下天の夢。百年も一瞬。夢のまた夢、そして無常を知る。
「下天の夢」
人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
人間の一生は所詮五十年に過ぎない。
桶狭間の戦いの折、今川軍が鷲津・丸根の砦に攻めかかった事を聞いた
織田信長公は、この敦盛の一節謡ながら舞うと、猛然と出陣したと言う。
「下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
人間世界は下天に比べると一瞬の夢のようなもの でしかない
「ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」は、
この世に生を受け命あるものはすべて滅びる、という意味
「百年も一瞬」
立志は特異を尚ぶ、俗流と与に議し難し。
身後の業を思はず、且だ目前の安きを偸む。
百年は一瞬のみ、君子は素餐する勿れ。(吉田松陰先生 詩)
志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない
世俗の意見に惑わされてもいけない
死んだ後の業苦を思い煩うな
目先の安楽は一時しのぎと知れ
百年の時は一瞬にすぎない
君たちはどうかいたずらに時を過ごすことなかれ
「夢のまた夢」
「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
豊臣秀吉公の辞世の句
露がぽとりと落ちて、すぐ消えるようにはかない私の一生だった
何もかも夢の中で夢を見ているような、はかない一生だった。
貧しい農民の子としてに生まれ、
一躍天下人に上りつめた男、豊臣秀吉。世界史を観ても、
彼ほどの成功者は少ない。地位、名誉、権力、財産、享楽など
すべて手にいれたが、この辞世の句からは、最後はなにか空しさが漂うものがある。
「無 常」
この世の現実存在は、すべて
かたちも常に流動変化するものであり、
一瞬といえども存在は同一性を保持することができない。
命あるものはいつかは必ず死に至る。
分かってはいるものの、改めて考えると何か人生観が
変わってきます。
常に死と隣り合わせのなかにあった戦国時代や幕末の変動期に
生きた志高き先人たちは、いずれは来る「臨終」を悟り、逆算して
今何をなすべきかを考えていたのかもしれません。
人生は一瞬の夢のようなもの
悔いのないよう思いっきり生きよう、と
忘れかけていた本当の幸せとは
2010年08月08日に記載したブログの通りに
世の中が変化していることに驚きを隠せません。
http://blog.goo.ne.jp/ucf6601/e/0adf6646d3a4bd165bb47d8faf56154d#comment-list
一度きりの人生、今こそ迷わず起業するときかもしれません。
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自分らしく起業はユナイテッド・オフィスへ
※「下天」とは、六欲天の最下位の世で、一昼夜は人間界の50年に当たり、
住人の定命は500歳とされる。
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