓さんは四十過ぎでぼさぼさ頭のちょいっといい男だった。
今で言うと堺雅人みたいな感じで、穏やかにゆっくりとしゃべる人だった。
そういう人だから迎え入れたのかと当時のあたしは理解したのだけれど、卓さんが何者で何故なんのためにうちに来るようになったのかはずっと不思議だった。
あたしはおかあちゃんにもおばあちゃんにもその「不思議」を問うことはなかった。
聞いたとしても多分二人とも昔の知り合いとしか答えないことがわかっていたから。
卓さんは一か月に一回、必ずおかあちゃんの仕事が休みの日に来た。
夕方あたしが帰ってくるとその日は必ずといっていいほど、すき焼き。
そんな無理して大丈夫なの?と学校から帰って来たあたしが食卓の前に立っていると「ほらほら、はやく座りな」と卓さんを中心に囲んだ二人が言う。
あたしはぶちぶち言いながら制服のまま座るのだけれど、「いただきます」という声のなかに男性の声が混じっているのはそれほど悪いことではないなとは感じていた。
いつも卓さんが話すことといったら、近況やら、やれ仕事が大変やらどうでもいい話。卓さんが東京の人でどうやら大学の先生で「宇宙」を研究しているだろうことは会話の中で知った。
卓さんは必ず夜七時に席を立った。
そして、決まって「七時だから」とおかあちゃんの方を見て、やはり立ち上がったおかあちゃんの手に、「これ、頼みます」とスーツの裏ポケットから大手銀行のネームが入った紙幣袋をすっと出し手渡すのだ。
お金だ・・・、とあたしは感じていたのだけれど、どうもその儀式みたいなものは毎月交互に行われていたように思う。今月は卓さんからならば、来月はおかあちゃんからと・・・。
そんなやり取りが毎月、あたしが中学校三年生になった年の八月まで続いた。
ある日、八月の終わりにさしかかった頃、おかあちゃんは仕事に行っていて、あたしがおばあちゃんと二人でテレビを観ていた午前中の早い時間だったか。
何だか外で太く、響くような音がするなぁと思い、それはすぐに消えたけれど、どうやら我が家の玄関先からだと気づき、確認のため玄関に向かいドアを開けると、そこにはサングラスを掛けオールバックの髪型をした男がいた。左脇にヘルメットを抱え、その先の左手には少し大きな紙袋を下げていた。
「やあ、こんにちは」と男は親しげに口元を上げたけれど、服装も長袖のジージャンに色のあせたジーンズと、どう考えても不審者にしか見えない男にあたしは身体を引いてしまった。
そのあたしの様子に気付いた男は慌ててサングラスを外し、右手で髪を崩して「どう?」と言った。
「卓さん・・・」
卓さんはその日の早朝スッと起きたとき、突然あたしを何処かへ遊びに連れて行きたいという物凄い欲求が沸きあがり、どうしょうもなくなって友人からホンダのCB400とかいうバイクを借り受け、東京からわざわざ我が家にまで来たということだった。
暇だったあたしは、さっそくおばあちゃんに許しを得て、卓さんの話に乗った。
それから卓さんの提案により「富士急ハイランド」へ行くことはすぐに決まったのだけれど、着て行くものには困った。上は白のTシャツ、下は穴あきの褪せたジーンズ。卓さんの格好を見れば安全のために少し厚い服が必要だなと気づいたけれど、あたしは出不精のせいか着た切り雀になることが多い。たまに服を買ってもあたしは古着屋専門だ。そのようにあたしが考え込んでいると、卓さんは「ほら」と持っていた紙袋を投げてよこし、「それを着て行けばいい。現地で脱げばいいさ。下はその方が味があっていい」と優しい笑顔を向けてくれた。
黒の革ジャン。
中身の正体はそれで、着てみると袖も長いしブカブカでお尻まですっぽりと隠れてしまった。
それを見た卓さんは満足げに「可愛いよ。やっぱり女の子なんだよねぇ」と顎の下に親指をやり、頷いていた。
あたしは他人からのプレゼントなんて初めてだったから、こんなにも心が温かくなるものなんだと胸に手をやった。
・・・・あの時はありがとうね、卓さん。
富士急ハイランドでは、ジェット・コースターとお化け屋敷以外は何をしたのか、乗ったのかよく憶えていない。
あまりに楽しくて嬉しくて夢の中にいるようだったから。
夕方、家の前に戻って来たときおかあちゃんが帰って来ているようだったので、あたしはバイクから降りながら「寄ってけば?」と誘ったのだけれども、卓さんはバイクから降りずに寂しげな声で「お母さんにありがとうと言っておいてくれないか」と言い置き、東京に続く道へとその日一日だけの相棒を走らせて行ってしまった。
その日を最後に、卓さんは我が家に来ることもなく、あたしたちの前から消えた。
定期的に来ていた人が来なくなったのに、おばあちゃんはともかく、おかあちゃんはその後もまったく普通で、卓さんの名前も特に口にしなかった。
あたしはそのことも本当に不思議でならなかったのだけれど・・・・。
新があたしの前に現れたのは、あたしが高校一年生を終える年の三月だった。
その日、あたしはおかあちゃんの物を整理しながら、時々アルバムなんかを開いてはあたしたち二人が写った写真に見入り、しばらくすると泣きそうな自分がいることに気付かされ、言いようのない悲しみの波に耐えていた。
おかあちゃんは亡くなっていた。
前の年の十二月、新宿発甲府行き電車の中ほどの座席にすわり、頭を窓側に預けるような形で優しい表情を浮かべながら。
おかあちゃんはその日、東京の知人のところに行くと言っていた。
前の晩誰かから電話が掛かって来て、受話器を置くとすぐに「明日の夕ご飯あんたが用意してね」とあたしに言い、おばあちゃんには「連絡あったから・・・、ともかく行ってくるね」と複雑な表情を浮かべていた。
翌朝早くおかあちゃんは出かけた。
そして夜、すっかり夕飯後でくつろいでいたあたしたちの元に、警察からの思いもしない「おかあちゃんの突然の死」という、一気に地獄に落とされるような知らせが入ったのだった。
・・・おかあちゃん、楽しい人生だったかしら。
アルバムのページを捲っていたら懐かしい写真が目にはいった。
七五三のときのやつ。
お宮さんの前で、おかあちゃんは上下ベージュのスーツ、小さなあたしはいかにもチープな黒のフォーマルワンピ。
二人並んでおかあちゃんは笑顔だけれど、千歳飴の袋を手に下げたあたしは渋い顔だ。
お宮参りの女の子達が華やかな着物を着てきていたのでくやしくてくやしくて仕方がなかったのだ。
この後うちに帰って大泣きしたっけ。
そんなことをいろいろと思い出していたときに新は突然あたしの前に現れたのだった。
「よっ、元気だったかい。みるく」
呼び鈴が鳴ったので玄関に行くと背の高い見知らぬ青年がにこにこしながら右手をあげていた。
みるく?
それはあたしが保育園に通っていた頃のニックネームだった。
付けられた理由はわからないけれど、みんなにそう呼ばれていたという記憶があった。
怖い、この人・・・・。
初対面であろう青年から発せられた言葉で一瞬の恐怖とあたしの頭の中に(何故?)がいっぱいになり、あたしは少々のパニックに陥ったようだ。言葉がでなくなり、身体が棒になってしまった。
そんなあたしの様子を伺い知れたのか、新は「・・・憶えていないんだな」と呟き、続けて「ばあちゃんは?」と問いかけてきた。
あたしは何も言えずくるりと向きを変え、おばあちゃんを呼びに行こうとした。そして丁度そのとき、おばあちゃんが奥の部屋から出てきたのだった。
落ち着いた様子であたしの前に出たおばあちゃんは自分より30㎝は高いノッポの青年を見上げて「新か?」と笑いかけた。
「本当に久しぶりだね、ばあちゃん。お世話になりにきたよ」
「大学受かったんか?」
「うん」
「そうかそうか、そりゃ目出度い」
「で、今日はご挨拶といろいろ話をしたいなって思って・・・・」
「まあ、ここじゃなんだから上にあがってけしね」
それからおばあちゃんは後ろにいるあたしを横にのけ、満面の笑顔で新をうちに招き入れたのだった。
新が帰った後におばあちゃんに聞いてみたら、東京で育った新が、何故かここの国立大学を受験し受かったこと、そのためうちに下宿すること、うちの遠い親戚であたしが小さい頃、隣のアパートに住んでいたこと等々教えてもらい、記憶はなかったけれどそれで(みるく)だったのかぁ、と合点がいった。
それにしても・・・、二階にあるあたしの部屋の前、六畳ほどであたしの部屋もそうなんだけれど入口は襖の扉、そこが新の部屋になると聞いたあたしは激怒した。
「年頃の娘がいるんだよ!オオカミがすぐ前って正気?」
「あのこは大丈夫だよ。あんたのことは妹みたいなもんだとしか思わんさ。心配なのはあんた。新はいい男だもんなぁ」
口に手をやり「むふふ・・・」とにやけるおばあちゃんを見て、あたしは脱力した。
六畳一間、朝夕食事付、風呂・トイレ共同。下宿代月一万円。
それが新がうちに下宿する上での条件だ。
安すぎるよな、と思ったけれど本当にちょいっとした地震がくればすぐにでも潰れてしまうようなボロ家だし、親戚だし、仕方がないよなと思う。
ただし、夕飯は新が駅前の本屋で夕のアルバイトを始めたので休みの火・日以外は出さない。
だから、新とそれ程の接触はなかったけれど、夜遅く、新が階段を上ってくる足音を聞くと少しだけ緊張が走った。
新が部屋に入ると最初はガサガサと言うような音がするけれど、しばらくすると音は止み、後はめったに音が漏れてくることはなかった。ラジオとか持ってないの?
気になる。
でも一番気になったのは、引っ越しのときに新から聞いた一言だった。
引っ越しの日、新は荷物とともに軽トラに乗ってやってきた。運転してきたのは40代半ばくらいの男性で、あたしとおばあちゃんに「新をよろしくお願いいたします」と丁寧に挨拶をしてきたのでてっきり父親かと思っていた。
それで荷物を運び終えて、彼が帰ったあと「腰の低いお父さんだね」と声を掛けたら新は若干唇の端を上げながら「親父は天国、去年の12月癌で死亡、お袋は親父と別れて何処にいるのやら・・・、あの人は親父の親友さ」
それを聞いてあたしは「しまった」と思うとともに新が本当は何者なのかが気になるようになった。
・・・・・遠い親戚ってマジ?
でもだからといって、一緒に住むようになって何かが起こるというわけではなかったし、3か月も過ぎるとそれはもうどうでもよくなっていた。
ある日、居間の窓を全て開け放ち、緩い風をいれながらおばあちゃんの肩もみをしている新の楽しそうな顔を、階段を上りかけたあたしは見てしまった。
「ばあちゃん、これぐらいの力でいいかい?」
「よしよし、うまいじゃないか」
「そりゃそうだ。免許皆伝の腕前だからな」
まるで本当の祖母と孫のような様子に、あたしは少しだけ嫉妬心を覚えたけれど、「あの中にあたしも入りたいな・・・」とも思った。
そして「新の妹」って感じで一度固定された椅子に座ってみるのも案外いいかも、と思ったのだった。
それから・・・、新の気持ちが垣間見えたのが高校三年の4月。
新のバイトが休みの日の夕飯中、あたしはつい軽い口調で言ってしまった。
「朝、電車の中で痴漢にあったよ。あたしを狙うなんて物好きだね」
それを聞いておばあちゃんは目を丸くして何かをいいかけたけれど、それより先に新の方が反応した。
「・・・許せん。そいつは誰だ」
箸を持つ手が小刻みに揺れていた。
「わかんないよー、満員でぎゅうぎゅうだったし」
「それで?」
「お尻触って来たから、何度も手で払ってそのうちおさまったよ」
「でも、明日もまたやられるかもしれないじゃないか」
「乗る車両を替えるし、大丈夫」
そう強がりをいったものの本当はすごく不安だった。もしそういうことを毎日続けられたら物凄く滅入るだろう。
「俺が毎朝一緒に電車に乗る!捕まえてやる」
「え?」
「みるくは俺の大切な・・・」
「え?なんなのよ」
あたしが問うと新は立ち上がり、シンクで自分の空になった茶碗と箸を洗い片付けると、あたしに向かって「何があっても明日からはついていく!」何者も寄せ付けないような顔でキッチンを出、どすどすと階段を上って行ってしまった。
次の日の朝から宣言通り新は一緒について来たけれど、幸いなことに以降、二度と痴漢に遭うことはなかった。
新がおよそ一か月間あたしと一緒に電車に乗り、あまりに「捕まえてやるぞオーラ」を出し過ぎたために痴漢も手を出せなかったのだろうか。
あたしとしてはさすがに一か月はうざかったけれども、あの晩の「大切な」という新の言葉が嬉しかった。勿論「大切な」の後にどういう言葉が入るのか想像は出来ていたから。
大学へは進学する予定ではなかったけれど、担任の「行くべき。学費は奨学金だとか、免除する制度があるから」とのアドバイスと、おばあちゃんの「頑張れ」という一言、そしてあたしは大学の理学部に通う新の苦学生ぶりを先例として間近に見てきたので、決心し、猛勉強の末、新と同じ地元の国立大学の教育学部を受験し、なんとか滑り込むことができた。
それからの一年間はあたしのそれまでの人生からするととても自由で楽しい学生生活だった。将来的な奨学金返済への不安もあったけれどバイトもして、洋服もそれなりに揃えるようになり、笑い合えるような友人も出来た。
・・・充実していた。
そして、そんな中、
今年の4月におばあちゃんが脳梗塞で倒れた。
そのとき新は学校が休みで部屋にいて、一瞬一階から呼ばれたような気がしたので、部屋を出、階段を下りて行くと廊下におばあちゃんがぐったりとして座り込んでいたという。
なんか様子が変だなと思って近づいて声をかけると、おばあちゃんは震えるばかりでいっこうに言葉がはっきりと出ない。新は「これは・・・」と気づいてすぐに救急車を呼んだ。
そして新は一緒に救急車に乗り込み、救急隊員に症状を伝えて脳外科のある病院へ向かうことになったのだった。
その時間、あたしは、呑気に大学の講義室で友人たちと毒にも薬にもならないくだらない話をしていた。
そしてその最中に新から連絡が入り、おばあちゃんが病院に運び込まれたことを知ると、安穏としていたあたしは一気に凍り付いた。
「おばあちゃんが倒れた・・」と誰ともなしに言うと、友人たちは一様に表情を変え、それからいつまでも突っ立っているあたしの様子を見かね、「何してるの、早く病院へ行かなきゃ」とあたしがそのとき急いですべきことを教えてくれた。
「これは嘘だよ、夢をみているんだ・・」
あたしはふらつきながらも大学の外に出て、丁度来た病院行きのバスに乗り込んだ。
運び込まれた病院に入院後、おばあちゃんの病状は右半身と左足の麻痺が残り、言葉は明瞭ではないがこちらが聞き取れるくらいにはなった。
リハビリで車いすを使えるようにはなったけれど、入院は3か月で転院を余儀なくされ、リハビリに本格特化した病院に移った。
それもあまり効果もなく、やはり3か月の期限が近づいたためあたしはおばあちゃんの気持ちを考慮しながらソーシャルワーカーさんと相談の上、長期入院できる医療保険適用の療養型病院への転院を決めた。恐らくもううちには二度と帰れなくなる、と頭の中にあったけれど。
そんな中でも新は常にあたしと一緒について来てくれた。面倒な手続きは全て新が処理し、役所にも何度も行ってくれた。・・・・入院費用もこれでおばあちゃんの年金で支払えると分かって安堵した。
ありがとう、新。
転院の日、不安がありながらも何とか新しい病院に落ち着き、ベッドで寝ているおばあちゃんに、すまない気持ちでいっぱいになって、「ごめんね」と声をかけた。
おばあちゃんはそれににっこりとして答えた。
「いいさ、いいさ、・・・これが当たり前。気にすんな」
あたしの横にいた新は顔をふせた。
その夜、うちに帰って来たあたしたちは居間で一旦一休みと、テレビをつけて画面をながめていた。
途中であたしはローテーブルの上に放っておいた数通の郵便物が目に入ったので、手に取ってみていたのだけど、その中のあたし宛の一枚のはがきのところで手を止めた。
(成人式のご案内)
そうかぁ・・・、もう二か月もすれば、そうなんだね。
あたしがいつまでもはがきをながめているのに気づいた新はテーブルに肘をついて体を乗り出すようにして「なに、それ?」と聞いてきた。
「成人式の案内だよ」
「勿論行くんだろ?」
「行くわけないじゃん!ただでさえおばあちゃんがあんなだし、それになんにも準備してないし、お金もないよ・・・」
新の決めつけるような言い方に、心にガラスの破片が突き刺さったような感覚を覚え、あたしは声を荒げた。
あたしは成人式のことは始めから諦めていた。でも、こんなはがきが来ればやっぱり心は揺れる。成人式の招待のはがきによってあらためてあたしの決心の固さを確かめられ、同時にあたしは傷つく。
「ほら!」
あたしははがきを新にぞんざいに投げつけ、立ち上がると、新に「そのときの自分の顔」を見せたくなくて逃げるように居間を出、二階の自分の部屋へ飛び込んだのだった。
・・・・どれだけの時間が過ぎたのだろうか?
体の痛みで目が覚めた。
あたしは部屋の真ん中で丸くなって寝ていたようだ。
くしゃみを一つ、二つして体を起こして机の上にある置時計に目をやると意外にそれほどの時間が経っていなかったことがわかった。
軽く寝違えたのか、首に違和感があったので前後左右と頭を揺らしていたところ、外からコンコンと襖のへりを叩く音がした。
新か。
「どうぞ」
新に対して少しやりすぎたかな、と思っていたので神妙な声で応えた。
襖を引き、くぐるようにして入って来た新は少しだけ横幅のほうが長い、大きなバックを下げて来た。そしてそれを横にして傍らに置き、あたしの前で背筋を伸ばして何かを言わんと正座をした。それを見たあたしも思わず反応してしまって、背筋をぴんとして正座の形に整えた。
「・・・・今月25日、二十歳の誕生日だろ?」
「え?」
「ホントはその時渡す予定だったけれど、今でなければいけないと思ってさ」
そういうと新は後ろの尻ポケットに手を入れ、そこからあたしの目前に古ぼけた銀行の紙幣袋を差し出した。
これって・・・・。
見覚えのある紙幣袋。
おかあちゃんと「あの卓さん」との秘密の行動。
もしかして「これ」は「あれ」なの?
あたしは新の微かな目の承認を受け、その紙幣袋を受け取り、もう一度新を見て袋の中の“もの”をゆっくりと引き出した。
それは細かい汚れのある古い普通預金通帳だった。しかもあたし名義の・・・。
「あれ」の正体はこいつだったのか。
あたしがいつまでも表紙ばかり見ているものだから、
「“みんな”からの二十歳のお祝いだ。中を見てみろよ、最初から・・・」
そう新は促し、あたしは最初のページを開いてみた。
そこにあるのは毎月の入金の履歴だった。
それは毎月交互に、「2」で始まる金額と「3」で始まる金額が記帳されていて、卓さんと最後に会ったあの夏まで途切れずに続いていた。
驚いた。
そこで一旦数字を目で追うのを止め、少し顔を上げると新は優しそうな笑顔を浮かべていた。それは確かに優しそうではあったけれど、見方によっては「どうだい、凄いだろ」というような顔にも見えた。
あたしの「驚き」を楽しんでやがるな、こいつ・・・。
それから再度通帳に目を落とすと、次の月から「1」の金額が並び、それはあたしが高校一年の冬まで続き、きりかわって次の年の5月からは「4」の金額がずっと続いていた。
そして今年の3月で入金は終わり、最後に・・・、今月の初めに積み立てられた大金の中から、一部が出金されていた。
「ねえ、これって?・・・みんなって、誰?」
通帳を脇に置いて新の顔を真っ直ぐ見て聞くと、新は待ってましたとばかりに言葉を連ねた。
「勿論、みるくのかあちゃんにばあちゃん、みるくも知ってる卓さんに・・・、あとは俺も絡ませてもらったよ。みるくが大人になったときのお祝いにってな。タスキをつなぐリレーみたいなもん。みんなでさ」
それを聞いてあたしは今までに経験したことのない感情が沸きあがるのを感じた。
真綿に包まれたような温かい気持ちと、センチな気持ちと、それだけではない何か・・・。
「おっと、まだだ。まだまだ泣くのは早いぜ」
あたしの様子を見ていて、新は傍らの大きなカバンに手を出し横にしたまま引きずるようにしてあたしの前に置いた。
「ほら、開けてみろよ。これが本日一番のメイン・ディッシュだ」
メイン・ディッシュ?
あたしより遥かに勉強が出来るはずの新だけれど、どうも言うことが古くてダサくてどこかトンチンカンなことを言うことがある。
あたしは溜息をつきたくなったけれど、ともかく目の前のこいつを片付けなきゃとカバンのジッパーに手をやり、一気に引いた。
そろーとカバンを開き、あたしの目に飛び込んできたのは驚きの物であった。
えっ?
あたしは思わずそれを目にして声をあげそうになった。
それは、心の底でずっとあたしが欲していたものだったから。
振袖だった。
目の覚めるような赤に軽く薄桃色がかった、牡丹に桜の振袖。
長襦袢に、帯、草履、振袖用のバック・・・・。
まさかと思ったが、「あたしの成人式に?」と、新に問うと、「そう」新は優しく頷いてくれた。
その新の頷きを合図に、あたしはその振袖を広げて立ち上がり、軽く纏ってみた。
なにか誇らしい気持ちが沸き起こってきた。
キレイ。
子供の頃の記憶が思い起こされた。
キレイ。
あの時の口惜しさがこうして、このような「幸せ」に変わるなんて。
あたしはこらえきれずに涙を流した。
そうしてそれを見た新がつくづく言った。
「みんなさ、みるくがそいつを着たとこ、見たかったんだろうなぁ」
今ここでそんなこと言わないでよ、・・・・もっと泣けちゃうじゃないか。
あたしは溢れる涙を抑えきれずにいて困ったけれど、でも長い人生、こんなことがあっても良いじゃない、と思って為すがままにした。
みんなからの愛を一心に受けたからね。これでいいんだよ。
おばあちゃんには明日ありがとうを言いに行く。
後で新と卓さんとの関係がどうにも引っかかって聞いてみたら
「卓さんは俺の死んだ親父だ。みるくのうちと親戚ってのは嘘。親父の親友の話だと学生時代、みるくのかあちゃんと親父は恋人どうしで、身も焦がすような大恋愛したっていう話だけれどね」
という返事が返って来た。
そんな衝撃的な話を聞いて、あたしは大いに驚き、それから「もしや・・・」と思ったけれど、口に出すことはしなかった。
その代わりにと唐突に思いつき、二十歳になるあたしにいつまでも“みるく”はないだろうと新に断然抗議した。
新は「俺、お前の名前知らねぇし」と、平然とのたまわった。
ばか!
「潮音」だよあたしの名前は。・・・し・お・ね。
四年近くも一緒に住んでいてあたしの名前も知らなかったなんて、まったく天然な、でもとても頼りがいのある「兄貴」である、・・・・新は。
もう一度言おう。
おばあちゃんにおかあちゃんに卓さんに新・・・・。
愛を確かに受け取ったよ。
By Shione
Bus Stop - MonaLisa Twins (The Hollies Cover)
Kyoichi Sugimoto - Peanuts
性懲りもなくまたのっけます。
反応見たいので・・・・。
ラヴ・ラヴ・ラヴ
からく
あたしは小さい頃から服装には無頓着な女の子だった。
というか、必然的にそうなった。
うちはおばあちゃんとおかあちゃんとあたしの女三人家族だったのでそれほどお金を持っているわけでもなかった。
家も二階建ての持ち家ではあるものの、おばあちゃんが結婚した頃に建てた、カビ臭さが蔓延しているおんぼろだ。
だから幼い頃のある出来事もあってあたしが望む要求の殆どは通らないだろうことを感じていたし、またそれらを無理に通そうとする行為は悪いことだとも思っていた。
新があたしの目の前に差し出したものはあたし自身が要求したものではなかったのだけれど、こころの底では本当に欲していたもので、幸せってものがあるのなら、「これが幸せなんだな」と感じさせるものだった。
みんなの愛を感じたな。
何故うちが女三人かってことは小学校に入った頃に聞いたことがある。
「ねえ、どうしてうちにはおじいちゃんとおとうちゃんがいないの?」
「追い出したからね」とおかあちゃん。
「出て行ったのさ」とおばあちゃん。
その意味が分からないのに、あたしはともかく「ふーん」と分かったふりをしたものだ。
清貧に生きる女三人、男はいらず。
そんな訳であたしはそのときからこの家はともかくプチ貧乏で男子禁制の家なんだなと勘違いしてきたのだけれど、それから何年かして卓さんが我が家に来るようになったとき、あたしは一種のカルチャーショックを受けたのだった。
卓さんは四十過ぎでぼさぼさ頭のちょいっといい男だった。
今で言うと堺雅人みたいな感じで、穏やかにゆっくりとしゃべる人だった。
そういう人だから迎え入れたのかと当時のあたしは理解したのだけれど、卓さんが何者で何故なんのためにうちに来るようになったのかはずっと不思議だった。
あたしはおかあちゃんにもおばあちゃんにもその「不思議」を問うことはなかった。
聞いたとしても多分二人とも昔の知り合いとしか答えないことがわかっていたから。
卓さんは一か月に一回、必ずおかあちゃんの仕事が休みの日に来た。
夕方あたしが帰ってくるとその日は必ずといっていいほど、すき焼き。
そんな無理して大丈夫なの?と学校から帰って来たあたしが食卓の前に立っていると「ほらほら、はやく座りな」と卓さんを中心に囲んだ二人が言う。
あたしはぶちぶち言いながら制服のまま座るのだけれど、「いただきます」という声のなかに男性の声が混じっているのはそれほど悪いことではないなとは感じていた。
いつも卓さんが話すことといったら、近況やら、やれ仕事が大変やらどうでもいい話。卓さんが東京の人でどうやら大学の先生で「宇宙」を研究しているだろうことは会話の中で知った。
卓さんは必ず夜七時に席を立った。
そして、決まって「七時だから」とおかあちゃんの方を見て、やはり立ち上がったおかあちゃんの手に、「これ、頼みます」とスーツの裏ポケットから大手銀行のネームが入った紙幣袋をすっと出し手渡すのだ。
お金だ・・・、とあたしは感じていたのだけれど、どうもその儀式みたいなものは毎月交互に行われていたように思う。今月は卓さんからならば、来月はおかあちゃんからと・・・。
そんなやり取りが毎月、あたしが中学校三年生になった年の八月まで続いた。
ある日、八月の終わりにさしかかった頃、おかあちゃんは仕事に行っていて、あたしがおばあちゃんと二人でテレビを観ていた午前中の早い時間だったか。
何だか外で太く、響くような音がするなぁと思い、それはすぐに消えたけれど、どうやら我が家の玄関先からだと気づき、確認のため玄関に向かいドアを開けると、そこにはサングラスを掛けオールバックの髪型をした男がいた。左脇にヘルメットを抱え、その先の左手には少し大きな紙袋を下げていた。
「やあ、こんにちは」と男は親しげに口元を上げたけれど、服装も長袖のジージャンに色のあせたジーンズと、どう考えても不審者にしか見えない男にあたしは身体を引いてしまった。
そのあたしの様子に気付いた男は慌ててサングラスを外し、右手で髪を崩して「どう?」と言った。
「卓さん・・・」
卓さんはその日の早朝スッと起きたとき、突然あたしを何処かへ遊びに連れて行きたいという物凄い欲求が沸きあがり、どうしょうもなくなって友人からホンダのCB400とかいうバイクを借り受け、東京からわざわざ我が家にまで来たということだった。
暇だったあたしは、さっそくおばあちゃんに許しを得て、卓さんの話に乗った。
それから卓さんの提案により「富士急ハイランド」へ行くことはすぐに決まったのだけれど、着て行くものには困った。上は白のTシャツ、下は穴あきの褪せたジーンズ。卓さんの格好を見れば安全のために少し厚い服が必要だなと気づいたけれど、あたしは出不精のせいか着た切り雀になることが多い。たまに服を買ってもあたしは古着屋専門だ。そのようにあたしが考え込んでいると、卓さんは「ほら」と持っていた紙袋を投げてよこし、「それを着て行けばいい。現地で脱げばいいさ。下はその方が味があっていい」と優しい笑顔を向けてくれた。
黒の革ジャン。
中身の正体はそれで、着てみると袖も長いしブカブカでお尻まですっぽりと隠れてしまった。
それを見た卓さんは満足げに「可愛いよ。やっぱり女の子なんだよねぇ」と顎の下に親指をやり、頷いていた。
あたしは他人からのプレゼントなんて初めてだったから、こんなにも心が温かくなるものなんだと胸に手をやった。
・・・・あの時はありがとうね、卓さん。
富士急ハイランドでは、ジェット・コースターとお化け屋敷以外は何をしたのか、乗ったのかよく憶えていない。
あまりに楽しくて嬉しくて夢の中にいるようだったから。
夕方、家の前に戻って来たときおかあちゃんが帰って来ているようだったので、あたしはバイクから降りながら「寄ってけば?」と誘ったのだけれども、卓さんはバイクから降りずに寂しげな声で「お母さんにありがとうと言っておいてくれないか」と言い置き、東京に続く道へとその日一日だけの相棒を走らせて行ってしまった。
その日を最後に、卓さんは我が家に来ることもなく、あたしたちの前から消えた。
定期的に来ていた人が来なくなったのに、おばあちゃんはともかく、おかあちゃんはその後もまったく普通で、卓さんの名前も特に口にしなかった。
あたしはそのことも本当に不思議でならなかったのだけれど・・・・。
新があたしの前に現れたのは、あたしが高校一年生を終える年の三月だった。
その日、あたしはおかあちゃんの物を整理しながら、時々アルバムなんかを開いてはあたしたち二人が写った写真に見入り、しばらくすると泣きそうな自分がいることに気付かされ、言いようのない悲しみの波に耐えていた。
おかあちゃんは亡くなっていた。
前の年の十二月、新宿発甲府行き電車の中ほどの座席にすわり、頭を窓側に預けるような形で優しい表情を浮かべながら。
おかあちゃんはその日、東京の知人のところに行くと言っていた。
前の晩誰かから電話が掛かって来て、受話器を置くとすぐに「明日の夕ご飯あんたが用意してね」とあたしに言い、おばあちゃんには「連絡あったから・・・、ともかく行ってくるね」と複雑な表情を浮かべていた。
翌朝早くおかあちゃんは出かけた。
そして夜、すっかり夕飯後でくつろいでいたあたしたちの元に、警察からの思いもしない「おかあちゃんの突然の死」という、一気に地獄に落とされるような知らせが入ったのだった。
・・・おかあちゃん、楽しい人生だったかしら。
アルバムのページを捲っていたら懐かしい写真が目にはいった。
七五三のときのやつ。
お宮さんの前で、おかあちゃんは上下ベージュのスーツ、小さなあたしはいかにもチープな黒のフォーマルワンピ。
二人並んでおかあちゃんは笑顔だけれど、千歳飴の袋を手に下げたあたしは渋い顔だ。
お宮参りの女の子達が華やかな着物を着てきていたのでくやしくてくやしくて仕方がなかったのだ。
この後うちに帰って大泣きしたっけ。
そんなことをいろいろと思い出していたときに新は突然あたしの前に現れたのだった。
「よっ、元気だったかい。みるく」
呼び鈴が鳴ったので玄関に行くと背の高い見知らぬ青年がにこにこしながら右手をあげていた。
みるく?
それはあたしが保育園に通っていた頃のニックネームだった。
付けられた理由はわからないけれど、みんなにそう呼ばれていたという記憶があった。
怖い、この人・・・・。
初対面であろう青年から発せられた言葉で一瞬の恐怖とあたしの頭の中に(何故?)がいっぱいになり、あたしは少々のパニックに陥ったようだ。言葉がでなくなり、身体が棒になってしまった。
そんなあたしの様子を伺い知れたのか、新は「・・・憶えていないんだな」と呟き、続けて「ばあちゃんは?」と問いかけてきた。
あたしは何も言えずくるりと向きを変え、おばあちゃんを呼びに行こうとした。そして丁度そのとき、おばあちゃんが奥の部屋から出てきたのだった。
落ち着いた様子であたしの前に出たおばあちゃんは自分より30㎝は高いノッポの青年を見上げて「新か?」と笑いかけた。
「本当に久しぶりだね、ばあちゃん。お世話になりにきたよ」
「大学受かったんか?」
「うん」
「そうかそうか、そりゃ目出度い」
「で、今日はご挨拶といろいろ話をしたいなって思って・・・・」
「まあ、ここじゃなんだから上にあがってけしね」
それからおばあちゃんは後ろにいるあたしを横にのけ、満面の笑顔で新をうちに招き入れたのだった。
新が帰った後におばあちゃんに聞いてみたら、東京で育った新が、何故かここの国立大学を受験し受かったこと、そのためうちに下宿すること、うちの遠い親戚であたしが小さい頃、隣のアパートに住んでいたこと等々教えてもらい、記憶はなかったけれどそれで(みるく)だったのかぁ、と合点がいった。
それにしても・・・、二階にあるあたしの部屋の前、六畳ほどであたしの部屋もそうなんだけれど入口は襖の扉、そこが新の部屋になると聞いたあたしは激怒した。
「年頃の娘がいるんだよ!オオカミがすぐ前って正気?」
「あのこは大丈夫だよ。あんたのことは妹みたいなもんだとしか思わんさ。心配なのはあんた。新はいい男だもんなぁ」
口に手をやり「むふふ・・・」とにやけるおばあちゃんを見て、あたしは脱力した。
六畳一間、朝夕食事付、風呂・トイレ共同。下宿代月一万円。
それが新がうちに下宿する上での条件だ。
安すぎるよな、と思ったけれど本当にちょいっとした地震がくればすぐにでも潰れてしまうようなボロ家だし、親戚だし、仕方がないよなと思う。
ただし、夕飯は新が駅前の本屋で夕のアルバイトを始めたので休みの火・日以外は出さない。
だから、新とそれ程の接触はなかったけれど、夜遅く、新が階段を上ってくる足音を聞くと少しだけ緊張が走った。
新が部屋に入ると最初はガサガサと言うような音がするけれど、しばらくすると音は止み、後はめったに音が漏れてくることはなかった。ラジオとか持ってないの?
気になる。
でも一番気になったのは、引っ越しのときに新から聞いた一言だった。
引っ越しの日、新は荷物とともに軽トラに乗ってやってきた。運転してきたのは40代半ばくらいの男性で、あたしとおばあちゃんに「新をよろしくお願いいたします」と丁寧に挨拶をしてきたのでてっきり父親かと思っていた。
それで荷物を運び終えて、彼が帰ったあと「腰の低いお父さんだね」と声を掛けたら新は若干唇の端を上げながら「親父は天国、去年の12月癌で死亡、お袋は親父と別れて何処にいるのやら・・・、あの人は親父の親友さ」
それを聞いてあたしは「しまった」と思うとともに新が本当は何者なのかが気になるようになった。
・・・・・遠い親戚ってマジ?
でもだからといって、一緒に住むようになって何かが起こるというわけではなかったし、3か月も過ぎるとそれはもうどうでもよくなっていた。
ある日、居間の窓を全て開け放ち、緩い風をいれながらおばあちゃんの肩もみをしている新の楽しそうな顔を、階段を上りかけたあたしは見てしまった。
「ばあちゃん、これぐらいの力でいいかい?」
「よしよし、うまいじゃないか」
「そりゃそうだ。免許皆伝の腕前だからな」
まるで本当の祖母と孫のような様子に、あたしは少しだけ嫉妬心を覚えたけれど、「あの中にあたしも入りたいな・・・」とも思った。
そして「新の妹」って感じで一度固定された椅子に座ってみるのも案外いいかも、と思ったのだった。
それから・・・、新の気持ちが垣間見えたのが高校三年の4月。
新のバイトが休みの日の夕飯中、あたしはつい軽い口調で言ってしまった。
「朝、電車の中で痴漢にあったよ。あたしを狙うなんて物好きだね」
それを聞いておばあちゃんは目を丸くして何かをいいかけたけれど、それより先に新の方が反応した。
「・・・許せん。そいつは誰だ」
箸を持つ手が小刻みに揺れていた。
「わかんないよー、満員でぎゅうぎゅうだったし」
「それで?」
「お尻触って来たから、何度も手で払ってそのうちおさまったよ」
「でも、明日もまたやられるかもしれないじゃないか」
「乗る車両を替えるし、大丈夫」
そう強がりをいったものの本当はすごく不安だった。もしそういうことを毎日続けられたら物凄く滅入るだろう。
「俺が毎朝一緒に電車に乗る!捕まえてやる」
「え?」
「みるくは俺の大切な・・・」
「え?なんなのよ」
あたしが問うと新は立ち上がり、シンクで自分の空になった茶碗と箸を洗い片付けると、あたしに向かって「何があっても明日からはついていく!」何者も寄せ付けないような顔でキッチンを出、どすどすと階段を上って行ってしまった。
次の日の朝から宣言通り新は一緒について来たけれど、幸いなことに以降、二度と痴漢に遭うことはなかった。
新がおよそ一か月間あたしと一緒に電車に乗り、あまりに「捕まえてやるぞオーラ」を出し過ぎたために痴漢も手を出せなかったのだろうか。
あたしとしてはさすがに一か月はうざかったけれども、あの晩の「大切な」という新の言葉が嬉しかった。勿論「大切な」の後にどういう言葉が入るのか想像は出来ていたから。
大学へは進学する予定ではなかったけれど、担任の「行くべき。学費は奨学金だとか、免除する制度があるから」とのアドバイスと、おばあちゃんの「頑張れ」という一言、そしてあたしは大学の理学部に通う新の苦学生ぶりを先例として間近に見てきたので、決心し、猛勉強の末、新と同じ地元の国立大学の教育学部を受験し、なんとか滑り込むことができた。
それからの一年間はあたしのそれまでの人生からするととても自由で楽しい学生生活だった。将来的な奨学金返済への不安もあったけれどバイトもして、洋服もそれなりに揃えるようになり、笑い合えるような友人も出来た。
・・・充実していた。
そして、そんな中、
今年の4月におばあちゃんが脳梗塞で倒れた。
そのとき新は学校が休みで部屋にいて、一瞬一階から呼ばれたような気がしたので、部屋を出、階段を下りて行くと廊下におばあちゃんがぐったりとして座り込んでいたという。
なんか様子が変だなと思って近づいて声をかけると、おばあちゃんは震えるばかりでいっこうに言葉がはっきりと出ない。新は「これは・・・」と気づいてすぐに救急車を呼んだ。
そして新は一緒に救急車に乗り込み、救急隊員に症状を伝えて脳外科のある病院へ向かうことになったのだった。
その時間、あたしは、呑気に大学の講義室で友人たちと毒にも薬にもならないくだらない話をしていた。
そしてその最中に新から連絡が入り、おばあちゃんが病院に運び込まれたことを知ると、安穏としていたあたしは一気に凍り付いた。
「おばあちゃんが倒れた・・」と誰ともなしに言うと、友人たちは一様に表情を変え、それからいつまでも突っ立っているあたしの様子を見かね、「何してるの、早く病院へ行かなきゃ」とあたしがそのとき急いですべきことを教えてくれた。
「これは嘘だよ、夢をみているんだ・・」
あたしはふらつきながらも大学の外に出て、丁度来た病院行きのバスに乗り込んだ。
運び込まれた病院に入院後、おばあちゃんの病状は右半身と左足の麻痺が残り、言葉は明瞭ではないがこちらが聞き取れるくらいにはなった。
リハビリで車いすを使えるようにはなったけれど、入院は3か月で転院を余儀なくされ、リハビリに本格特化した病院に移った。
それもあまり効果もなく、やはり3か月の期限が近づいたためあたしはおばあちゃんの気持ちを考慮しながらソーシャルワーカーさんと相談の上、長期入院できる医療保険適用の療養型病院への転院を決めた。恐らくもううちには二度と帰れなくなる、と頭の中にあったけれど。
そんな中でも新は常にあたしと一緒について来てくれた。面倒な手続きは全て新が処理し、役所にも何度も行ってくれた。・・・・入院費用もこれでおばあちゃんの年金で支払えると分かって安堵した。
ありがとう、新。
転院の日、不安がありながらも何とか新しい病院に落ち着き、ベッドで寝ているおばあちゃんに、すまない気持ちでいっぱいになって、「ごめんね」と声をかけた。
おばあちゃんはそれににっこりとして答えた。
「いいさ、いいさ、・・・これが当たり前。気にすんな」
あたしの横にいた新は顔をふせた。
その夜、うちに帰って来たあたしたちは居間で一旦一休みと、テレビをつけて画面をながめていた。
途中であたしはローテーブルの上に放っておいた数通の郵便物が目に入ったので、手に取ってみていたのだけど、その中のあたし宛の一枚のはがきのところで手を止めた。
(成人式のご案内)
そうかぁ・・・、もう二か月もすれば、そうなんだね。
あたしがいつまでもはがきをながめているのに気づいた新はテーブルに肘をついて体を乗り出すようにして「なに、それ?」と聞いてきた。
「成人式の案内だよ」
「勿論行くんだろ?」
「行くわけないじゃん!ただでさえおばあちゃんがあんなだし、それになんにも準備してないし、お金もないよ・・・」
新の決めつけるような言い方に、心にガラスの破片が突き刺さったような感覚を覚え、あたしは声を荒げた。
あたしは成人式のことは始めから諦めていた。でも、こんなはがきが来ればやっぱり心は揺れる。成人式の招待のはがきによってあらためてあたしの決心の固さを確かめられ、同時にあたしは傷つく。
「ほら!」
あたしははがきを新にぞんざいに投げつけ、立ち上がると、新に「そのときの自分の顔」を見せたくなくて逃げるように居間を出、二階の自分の部屋へ飛び込んだのだった。
・・・・どれだけの時間が過ぎたのだろうか?
体の痛みで目が覚めた。
あたしは部屋の真ん中で丸くなって寝ていたようだ。
くしゃみを一つ、二つして体を起こして机の上にある置時計に目をやると意外にそれほどの時間が経っていなかったことがわかった。
軽く寝違えたのか、首に違和感があったので前後左右と頭を揺らしていたところ、外からコンコンと襖のへりを叩く音がした。
新か。
「どうぞ」
新に対して少しやりすぎたかな、と思っていたので神妙な声で応えた。
襖を引き、くぐるようにして入って来た新は少しだけ横幅のほうが長い、大きなバックを下げて来た。そしてそれを横にして傍らに置き、あたしの前で背筋を伸ばして何かを言わんと正座をした。それを見たあたしも思わず反応してしまって、背筋をぴんとして正座の形に整えた。
「・・・・今月25日、二十歳の誕生日だろ?」
「え?」
「ホントはその時渡す予定だったけれど、今でなければいけないと思ってさ」
そういうと新は後ろの尻ポケットに手を入れ、そこからあたしの目前に古ぼけた銀行の紙幣袋を差し出した。
これって・・・・。
見覚えのある紙幣袋。
おかあちゃんと「あの卓さん」との秘密の行動。
もしかして「これ」は「あれ」なの?
あたしは新の微かな目の承認を受け、その紙幣袋を受け取り、もう一度新を見て袋の中の“もの”をゆっくりと引き出した。
それは細かい汚れのある古い普通預金通帳だった。しかもあたし名義の・・・。
「あれ」の正体はこいつだったのか。
あたしがいつまでも表紙ばかり見ているものだから、
「“みんな”からの二十歳のお祝いだ。中を見てみろよ、最初から・・・」
そう新は促し、あたしは最初のページを開いてみた。
そこにあるのは毎月の入金の履歴だった。
それは毎月交互に、「2」で始まる金額と「3」で始まる金額が記帳されていて、卓さんと最後に会ったあの夏まで途切れずに続いていた。
驚いた。
そこで一旦数字を目で追うのを止め、少し顔を上げると新は優しそうな笑顔を浮かべていた。それは確かに優しそうではあったけれど、見方によっては「どうだい、凄いだろ」というような顔にも見えた。
あたしの「驚き」を楽しんでやがるな、こいつ・・・。
それから再度通帳に目を落とすと、次の月から「1」の金額が並び、それはあたしが高校一年の冬まで続き、きりかわって次の年の5月からは「4」の金額がずっと続いていた。
そして今年の3月で入金は終わり、最後に・・・、今月の初めに積み立てられた大金の中から、一部が出金されていた。
「ねえ、これって?・・・みんなって、誰?」
通帳を脇に置いて新の顔を真っ直ぐ見て聞くと、新は待ってましたとばかりに言葉を連ねた。
「勿論、みるくのかあちゃんにばあちゃん、みるくも知ってる卓さんに・・・、あとは俺も絡ませてもらったよ。みるくが大人になったときのお祝いにってな。タスキをつなぐリレーみたいなもん。みんなでさ」
それを聞いてあたしは今までに経験したことのない感情が沸きあがるのを感じた。
真綿に包まれたような温かい気持ちと、センチな気持ちと、それだけではない何か・・・。
「おっと、まだだ。まだまだ泣くのは早いぜ」
あたしの様子を見ていて、新は傍らの大きなカバンに手を出し横にしたまま引きずるようにしてあたしの前に置いた。
「ほら、開けてみろよ。これが本日一番のメイン・ディッシュだ」
メイン・ディッシュ?
あたしより遥かに勉強が出来るはずの新だけれど、どうも言うことが古くてダサくてどこかトンチンカンなことを言うことがある。
あたしは溜息をつきたくなったけれど、ともかく目の前のこいつを片付けなきゃとカバンのジッパーに手をやり、一気に引いた。
そろーとカバンを開き、あたしの目に飛び込んできたのは驚きの物であった。
えっ?
あたしは思わずそれを目にして声をあげそうになった。
それは、心の底でずっとあたしが欲していたものだったから。
振袖だった。
目の覚めるような赤に軽く薄桃色がかった、牡丹に桜の振袖。
長襦袢に、帯、草履、振袖用のバック・・・・。
まさかと思ったが、「あたしの成人式に?」と、新に問うと、「そう」新は優しく頷いてくれた。
その新の頷きを合図に、あたしはその振袖を広げて立ち上がり、軽く纏ってみた。
なにか誇らしい気持ちが沸き起こってきた。
キレイ。
子供の頃の記憶が思い起こされた。
キレイ。
あの時の口惜しさがこうして、このような「幸せ」に変わるなんて。
あたしはこらえきれずに涙を流した。
そうしてそれを見た新がつくづく言った。
「みんなさ、みるくがそいつを着たとこ、見たかったんだろうなぁ」
今ここでそんなこと言わないでよ、・・・・もっと泣けちゃうじゃないか。
あたしは溢れる涙を抑えきれずにいて困ったけれど、でも長い人生、こんなことがあっても良いじゃない、と思って為すがままにした。
みんなからの愛を一心に受けたからね。これでいいんだよ。
おばあちゃんには明日ありがとうを言いに行く。
後で新と卓さんとの関係がどうにも引っかかって聞いてみたら
「卓さんは俺の死んだ親父だ。みるくのうちと親戚ってのは嘘。親父の親友の話だと学生時代、みるくのかあちゃんと親父は恋人どうしで、身も焦がすような大恋愛したっていう話だけれどね」
という返事が返って来た。
そんな衝撃的な話を聞いて、あたしは大いに驚き、それから「もしや・・・」と思ったけれど、口に出すことはしなかった。
その代わりにと唐突に思いつき、二十歳になるあたしにいつまでも“みるく”はないだろうと新に断然抗議した。
新は「俺、お前の名前知らねぇし」と、平然とのたまわった。
ばか!
「潮音」だよあたしの名前は。・・・し・お・ね。
四年近くも一緒に住んでいてあたしの名前も知らなかったなんて、まったく天然な、でもとても頼りがいのある「兄貴」である、・・・・新は。
もう一度言おう。
おばあちゃんにおかあちゃんに卓さんに新・・・・。
愛を確かに受け取ったよ。
By Shione