庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

オイランソウとはツルハナシノブのこと    思い出の花1 思い出の花2

2017年02月15日 | 

     

    日本シャクナゲ

  40年ほど前、ある方をつてに父が頂いたシャクナゲ。

  後にさらにほかの人に差し上げていたののですが、

  母がどうしてもそのシャクナゲが欲しいというので、枝をもらいに行きました。

  そして挿し木にしました。  5,6年後、花芽が付きました。

  花が満開になる直前まで、真紅のみごとなつぼみです。

  咲くとピンクです。 

 

 

  オイランソウとは母が名づけた。  ツルハナシノブのこと。

  花魁の花かんざしみたいだからと言いました。

   雑草の中に咲いています。数年まえに撮った写真です。

   この2年間は写真に写すことができませんでした。大変なことが続きましたので。

   母が旅立ったとき、この花を髪に飾ってやりました。

 

母が子供のころ遊んだ観音堂    ここにも物語はありますがまたいつか。


西原村は菫がいっぱい  

2017年02月14日 | 野の花

3月 暖かい日当たりのよい場所にはスミレが咲き乱れます。

  プランターに咲く肥後スミレ

白花細葉スミレが駐車場のコンクリートの隙間にびっしり咲いているのを見つけると

生命力を感じますが、スミレはとてもデリケートな花です。

わずかな環境の変化で翌年には全く消えてしまうこともあります。

西原村には色とりどりのスミレが咲きます。

その小ささのため、ほとんど見過ごされてしまうことが多いのですが。

今年はスミレを探して歩きましょう。

 

春を待つ今日この頃     庭が花であふれます。


庭で育てる花木   小ぶりがベスト

2017年02月14日 | 

庭にどんな花を植えるのか毎年迷います。

迷わないですますならば、花木がベストです。

忘れずに咲いてくれます。

 アジア系のボケ

赤花、白花、絞り、どのボケもお日様が好きです。

ミツマタ   

 ロウバイは中低木  12月から咲く。

お正月の花に使う方も多いです。

斑入りの山茶花

椿は低木で育てると楽しめます。挿し木で増える花木です。

花木の下にはヒガンバナの葉が出ている。

今のうちに株分けしておくと秋にはきれいな花が咲きます。

 

 


損壊した水路   4月22日の朝

2017年02月13日 | 西原村, 熊本県,

4月22日朝

避難場所から大切畑に向かう道を通って家に帰る。

この迂回路は地震以来初めて通った。

(前夜、大雨の予報で、避難指示が出ていたため、指定避難場所に避難していた。)

狭い農道をすすんでいって見えたい光景。

大切畑のダムの水が壊れた水路からいっきに流れて、田畑を壊していた。

4月16日には、ダムの堤防に亀裂が入り、決壊の恐れがあると下流域の集落には避難命令が出たが、

幸い決壊の前に水が抜けたのだった。

この光景を初めて見たときには絶句。

水が抜けた大切畑のダム。地震前は湧水が流れ込むきれいなダムだった。

さらに、。

ほとんどの家が倒壊していた。

集落の向こうに大切畑大橋が見える。

 

 この集落では11人が倒壊した家に閉じ込められたのだが、全員を消防団という

村の男たちが助け出したのだった。そして3日間炊き出しをしながら助けあって生きた奇跡の集落だった。

 

        今年もミツマタの花が咲くだろう。


大切畑  集落の多くが失われた

2017年02月11日 | 熊本地震

昨年の三月末の庭の様子

我が家の庭は父と母が集めた花木と花で造られています。

父母の思い出のない植物はない、と言えるでしょう。

写真として見ると風景のすべてが小さくなりますので、

おまけにピンボケ気味な写真のおかげかな。きれいな庭みたい!

今年は庭の様子が違っていますけれど。  春には

ブログのためにデジカメを替えて、花を撮ろうと思っています。

 

西原村の我が家の近所の家の庭もそれぞれにきれいです。

庭が好きな方は大勢います。でも庭を訪ねたことは数家しかありません。

春には近所の庭を訪ねたいと思っています。ブログに載せられたらいいですね。

家も庭も失った集落があります。

 

5月18日の大切畑の集落を大切畑橋から撮りました。

どんどん解体撤去されています。土が見えている場所は解体が終了したところ。

今ではほとんどの家が消えている

大切畑の集落から大切畑橋を見る。(5月17日)

向かいの山が崩れて橋の橋脚が押され、ズレが生じているとのことでした。

橋のつなぎ目

橋まで行ったのは5月18日の一回だけ。

立ち入り禁止になっています。


復旧工事の様子   熊本から俵山トンネルに向かう道

2017年02月10日 | 熊本地震

3か月ほどの地盤や地形の調査の後、

南阿蘇に抜ける道路の復旧工事と迂回路工事が始まりました。

それこそ、昼夜を問わず、急ピッチの大工事。

日曜日も、雨の日も、風の日も、朝早くから、夜は11時くらいまで。

山を削り、田畑を埋め立て、狭い道を広げ、橋を架け、12月の開通に向けて

工事は進みました。

田畑を失った人がいます。 みんなのためだと思ったでしょうか。

小さな集落の狭い狭い道は、一日に通る多くのダンプカーや工事用の重機のために

凸凹になり、さらに痛んでいきました。

道路は完成しました。

南阿蘇は近くなりました。

車は快適に走り抜けるでしょう。

 

 


地震後のある日   崩れた道路

2017年02月09日 | 熊本地震

4月11日の庭の片隅にヒトリシズカが咲いていました。

クサボケ

日本固有種のボケです。ボケの花は次々に咲くので、長く楽しめます。

50年くらい前には土手の隅に、この花は多くみられました。

草刈りで上部はカットされてしまうので、地面に這うように生えていました。

ほとんど踏まれながら咲く花でした。

田んぼや畑の農地整理が進んだあとは見なくなりました。

丈が高くならないので重宝な花木です。

 俵山トンネルに向かう道は途中で崩れていました。

「萌の里」から100メートルくらい阿蘇方面に進んだあたり。

5月13日に見に行きました。それまでは余裕がなかったのかなあ。

なかなかここを見に行けませんでした。

どれだけ揺れたんだと改めて思う光景。

あの夜(2016,4,16)は1:56まで揺れが続いたので動けませんでした。

30分揺れてたわけです。激しい揺れとゆっくりした超周波のゆれが交互に来たのです。

その間、咽喉がカラカラになりました。たぶん血液どろどろになっていたでしょうね。

庭にクリンソウが花盛りでした。

 


西原村の人のすごすぎはどこから?

2017年02月09日 | 西原村, 熊本県,

 

美しい村です。

水と空気がきれいな村です。

道野辺に日本の山野草がたくさん残っている村です。

野菜がおいしい村です。  水と空気と野菜を作る人、三つがそろわないと

美味し野菜はできません。  このことを実感する数か月でした。

道路が通行止になり、迂回して狭い集落の道を通りました。

日に何度も通ります。今ではわたしのメイン道路ですから。

 昨年の5月6日の写真です。

このころ私はこの道をとおるたびに涙が流れました。

それは静かであまりにきれいだったからです。

ゴミも瓦礫も落ちていません。石垣は崩れていますが、車が往来できる幅は片づけてありました。

赤い張り紙が見える建物は「立ち入り禁止」の判定がついたもの。

狭い道のほとんどの石垣は損傷していました。

掃除までしている道、ほかの車のために片方に寄せられた石、通行している人からはけして見えない家庭ごみ

村の人たちの長い間の暮らし方、毎日の生活の姿が見えませんか。

西原村の人  すごすぎ  ですよね!!

だから野菜はおいしい。 実感したのです。

母が愛した肥後椿の侘助をさいごに載せました。

侘助


記憶の中にしかなくなった風景  

2017年02月08日 | 西原村, 熊本県,

昨年の4月20日の庭の藤の花

花も周りの激変を知っていたのでしょうか

何事もなかったように見えますが。

わかっていたようにも思えました。

例年より早く花の元気がなくなったような。

次に気づいた時は枯れていました。

西原村の畑

野の花の写真を撮った時、たまたま写った畑。

桜もちらっと見えます。

 こんなきれいな農作業をする西原村の人ってすごすぎ。

美しい風景だなあと今さらに思う毎日。

しかし記憶の中にしかこの風景はありません。  あの頃

畑の写真を撮っておこうなんて、考えもしなかった。

この西原村をなくすなんて、誰がおもったでしょうか。

壊れた水道管の修理ができて、水が使えるようになりました。そこで

4月30日にやっと滞っていた洗濯をしました。

「おきにいりのブログ教えて!」に参加しました。

たくさんの方が見てくださったことにびっくりです。  わたしの一押し

「気ままに何処でも万葉集」は今一番面白いところですよ。

よかったらそちらのブログを開いてみてくださいね。

 

 


なにわいばら切りました

2017年02月07日 | 

見た目には可憐な白いバラ。

鋭いとげが悩みの花でした。ナニワイバラ。

成長が早いので、枝の剪定もこまめにやりました。その枝が大変です。

一年くらいは硬いまま残っているため、指先を傷つけることしばしば。

他の枯草や落ち葉は腐葉土に変わっていても、この硬いとげはしっかり残っています。

土を触っているだけなのにとげが刺さってしまうのでした。

 

 じつはこの写真は、2016年4月19日の写真です。

我が家の近くの我が家に来る道はこのようになっていました。

18日の夜に電気は回復しましたが、車中泊をしていましたので、

花の世話は全くできずにいました。

軒下に家の中から集めたものを並べていました。

あまり悲観することなく、5月を迎えましたので幸運な被災生活だったと思いました。

写真はそのころ咲いていた花たちです。

 

 


お気に入りのブログ   毎日読んでいます

2017年02月07日 | 旅行

  

 

 

 「気ままに何処でも万葉集」

  このブログのタイトル通り

  「古のときを生きた人の息遣いがそのままのこされている。」

  わかりやすく、丁寧に、写真や絵をふんだんに入れて説明してある。

  歴史の新しい見方を提示している。

  人に話せる万葉集になる。

  読むと歴史感が変わるでしょう。

 

 

 

 


黒豚と私は同じ被災者だったのに   

2017年02月07日 | 野の花

  

    あの日(2016年4月16)夜が明けて愕然としたと思うのですが、あまりおぼえてはいません。

   頭は次のことばかり考えていました。コンクリートブロックを探して、かまどを作り、

   ご飯を炊くこと、   湯を沸かしてお茶を飲むこと。

   雨露をしのぐ場所を確保すること、しなければいけないことは山ほどありました。

   家の中から使えるものを   探すのも一苦労。

   そんなおり、黒豚が我が家の庭に入ってきました。

   庭のあちらこちらを、鼻先で掘り返していたのです。その時の写真はありません。

   あまりの驚きで黒豚を追い払うことしか頭になかったから。

   これは別の日の写真です。

  「ぶーこ」 「家におかえり!」「ここにきてはだめ!」

  可愛そうなブーコだったのに、同じ被災者だったのに。私はその時、

  自分のことしか考えられなかった。反省、はんせい、ハンセイ。

   自分のブログでは「プロフィール」の写真を黒豚のブーコにしています。

   ブーコと私の共通点を忘れないように。

   もちろん私とブーコにそれ以上の共通点はありませんよ。

  ブーコはある日私達の前を通り過ぎて、に向かってどこまでも行ってしまいました

  「山に行ってはだめ!」  「帰っておいでブーコ」

  ブーコが行ってしまった山道に「だいぎり」の花が満開でした。

  


あの日(2016年4月16日) 夜明けの薄明りの中で最初にしたこと

2017年02月05日 | 西原村, 熊本県,

   

   庭と花を紹介することと、私のいる場所は深い関係にあります。

  ここは西原村です。

  地震に会わなければブログをアップしょうと思わなかったでしょう。

  あの日(2016.4.16)夜中に突然30分近く地震でゆれた後、駐車場に避難し

 ました。停電していたので、電池式ラジオを聴きながら、じっと赤い月明かりの

 中で夜明けを待ちました。

  午前5時に妹と近くのダムを見に行ったときの写真です。

  だんだん夜が明けて、周りが見えるようになりました。

  そして我が家に通じる凡ての道が壊れていることを自分の目で知りました。

  暗い中、消防団の方が懐中電灯一つで、我が家に安否の確認に来てくれて

いましたので、どの道も崩れていることは聞いていました。

  

  西原村の被災した方々を私はテレビで知りました。立派な人、かしこい人、優しい人、限りなく素朴な人、村の人たちを知るたびに、毎回テレビの前で号泣しました。

  この人たちに元の村を返して!

 


西原村の野焼き   草原の美しさを保つ

2017年02月04日 | 野の花

 阿蘇の草原は草が芽吹く前に野焼きが行われて来ました。

  

  ここは俵山のすそ野です。西原村の農産物が売られている「萌の里」の近く、ポピーの種まきが終わったばかりでしょうか、畑が見えます。この畑は秋にコスモスが咲いていました。。ブログに書いた「捨てられた山羊たち」の話の舞台です。

   

  野焼きが行われなくなった阿蘇の草原は荒れていきます。灌木と笹竹に埋まり、人が入ることができない山になってしまいます

  

  野焼きは日曜日に実施されます。消防団の方や農家の若い人たちが、仕事を休める日に行われるからです。風が強い日は実施されません。雨はもちろん、前日が大雨でもダメです。枯草が湿っていると火をつけるのが難しいからです。

    

  炎が10メートルくらい上がっているのがわかりますでしょうか。

  怖いです。離れていますがパチパチ篠竹が焼ける音が聞こえます。

 

  「萌の里」では春休みに観光野焼きをやっていましたよ。でも今年はどうかしら。草地が一所「萌の里」のために残してありました。夕方残照の中で赤々ともえる草原は幻想的でしたよ。  

  山も崩れたので、人が登れる状況ではないかもしれませんから、野焼きは無理でしょうか。でもいつか元の草原に戻る事でしょう。

  私も山にはまだ入っていません。草原の草花を見に行ける日を、楽しみに待つことにしましょう。  

  「萌の里」の野焼きからまもなくの草原です。先に野焼きが行われたところは草が青く芽吹いていますね。

 

  こうして毎年の草が育つのですね。蕨が頭を持ち上げています。写真はすべて地震の前のものです。


春への期待  今年は特別の思いで3月を迎えます。

2017年02月04日 | 野の花

 

 「春を待つ」 「春が来る 」 「春を楽しむ」 「春を惜しむ」

 春への尽きない思いと庭の花々。

 2月は春を前にして、その期待がどことなく胸騒ぎに代わりませんか。

  3月は椿と桜が我が家の庭の主役です。しかし、今年は例年と少し違っています。 地震で壊れた石垣の修復工事のために、かなりの庭の木々を切ってしまいました。桜はほとんど切り倒しました。椿も切りました。椿は数年もすればもとの大きさに戻るとは思いますが。

   

   庭の椿の数年前の写真を載せました。

   当時はブログの予定がなく、適当に撮りためてきたものです。 

   「肥後椿」が庭の主流です。3月には今年のはなを紹介したいですね。

  

   赤の肥後椿です。

  肥後椿は白、ピンク、赤と白の絞り、ピンクと赤の絞りと赤の咲き分け、などの木があります。大輪の薔薇くらいの大きさの花です。

    チューリップ椿、しぼりの江戸錦、侘助つばきの写真です。

  これは山茶花です。ほかにも山茶花はありますが写真はありません。

  山茶花は花の時期が長く、12月から3月まで咲いている木もあります。

  つばきが好きな方は3月をお楽しみに!