奈良市の大安寺を訪ねました。毎年3月だけ開扉される馬頭観音さんにお会いするために。
大安寺は聖徳太子が建立した熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が草創と伝えられています。百済に移って百済大寺、飛鳥では大官大寺と呼ばれ、平城遷都とともにこの地に建立されたそうです。寺名は「天下大平 万民安楽」の意味で名付けられたもので、国家鎮護の官寺として重んじられ、東大寺、西大寺に対して南大寺とも呼ばれました。1017年にはほぼ全ての堂宇を失い南都仏教の復興期にも乗り遅れて一番荒廃の著しい寺となりました。今は本堂と再建なった嘶(いななき)堂などが境内に並び、かつての大寺の面影はなくなっています。
本堂へお参りした後、馬頭観音さんが開扉されている嘶堂へ移り拝見しているとご住職が入ってこられてお灯明を点けながら、「もっと近づいてもいいですよ」と仰ってくださいました。ご住職に「この馬頭さんは後補部分が多い像なので、国宝にはならず重要文化財どまりです。だから近づいて拝んでもらえるんですよ。指定では千手観音となっていますが、寺では馬頭観音として伝わっています」と説明していただきました。
一般に馬頭観音さんは、頭上に馬頭をいただく忿怒の形相ですが、この尊像にはその馬頭がありません。かわりに胸飾りの瓔珞(装身具)と足首に蛇が巻きつき、腰には獣皮をまとっている極めて珍しい姿です。馬頭観音さんは、馬が牧草を食むように、もろもろの悪を食い尽くし、たくさんの水を一気に呑み干すように私達の災厄を除くといい、厄除けの仏として信仰されています。
馬頭観音さんに手を合わせ終わりますと、ご住職が「みなさん馬頭さんばかりに目が行きがちになりますが、この左側に安置されている阿弥陀様は高村光太郎さんの作ですよ」と教えてくださいました。像高40~50cmほどの小さな坐像だったので、知らなければ見過ごすところでした。その後少し大安寺の仏像についてご住職とお話をさせていただきいろいろと教えていただきました。御住職にお話を伺えるなんて予想もしなかったことで、ほんとうにありがたい時間を過ごすことができました。これも一年に一ヵ月間だけ姿を現す馬頭観音さんのご利益でしょうか。仏縁だと信じます。感謝。
大安寺は聖徳太子が建立した熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)が草創と伝えられています。百済に移って百済大寺、飛鳥では大官大寺と呼ばれ、平城遷都とともにこの地に建立されたそうです。寺名は「天下大平 万民安楽」の意味で名付けられたもので、国家鎮護の官寺として重んじられ、東大寺、西大寺に対して南大寺とも呼ばれました。1017年にはほぼ全ての堂宇を失い南都仏教の復興期にも乗り遅れて一番荒廃の著しい寺となりました。今は本堂と再建なった嘶(いななき)堂などが境内に並び、かつての大寺の面影はなくなっています。
本堂へお参りした後、馬頭観音さんが開扉されている嘶堂へ移り拝見しているとご住職が入ってこられてお灯明を点けながら、「もっと近づいてもいいですよ」と仰ってくださいました。ご住職に「この馬頭さんは後補部分が多い像なので、国宝にはならず重要文化財どまりです。だから近づいて拝んでもらえるんですよ。指定では千手観音となっていますが、寺では馬頭観音として伝わっています」と説明していただきました。
一般に馬頭観音さんは、頭上に馬頭をいただく忿怒の形相ですが、この尊像にはその馬頭がありません。かわりに胸飾りの瓔珞(装身具)と足首に蛇が巻きつき、腰には獣皮をまとっている極めて珍しい姿です。馬頭観音さんは、馬が牧草を食むように、もろもろの悪を食い尽くし、たくさんの水を一気に呑み干すように私達の災厄を除くといい、厄除けの仏として信仰されています。
馬頭観音さんに手を合わせ終わりますと、ご住職が「みなさん馬頭さんばかりに目が行きがちになりますが、この左側に安置されている阿弥陀様は高村光太郎さんの作ですよ」と教えてくださいました。像高40~50cmほどの小さな坐像だったので、知らなければ見過ごすところでした。その後少し大安寺の仏像についてご住職とお話をさせていただきいろいろと教えていただきました。御住職にお話を伺えるなんて予想もしなかったことで、ほんとうにありがたい時間を過ごすことができました。これも一年に一ヵ月間だけ姿を現す馬頭観音さんのご利益でしょうか。仏縁だと信じます。感謝。
忘れちゃうかもしれないけど、ご縁があれば伺えるでしょう。