とかくに人の世は・・・

智に働いてみたり情に棹さしてみたりしながら
思いついたことや感じたことを徒然に記します 
  nob

私の好きな“桂枝雀”さん

2005年12月22日 | 寄席芸
 今年は桂枝雀さんが高座をおりてから6年が過ぎ、各地で七回忌追善落語会が催されました。何処も満員盛況のうちに終わり、小米時代からの贔屓としてはいまだに枝雀人気が衰えてないことに驚きとうれしさを隠せません。

 枝雀さんの落語は師匠米朝さんの端正な芸とは正反対の派手な芸風(爆笑型と評されている)であることから、よく邪道であるといわれます。私は「爆笑型」=「邪道」だと決め付けられないように思いますし、枝雀さんの落語が爆笑型であるとのレッテルを貼っていいのかも疑問です。確かに「代書」や「米揚げ笊」など全編爆笑のネタもありますが、『崇徳院』や『鴻池の犬』のように笑いのなかにホロッとするようなネタもあります。時にはオーバーな仕草や表現なんかもありますが、それらは基本の延長線上にあり、けっして全体の噺から逸脱しているわけではありません。いわばベクトルが狂ってないので違和感なく、大笑いできるのだと思います。

 また枝雀落語の特徴は、「情」を大切に演じているところです。笑いのなかに愛情を感じる場面が多々あります。『宿替え』や『崇徳院』という落語での夫婦の情、『鴻池の犬』では兄弟犬の情等見事に表現しています。この「情」について枝雀さんは、「自分をあとにして他人を先にする心」(私は「押し付けでない思いやり」という風にとらえています)という解釈をしておられました。芸に滲み出ているそのへんの心情が聞き手に伝わってくるのがわかります。
 落語をするうえで「情」を重要視する一方、枝雀さんは理論家でもありました。「笑いとは緊張の緩和である」(緊緩の法則というらしい)と定義したのは枝雀さんです。
SR(ショート落語)という分野を開拓したり、英語落語をやってみたりと革新的才能も大いに発揮されました。

 枝雀さんは、ありがたいことにVTRやDVDの発達した時代に活躍されたので、高座のアーカイブがたくさんあります。その気になればいつでも高座を見ることができます。また何より、枝雀さんに師事されたお弟子さん達が芸のエッセンスを受け継いでいます。
 枝雀一門、これからが楽しみです。



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