観音堂の話
古い集落には観音堂がある。
真ん中の小さな赤い屋根が観音堂。
今では鍵がかかっている。
また、道路の改修のときに建て替えて場所は数メートル移動している。
50年まえは四畳半くらいの板の間で、壁も戸もないお堂だった。
女の子が集まって遊んでいた。
このお堂の横を歩いて、母の実家に夏休みに遊びにいくのが最高の楽しみだった。
坂道を上り、
水路沿いの道を歩き、さらに先の祖父母の家に向かった。
今ではコンクリートの暗渠になっているが。
水路には透き通ったきれいな水が流れていた。のどが渇いた時にはのんだ。
石造りの水路で、水車小屋もあった。
水車小屋の中をのぞくのも好きで、穀物の香りを全身で浴びたのだった。
そのとき子供だった私だが、粉っぽい穀物の香りを鮮明に記憶している。
この坂道は、バス停から祖父母の家までの道の中で、唯一の近道。
水路にもなっていたので、どれだけ歩きにくかったか、説明するのも難しい。
しかしここを上ると観音堂の横に出る。
坂道の左側が観音堂。 昔は右側。
そして母が本家の本家と呼んでいた家がある。
祖父母の家はとっくの昔になくなっているので、本家の本家、私の記憶には何もないが懐かしいと思う。
不思議。
観音堂にはもちろん観音様が祭られていた。おそらく古くからだろう。
しかし観音像は盗まれてしまった。
鍵もない田舎のお堂の観音まで盗むのはばちあたりだ。
西原村のほかの観音堂の像も同じ被害にあっている。
私もあそんだお堂。母も遊んだお堂。 花が供えてあった。
あそびに興じていたが、記憶の底に残っている。