今日は成人式。万吉は33年前に夏の新潟で式に参加した。貧乏な村なのでジーパンとTシャツで参加。TVニュースででているような派手なものではなく、大人たちがささやかに応援してくれている感じの素朴なものであった。
BANFFのみんなもいつか二十歳を迎える。背伸びするのではなくしっかりと地に足をつけておいてほしい。
20歳ぐらいはプレーヤーとしても最高のパフォーマンスができるころだろう。
で、すこし成人式を考えてみた。
成人式の日の由来は、
男子が成人となった証として行っていた日本古来の儀式「元服(げんぷく)」が由来と言われてる。で、現在のような成人式は終戦後の昭和21年に青年達に明るい希望を持たせてやりたいと「成年式」が行われたのが始まりともいわれている。そして、昭和23年に「成人の日」は小正月の1月15日に定められ、現在では1月の第2月曜日に制定された。
デモ、今の成人式の意味があるのかね?
成人式が始まったのは1948年の平均寿命が男性50歳台、女性53歳台。当時の人生の長さから言えば20歳はかなりの「大人」になっていないといけない。長生きの現在では当時の20歳は30歳前半くらいではないかいな。
各地の式場で暴れている若者の感覚からすれば20歳で大人にできあがってしまうと大人としての人生があまりにも長すぎて辛いのかね。
いあまは半数以上はまだ学生で大人として自立したという意識が持てないかね。選挙権の20歳は単なる線引きです。
確かに始まった当時の成人式には意味があったと思います。複興の担い手である若人が集まることは、戦争で傷ついた人々の希望の星であったことでしょう。また、イベントのない時代、ふだん会えない同級生や友人に会え、少しぜいたくをするといった楽しみもあったろうと推測します。
女性につきものの晴れ着は1960年あたりから流行し始らしい。当時百貨店が広めたとのことですが、晴れ着を作ってやるのが楽しみな母親や高卒で働き出して成人式の着物のために貯金をする女性など、式が見栄を競う場と化し、それに群がる美容室、着付けサービス、レンタル着物など一大ビジネス・チャンスともなり、成人式本来の意味は薄れてしまっているような気がします。クリスマスと同じ。コカコーラの策略?広告業界人としても考えてしまう。
成熟した社会では多様な人間がいる。スポーツ、芸術、芸能などのジャンルでは大人顔負けの仕事をし、精神的にもしっかりした未成年がいる一方、何歳になっても親から自立できない者のいる。
子供を持つものとして、一人で生きていく力を身につけてほしい。中学、高校はそのための準備期間。今できること、今しかできないこと、そして、今しなければならないことを精一杯やり抜いてほしい。
BANFFのみんなもいつか二十歳を迎える。背伸びするのではなくしっかりと地に足をつけておいてほしい。
20歳ぐらいはプレーヤーとしても最高のパフォーマンスができるころだろう。
で、すこし成人式を考えてみた。
成人式の日の由来は、
男子が成人となった証として行っていた日本古来の儀式「元服(げんぷく)」が由来と言われてる。で、現在のような成人式は終戦後の昭和21年に青年達に明るい希望を持たせてやりたいと「成年式」が行われたのが始まりともいわれている。そして、昭和23年に「成人の日」は小正月の1月15日に定められ、現在では1月の第2月曜日に制定された。
デモ、今の成人式の意味があるのかね?
成人式が始まったのは1948年の平均寿命が男性50歳台、女性53歳台。当時の人生の長さから言えば20歳はかなりの「大人」になっていないといけない。長生きの現在では当時の20歳は30歳前半くらいではないかいな。
各地の式場で暴れている若者の感覚からすれば20歳で大人にできあがってしまうと大人としての人生があまりにも長すぎて辛いのかね。
いあまは半数以上はまだ学生で大人として自立したという意識が持てないかね。選挙権の20歳は単なる線引きです。
確かに始まった当時の成人式には意味があったと思います。複興の担い手である若人が集まることは、戦争で傷ついた人々の希望の星であったことでしょう。また、イベントのない時代、ふだん会えない同級生や友人に会え、少しぜいたくをするといった楽しみもあったろうと推測します。
女性につきものの晴れ着は1960年あたりから流行し始らしい。当時百貨店が広めたとのことですが、晴れ着を作ってやるのが楽しみな母親や高卒で働き出して成人式の着物のために貯金をする女性など、式が見栄を競う場と化し、それに群がる美容室、着付けサービス、レンタル着物など一大ビジネス・チャンスともなり、成人式本来の意味は薄れてしまっているような気がします。クリスマスと同じ。コカコーラの策略?広告業界人としても考えてしまう。
成熟した社会では多様な人間がいる。スポーツ、芸術、芸能などのジャンルでは大人顔負けの仕事をし、精神的にもしっかりした未成年がいる一方、何歳になっても親から自立できない者のいる。
子供を持つものとして、一人で生きていく力を身につけてほしい。中学、高校はそのための準備期間。今できること、今しかできないこと、そして、今しなければならないことを精一杯やり抜いてほしい。