死なうは一定、人としての価値
死なうは一定、しのび草には何をしよぞ、一定かたり遺すよの
意味は
「人間はだれでも死ぬもの、生きたときのことをしのぶものとして、
生きているあいだになにをしておこうか。
人は、きっとそのことを思い出として語ってくれるだろうよ」(信長戦記より)。
信長が好んだ唄として
かの有名な「敦盛」の「人間五十年、下天の内をくらぶれば、
夢幻の如くなり、一度生を享け、滅せぬもののあるべきか」の一節
意味は
人の世の五十年は、下天(※)の一日にすぎない。
夢や幻のように儚いものである。
この世に生まれて、滅びぬものなどいようか
「人間は生きていられる時間は限られ、いつかは必ず死に至る
だからこそ、後世にまで語り継がれるような、自分の生きざまを残そう」
という、信長の死生観
人間は誰しも、遅かれ早かれ、いつかは死ぬ
その人の価値は、一生のうち、大義として如何に世のため人のために
完全燃焼したか、だと思う。
安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。
※下天とは、天上界の下の界で、人間界の50年が天上界の一日だといわれている。
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