(写真:上海の外灘(ワイタン)から観た夜景、UCFホームページトップの
Flash画像にも使用している)
私の起業家精神の原点、そして苦悩からの続き
なんとも言えない不安感や焦りが私を襲う。。
当時、私が所属していたところは
マンションの分譲ちょうどバブル経済の最中にあって
住宅・マンションを開発し分譲すれば即日完売
しかもマンションの最上階などの希少性のある部屋は倍率が
数百倍ともなることもめずらしくなかった。
分譲すればするだけ売れていたので
部署からは、我々は殿様商売で買い手などいくらでもいる
などという声も聞こえてくるぐらい
賞与も新入社員でありながらかなりの額をもらっていた。
(生活も仕事も学生のころに比べれば比較にならないほど
楽でしかも他業種と比べて収入も格段に高い)
私はこのような状況が続くはずなどないと内心そう思っていた
なぜならば、勢いあるもの必ず衰えるというのは歴史的に
みてもわかる。慢心した状況などつづはずはない、いずれは
崩壊するとは私は仏教徒なので慢心することの怖さはよく知っている
つもりだった。
仕事が終わるとたいがい飲みに誘われる。
そこでも我が世の春の晩餐。株価10万円いくかもな
(私は内心そんなことはあり得ないだろうと感じていた)
そのなかでも苦手だったのは、同僚から誘われる他社(商社)との
合同コンパだ。
パーティー形式で同僚と飲んでいると同じ世代ぐらいの女性が
近づいてきてお嬢様大学時のサークルや海外旅行の話だ
ハワイにゴルフに行ってきたとか、BMW350で大学に通っていたとか
とても話についていけない。同僚とは話が盛り上がっている。
(自分で稼いだ金ではないだろう、この親のスネかじりが)
私は内容の無い話に苦痛を感じ、いつものことながら
トイレに行くふりをしてそのパーティーを抜け出していた。
(考えていることがあまりにも幼稚だ、同じ年ながらこうも精神の年齢が
違うものかと思う)
お子ちゃまとの会話などしている時間はない、先を急ぐので
(それから私はいつの間にかいなくなる男と噂される)
帰りの電車の中でどこか世の中おかしい
このままではこの日本は堕落するのではないかと思うと
なにやら言い知れぬ不安感と焦りが私を襲った。
土日の休日など、
土曜日は財務会計の学校に通い
日曜日は法道院(日蓮正宗法華講、親の代より信仰しています)
というお寺に通い仏法を学んだ。
(徳を積むことの大事はこのときに学んだ、徳なきものが
どのような知恵を絞って事業をしたところでそれは成就しない、と)
そして、空いた時間は喫茶店などでもっぱら読書をしていた。
(学生時代からの習慣で本を常に数冊カバンに入れていないと
不安になる、いまでも何処に行く時も本は手放せない)
その後、私も望んでいた法人仲介部門への移動となり
(いま思えばこれがまたとない好機チャンスでもあった)
そこで様々な取引先として大企業、ベンチャーオーナー企業、外資、専門家
シンクタンクなどと交流・知り合うこととなる。このことがその後の起業に大きく影響し
人脈のネットワークの基盤を創ることになる。
このとき25歳、私のなかで構築と戦略的思考は着実に積み重なっていった。
Flash画像にも使用している)
私の起業家精神の原点、そして苦悩からの続き
なんとも言えない不安感や焦りが私を襲う。。
当時、私が所属していたところは
マンションの分譲ちょうどバブル経済の最中にあって
住宅・マンションを開発し分譲すれば即日完売
しかもマンションの最上階などの希少性のある部屋は倍率が
数百倍ともなることもめずらしくなかった。
分譲すればするだけ売れていたので
部署からは、我々は殿様商売で買い手などいくらでもいる
などという声も聞こえてくるぐらい
賞与も新入社員でありながらかなりの額をもらっていた。
(生活も仕事も学生のころに比べれば比較にならないほど
楽でしかも他業種と比べて収入も格段に高い)
私はこのような状況が続くはずなどないと内心そう思っていた
なぜならば、勢いあるもの必ず衰えるというのは歴史的に
みてもわかる。慢心した状況などつづはずはない、いずれは
崩壊するとは私は仏教徒なので慢心することの怖さはよく知っている
つもりだった。
仕事が終わるとたいがい飲みに誘われる。
そこでも我が世の春の晩餐。株価10万円いくかもな
(私は内心そんなことはあり得ないだろうと感じていた)
そのなかでも苦手だったのは、同僚から誘われる他社(商社)との
合同コンパだ。
パーティー形式で同僚と飲んでいると同じ世代ぐらいの女性が
近づいてきてお嬢様大学時のサークルや海外旅行の話だ
ハワイにゴルフに行ってきたとか、BMW350で大学に通っていたとか
とても話についていけない。同僚とは話が盛り上がっている。
(自分で稼いだ金ではないだろう、この親のスネかじりが)
私は内容の無い話に苦痛を感じ、いつものことながら
トイレに行くふりをしてそのパーティーを抜け出していた。
(考えていることがあまりにも幼稚だ、同じ年ながらこうも精神の年齢が
違うものかと思う)
お子ちゃまとの会話などしている時間はない、先を急ぐので
(それから私はいつの間にかいなくなる男と噂される)
帰りの電車の中でどこか世の中おかしい
このままではこの日本は堕落するのではないかと思うと
なにやら言い知れぬ不安感と焦りが私を襲った。
土日の休日など、
土曜日は財務会計の学校に通い
日曜日は法道院(日蓮正宗法華講、親の代より信仰しています)
というお寺に通い仏法を学んだ。
(徳を積むことの大事はこのときに学んだ、徳なきものが
どのような知恵を絞って事業をしたところでそれは成就しない、と)
そして、空いた時間は喫茶店などでもっぱら読書をしていた。
(学生時代からの習慣で本を常に数冊カバンに入れていないと
不安になる、いまでも何処に行く時も本は手放せない)
その後、私も望んでいた法人仲介部門への移動となり
(いま思えばこれがまたとない好機チャンスでもあった)
そこで様々な取引先として大企業、ベンチャーオーナー企業、外資、専門家
シンクタンクなどと交流・知り合うこととなる。このことがその後の起業に大きく影響し
人脈のネットワークの基盤を創ることになる。
このとき25歳、私のなかで構築と戦略的思考は着実に積み重なっていった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます