海とオルゴールBLOG

イルカにあえる海辺のカフェ『 海とオルゴール』さとみママからのお便りです

2024年9月10日 能登島イルカ家族に赤ちゃんが誕生しました

2024-09-22 13:25:33 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき



2024年9月10日、能登島イルカファミリーに赤ちゃんが誕生しました。

18頭になった能登島イルカです。
大切に見守っていきます。

名前は、「ひかる」男の子です。

2024年元旦に発生した能登半島地震、そして、2024年に輪島市で発生した大雨特別警報での豪雨、浸水、洪水の被害

この先、どうしたらいいのか、目先真っ暗・・・。

でも諦めない 絶対に能登に光り輝く日が来ることを願い

私は、「ひかる」光と名付けました。

どうか能登のみなさん、気持ちをしっかり持ち、共にがんばろう!!

私は、生まれも育ちも輪島市出身です。
輪島を応援します。

必ず光はみえるから



感謝の手紙

2024-06-16 14:30:58 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

この度の、能登半島地震でご支援いただきました善意ある皆様のおかげ様で、
今日まで、少しづつ、ゆっくり、慌てずに、出来ることから歩きだしています。
あらためて、感謝の手紙をお届けします。
能登半島がすっぽりと見渡せる海とオルゴールから・・・
海音とカモミールの花が咲きほこる季節となりました。能登半島地震から、
もうすぐ半年が経つ頃を迎えています。
この度は、クラウドファンディング・義援金のお振込み・来店され手から手へと、たくさんの方々からのご支援をいただきましたこと、心から感謝の思いで言葉では言い尽くせない感謝を伝えたいです。
思い起こせば・・・半年前
令和5年12月の年の瀬に、元旦は、どうする?
コロナもそろそろ落ち着いた頃だし、天気もいい日が続くから、
店を開けよう。スタッフの娘、由香と話していました。
令和6年1月1日、今年こそ、良き一年を迎えられますようにと
海の神、山の神に祈りを捧げ、絶え間なくお客様が来店し、午後4時10分、店内に一名の男性客、偶然にも以前、当社で勤務していた男性スタッフの弟さんと、向かい合い。「あの時は、小学生だったね。
もう車の運転できるようになって、よう来てくれたね。お兄ちゃんどうしてる」って・・・その時です。
ドン!と大きな揺れが来た瞬間、カウンターの中にいる娘の由香が、「おかん!!!外に出て、早く!」玄関アプローチに三人が立ち、揺れが収まるまで、ただただ手を握りしめ、安全を確保していました。
とっさの判断で、来店者には「逃げて!この坂の上から急いで!能登島大橋まで、逃げて!」と見送り、たちまち、左右の道路から、車で高台へ避難する車の列に、

行政無線では「大地震、大地震、大津波警報」スマホのアラームが鳴り続けました。私と由香と、向かいのコテージにいた谷口船長と三人は、それぞれの車で、坂の上へ、のとじま道の駅、駐車場へ避難しました。
のとじま道の駅、駐車場へ避難をしましたが、どうしても店が心配になり、
歩いて、坂を下り、フェンスの向こうから見る海を一人見つめました。一直線上に横に線を引き真っすぐ、向かってくる津波を見ました。
しばらくして、谷口船長と二人で、コテージへ向かい、猫3匹の安否が心配になり見に行くと、ベッドの下に身を潜めていました。三匹の猫たちは、みんなが寄り添い合っていました。避難所へ行くと、満員で入れないと断られ、猫バックを3つ用意して車へ運ぼうと考えましたが、コテージは、地震の被害がないことを確認し、避難所へ行くことをやめました。真っ先に考えたことは、長期になるだろう、水と食料と命のことでした。そして、生業のこと、家族や社員のこと。
コテージの小屋へ行くと、大量にある薪、新聞にくるんだ、かぼちゃ・土の中に入れて置いた大根・人参、木くずの中にある長芋、冷凍室には肉や魚など、米も精米したものがたくさんあり、水は雪が降ると凍結し水が出なくこともあるため、ポリタンク10ばかりの水も確保してあり、なにより水に関しては、自家の井戸水で、自家発電を使い、ポンプで水をくみ上げ、停電が5日間続く中、自分たちの備蓄していた食料と水でしのぐことが出来ました。入浴も、露天風呂に水を入れて薪風呂で風呂に入ることが出来ました。
この能登半島地震の破壊力で
まず、最初に頭をよぎったことは、自分の年齢です。
今まで経験したことのない規模の大地震であることを、どの程度の破壊力か、何が壊れているのか、想像をしました。
自分の作ったお店は自分でたたもうと、すぐに顧問税理士さんに相談をしました。「もうダメです」と告げました。
地震発生直後から、届く、メッセンジャー・Gメール・ショートメール・LINE・インスタ、Facebookのコメント・・・・
「海を見たら、いつも坂下さんのこと、イルカのことを思い出しています」
「ママ、逃げて!心配です」「海とオルゴールは私たち家族の心のふるさとです。どうか、続けてください。」・・・・「大好きなイルカとおかあさん、あの日のことを忘れたことがありません。「能登」すぐにイルカとおかあさんのことを心配しました。負けないで!わたしは海とオルゴールが大好きです。」
こんなにも全国、世界の方々に支えられ、この場所とイルカたちのことを・・・
店をたたむことを考え直し、心を動かされました。

今年8月10日が来たら、海とオルゴール20年の歴史です。
なんもない、水もない、水は井戸を掘ろう。軟水で清らかな水が湧き出ました。電気もない場所からはじめたこと
それは、この場所を私が好きになったことがきっかけでした。
エメラルドグリーンの海・・いい凪
遮るもの何一つない広い海、ここに立てば、心が晴れ晴れしました。
この感動を届けよう。独り占めは出来ない大切な場所だと強く思いました。
空気、食べ物、全て、ここに来て食することは、心も身体も元気になる場所であることに気づきました。
幼いころ、私を育ててくれた祖母と見た、大自然が再現される世界に店を立てよう、不運にも、私と祖母は同じ、孫を育てる立場に。
大自然の美しい能登、この能登島で、出会った小鳥のさえずり・・波音・・イルカたち・・満天星、お月さま、ハーブとローズを育て、ここで癒しの空間を来るお客様に提供したい。自分が感じた美しい世界を届けたいと思いました。
「海とオルゴール」

・・・変わったネーミングでしょ。
海は「母」オルゴールは「大切な宝物」
心の中で愛情いっぱい、大自然の能登と共に生きた祖母をイメージし、オルゴールは、温かい家で育つ自分を重ねて店の名前を決めました。
大切にしてきたお店は、大きな母に守られたかのように、一部損壊で被害は免れました。しかし、駐車場・店の什器・家具などの被害は大きかったです。
和倉店の中に入った瞬間、ミシッミシ、キシキシと音を立て、建物がVの字に曲がって、外壁と内壁に隙間が5センチくらいあるのを見た時に、「もうダメ」と思いました。二日後、まだ使えそうな機材などを友人に助けてもらい運び出しました。
引っ越し先は二階が社宅、一階が事務所、事務所の一角へまとめました。
その一か月後・・・引っ越し先は半壊の判定が。
ここがダメ・・・引っ越し、また引っ越しを繰り返し、
毎日が、地震の被害の災害ゴミの後片付けに追われました。

地震発生直後、からの活動として、
私の実家、輪島市へ、物資・水を車に乗せ、寝る間もなく、おにぎりや料理を作り、ポリタンクに水を入れ、輪島市へ通い続けていました。
能登島から一時間で行ける距離ですが、片道6時間40分を要しました。
行き交う車両は、全国の自衛隊車両、救急車、消防車、パトカー・物資を運ぶ車両、上空からは自衛隊のヘリコプターが・・・まるで戦争の最中であるような思いでした。
道なき道を、走り続けていました。巨大な石が道を塞いでいる、道路が陥没している、片側を見れば、数十メートルも道路が崩れ、車だけがポツンと、どうやって這い上がったのか、人は無事だったかと想像した・・山肌だけになり土砂が崩れ、のどかな風景が一変して、川は濁流で土の色に・・塞き止められた川の流れ・目に映るもの全て、恐ろしい限りでした。ハンドイルをギュッと握りしめ、車が泥だらけに、とにかく走り続けました。避難所にいる叔父、叔母、いとこ、友人、輪島のことが心配で、自分は食べない・寝ない・繰り返しの日が続きました。

1月30日、「海とオイルゴール」cafeの営業を再開。暗いままにせずに店の灯りをつけると言う思いに、希望を持ち営業再開に踏み切りましたが、
未だ、観光はストップしたままです。
和倉港も壊滅的な被害を受け、七尾市から、和倉港の使用禁止の書類を受け取りました。港が修復するのは、まだまだ3年先、5年先の状況です。
だけど、私はあきらめない。このイルカウォッチング・イルカと泳ぐドルフィンスイム・釣り船の機能をストップしては・・・まずダメだと頭の中はイルカたちを思いました。
いままでイルカたちは、人とイルカとの信頼が出来上がり、イルカの側へ行く、
嬉しい・楽しいをイルカたちに伝える、船の上で、お客様の歓声が響く、それにイルカたちは応える、イルカが笑う、イルカが笑顔を見せてくれる、それは人とイルカとが一心同体となる不思議な世界、体験があるのです。
いままで信頼関係を作り続けて来たことは奇跡であり人とイルカとの深い愛があることを私は強く思います。船を出さない日が続くと、イルカたちが、この島からいなくなるのではないだろうか・・・
観光はストップした、だけどイルカ観察、イルカとふれあうことは、休みはない、自然は休まない。私も休まない。イルカたちに声を届けよう、必ず復興する日まで、その日がいつになるか想像できないけど、いまやれることはやるしかない
私と谷口船長は、毎日、予約が無くても、イルカたちとの交流は、いつか必ず観光に光が戻るまで、私たちが年老いたとしても、家族のような存在であるイルカたちを見守っていくことをお約束します。

哀しいこともありました。
還暦の60歳はコロナの感染拡大の時期で同窓会が出来ませんでした。
コロナが落ち着いたら、みんなで元気で集まろうねって約束していました。
輪島朝市の付近には、同級生の家がたくさんあります。
みんなに、まずは無事であるかを電話しました。
最後まで無事を祈りましたが、一名の同級生が焼け焦げた中から、見つかりました。
だれからも好かれる優しい人でした。焼け焦げた輪島朝市を川向こうの橋の手前から、叫びました。「まちゃ」大泣きしました。
小さい時、まさきの名前が言えなくて、まちゃって、ずっと呼んでいました。
女の子みたいで、だれとも仲良しで・・・
まちゃの自宅の付近を私、歩いていました。ふと目にしたのは、
NHK「まれ」のシーンで使われた、ケーキのオブジェが焼けてなくて・・・
輪島の朝市・・・いろは橋・・・輪島の代表的な思い出が詰まった大切な場所が跡形もなく・・・爆弾でも落とされたかのように、全てが消失された。
輪島で生まれ輪島を愛し育った私のふるさとが・・・そして優しい人々が・・・
哀悼の祈りを今も深く黙とうし続けています。
なんという悲劇だ・・・
輪島へ向かう・・輪島から能登島へ帰る・・・車の中でたくさん泣いた。

能登半島がもたらした社員の変化
昨年、イルカガイドになるために入社した社員がさよならの言葉も告げずに一月付けで退職した。私も残された社員も、自然消滅する現実が、人と人との信頼や地震がなかったら、こんな思いをしなくても・・・と、みんなが困惑していた。
去る者は追わず、今出来ることを、やろう!雇用は守ると全員に告げた。

最後に渡された声なき声・・・約束
最後に私の元に会社のノートパソコンが送られてきた。最後の保存日は、2月18日であった。ファイルの中を見ると、17頭の個体識別が記され、カッコ内は空白であった。その【】のタイトルは、イルカの名前を決める・・・で終わっていた。昨年の夏の終わりから私と二人で始めた、17頭のイルカの個体識別・・・
私との約束を届けてくれた。
目を閉じて・・・振り返った潜る特訓・・・一緒に見た海の中の美しい魚たちの営み・・・イルカを好きになれ・・・厳しいことも優しさも指導してきたことを振り返っていた。
地震で失ったこと・・・
能登を嫌いになったのかなって・・・思わんでいいことも思ったりして・・
しかたないかなって・・・

社員である孫の奏太との話し合い
俺、ばあちゃんの仕事手伝う。イルカの船長になるって張り切っていた社員の孫の奏太。
5月には「俺、能登を助けたい。解体の現場へ行く」そう言って、
いまは、休業している。
・・・みんなイルカたちが好き
なんでって。なんで・・・苦しくて辛くて守ってあげられない自分を責めていた。
なんとかしなって、和倉温泉の旅館さんに宿泊している能登半島地震のインフラ工事従事者の方においしい食事をと、お弁当を配達、寝る間もなく、
気が付いたら、五か月間で体重が18キロ減。
自分で自分と戦って、原因不明のアナフラキシーに。
お薬のんだら、余計に頭がふらふらして自分じゃなくなって・・・
気が付けば、イルカたちの側へ泳いで行き、イルカに自然治癒力をもらった。

私たちに出来ることからはじめよう
いま、私たちは、残った社員が一丸となり、能登半島の復興のために、
和倉温泉を拠点として、和倉から元気にしよう、やれることからはじめようと
いままでとは、異なる時間帯で、事業を継続することをスタートしました。
和倉温泉・屋台村で出店し現在、「なりわい」をわずかですが維持しています。

和倉店営業再開までの道のり
和倉温泉にある、I LOVE DOLPHIN 海とオルゴール和倉店、解体後、プレハブを3坪と2坪設置し、横に、シャワー室・トイレ・洗面台を置く小屋を、80歳を過ぎた大工さん・左官屋さんと一緒に手作りの小屋を作ります。
設備関係では、まだまだ時間がかかりそうですが、業者さんを探し、6月下旬までになんとか、全て完成に漕ぎつけそうです。現実は、工事関係者の方もいっぱいいっぱいの請負で、大変な現状ですが直接、自らが出向き、現状を一生懸命に伝えて、7月中には、和倉店の解体後の更衣室を再開したい気持ちを伝えていました。公費解体を待たずに自費解体をし、夏までにの「約束」が能登半島地震から、なんとか、なんとか、完成出来る運びとなりました。

私の生活について
2か月間、店の屋根裏で寝泊まりしていた私ですが、4月のはじめに仮設住宅に入ることが出来ました。

能登半島地震発生直後から、とにかく休みなく、走り続けている日々ですが、
イルカたちから元気をいただき、元気でいます。

義援金について
クラウドファンディング・当ホームページ、義援金・手から手へを通して、皆様から寄せられた義援金は、
この先、どうしても、限界となった時に、最後の手段の運転資金として、大切に、貯蓄することが出来ました。
これまで、寄せられた、温かい励ましのメッセージに、心から感謝します。
私に「がんばれ!」をくださった方々、あの時、停電が続く中、スマホの文字、心温まるメッセージには
海とオルゴール・店内から眺める遮るものない海・イルカ・・・
イルカを見る・泳ぐ・・・共に経験した人々・・・のあの日、あの時、あの瞬間の皆様の声・・・思い起こして、今もいます。
私はイルカと泳ぐお客様をアテンドする前に、大切なことを伝えることがあります。
海に入るということは勇気がいることです。広い海・・そして深い海に、
経験したことのない、海の世界に、イルカと泳ぐのが夢だった。幼いころからの・・・
そんな声を聞きます。イルカの目を見て、生まれたての声を発する友のために、
全身全霊で、イルカの側へ、エスコートして来ました。
「ほんの少しの時間、私と家族になってください」「私を頼ってください」「こわいこわいと思うことは体に負荷がかかります。私と一緒に、ほんのわずかな時間、イルカたちの生活の場へ行こう」
私について来てください。さぁー行きましょう
と声を大きくします。
一人一人の真剣なまなざしや、イルカを見た時の喜びの笑顔は私の宝物です。

自家栽培ハーブティーについて
海とオルゴールのハーブティーは、私がハーブをブレンドしお湯を注ぐことを望む方がいます。
どれだけハーブの栽培やハーブのおいしい収穫の見分け方をスタッフさんたちに伝えても、ハーブだけは、わたしのこだわりがあります。
このことについては、ハーブについても、こだわりがあるから、ハーブを知り尽くすことは、何年も年月がかかると思います。少しづつですが、海とオルゴールのスタッフさんたちは、ハーブについて、「好きになる」ことからはじめています。その姿を見て、がんばれって心の中で応援しています。
地震があっても、海辺で育つハーブたちは、今も元気においしいハーブとして、
最盛期に収穫し、秋の終わりには、ドライハーブをブレンドします。
生きている限り、ハーブのやさしさやイルカたちのやさしさを、今いるスタッフたちに伝授するまで、私は、この店を守り続けます。

能登半島地震から7月1日で半年
地震発生からもうすぐ半年、お礼を伝えたいと毎日思い続けていました。いつも側で支えてくれた方々に心から感謝します。
たくさんのお野菜や猫たちのフードも・・・お皿も・・・物資も・・・
温かい衣類も・・・お店に来て、手から手へ・・・宅急便で届く箱の中の、心温かくなる品々・・・
どれだけ、どんだけ、勇気をいただいたか。この御恩は決して忘れません。
みなさんに直接お会いしてお礼を伝えたい気持ちで胸がいっぱいです。
まだまだ行先は不透明なことがたくさん覆いかぶさりそうですが、
決して立ち止まることはせず、子や孫たちに、海とオルゴールの素晴らしさを伝授する日まで、私は、走り続けて参ります。

これまで、ご支援いただきました、全ての皆様にお礼の言葉として、長文となりましたが、ご報告します。
感謝の手紙が大変、遅くなりましたこと、お詫びします。
能登ドルフィンプロジェクトの義援金についても、ほんとうに感謝の気持ちで、胸がいっぱいです。
この能登半島地震は復興までの道のりは長丁場になることを想像しております。
決してあきらめずに、今できることをやる。プラス、イルカが、この七尾湾・そして能登島の美しい宝の島で、子孫を残し、棲みつけてくれる奇跡を守り続けて行きます。ご支援いただき、義援金をいただき、ほんとうに
心から、ありがとうございました。

 株式会社能登島マリンリゾート
代表取締役 坂下さとみ
能登ドルフィンプロジェクト
   海とオルゴール
                 2024年6月16日 父の日


令和6年1月1日元旦に、能登半島地震が発生しました。

2024-02-09 17:01:31 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

2024年、元旦。16:10、私は、二回目の地震の時に、店舗の中にいて、いままで経験したことのない1分ほどの大きな揺れが襲いました。
娘の由香スタッフが、「おかん、外に出て!早く!」
玄関アプローチから海とオルゴールの建物を見守ることしか出来ませんでした。

揺れがおさまると、「大津波警報!」の放送が。すぐに、高台へ逃げました。
のとじま道の駅駐車場は、たちまち非難する島民が集まりました。
私は車から出て、坂の下の中央まで下りて行き、ガードレール側で、津波を見ました。
一直線上に線を引き、真っすぐに、来る波を。
隣町の向田漁港、曲漁港に津波が来たのです。
海とオルゴールは防波堤から2メートル半ほどの高さで、またカーブになっていて入り江であることから津波の被害はなかった。
増築した部分の柱と基礎に亀裂と、駐車場を2年前に作ったばかりに亀裂が入りました。

和倉店は、半壊に近いため、解体をし夏までに、プレハブの家を同じ場所に置く予定です。

和倉港は、壊滅的で、もう一つの桟橋が今現在はなんとかご案内出来そうなので、3月からイルカウォッチングを開始します。
和倉港から乗船できない場合は、他の港からのご案内も今のところ考えています。

出来る限り、諦めずに、前に向いて、普段通りとはいかずとも、先が見えずとも、今できることからスタートします。

スタッフ全員、現在は、休業しています。家が全壊し避難所にいるスタッフ。
壊れかけたアパートにいるスタッフ。
そして水は七尾市は3月4月まで出ない。そのような状況の中、みんな必死に前を向いています。

今年の8月で海とオルゴールの建物が出来てから、8月10日で20年が経ちます。
この20年に起きた災いはいろいろとあります。
2004年10月20日台風で波が屋根までかぶり、浸水。
2007年3月25日能登半島地震。
浮桟橋が台風でこっぱみじんに。
南岸低気圧で係留場所の港で転覆
まだまだあります・・・。

そして、この恐ろしい地震。
今年63歳になる私は、地震発生直後、店をたたむことを考えました。

携帯からたくさんの方々から、海とオルゴールが大切な場所です。
・・・・・数えきれないたくさんの全国・世界の方に勇気をいただきました。

ここで踏ん張ろう。まだまだ海とオルゴールのこと。海のこと。イルカのこと。
子や孫に伝えたい。

こんなに心配してくださって・・・
ここは私たち家族の宝物です。あの日、あの時、あの時間、お客様と海を見た時間・・・イルカを見た幸せを
再び、前へ進み、日常を取り戻し、元気を発信し。

能登半島をみんな好きって言っていただけるように。
私、頑張ります。

支援したい・・・そんなお客様からの善意に甘えて、この度、クラウドファンディングを立ち上げました。

どうか応援をよろしくお願いします。





「令和6年能登半島地震」の甚大なる被害の拡大に伴い、臨時休業のお知らせ。

2024-01-05 06:28:48 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

「令和6年能登半島地震」の甚大なる被害の拡大に伴い、臨時休業のお知らせ。

1月1日に発生いたしました「令和6年能登半島地震」に伴い、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。また、 たくさんの方々からのご心配をいただきありがとうございます。
地震発生直後、スタッフ一名、男性のお客様(以前、海とオルゴールに勤めていた男性スタッフの弟さん)が来店し、

お話をしていると地震が発生し、外へ出ました。
津波警報も出て、とにかく高台にある、のとじま道の駅の駐車場へスタッフと逃げました。
来店されていた男性の方には、とにかく、海沿いを走らずに、高台から逃げてと伝えていました。
隣町の向田集落の港付近では、津波が来ました。道路には、津波で押し上げられた船が散乱しています。
とにかく、能登島も和倉温泉も、甚大な家屋、道路の被害が、言葉にならないことが起きています。
海とオルゴールは、海沿いにあるカフェですが、津波の道から難を逃れることが出来ました。
建物は、増築部分の厨房が少し浮き、テラス玄関側の屋根のひび、什器、調理器具、厨房機械破損の被害が出ました。
和倉店のILOVEDOLPHIN海とオルゴール和倉店(ドルフィンスイム)では、家屋の被害・ものが散乱して、余震の危険もある中、片づけに追われています。

幸いにも、被害も少なく、スタッフ・お客様は無事です。
現在は、安全の確保と復旧に向け作業しております。 この度の地震の影響により施設建物自体の被害に加え、周辺インフラ(水、ガス、道路)等において甚大なる

被害が出ていることから、当面の間、営業できない状況であることをお知らせします。

日々の近況は、HPのリンクからInstagram・ツイッター・Facebookなどで状況をお伝えしております。
こちらでは、現在、地震の後の状況を詳しく見ることが出来ます→海とオルゴール坂下さとみInstagram

幸いにも、年末に、船のガソリン携行缶、店舗の灯油、コテージで使用していた薪風呂・備蓄していた食料があり、当面の間、自分たちの力で避難所へ行かず、
なんとかスタッフみんなで心一つにして乗り越えています。

皆様には、大変なご心配をおかけしました。

「海とオルゴールが、いつまでも、また帰って来られる心のふるさとであり、心が晴れ晴れするお店であり続けるためには、この困難を、必ずや乗り越えます。
SNS上で、たくさんの応援のメッセージを読み上げて、涙が止まりません。また私、坂下さとみのふるさとは、輪島市であり、報道による映像を目の当たりにし、心が
痛いです。また来るね。ずっと海とオルゴールが脳裏にありました。お店・海・ここで働くスタッフの笑顔・・・心はずっとつながることに感謝の気持ちです」

いつか必ず笑顔で、海とオルゴールに立つまで、しばらくの間ですが、お休みとなりますことお許しください。

株式会社能登島マリンリゾート
海とオルゴール
I LOVE DOLPHIN
代表取締役 坂下さとみ


NHK いいいじゅー‼︎テレビ出演のお知らせ

2023-10-24 16:39:41 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

NHK
いいいじゅー‼︎
テレビ出演のお知らせ

2003年10月31日(火)
午後0:29〜0:45


和倉港アクセス ILOVEDOLPHIN 海とオルゴール和倉店

2023-04-30 17:44:07 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

和倉港アクセス ILOVEDOLPHIN 海とオルゴール和倉店


命の尊さ

2023-03-17 09:10:31 | 能登ドルフィンプロジェクト

2022年、能登島須曽漁港角に、イルカの死骸があると、ボートを係留している男性から当社船長に連絡が入る。
急いで、死後、数か月ほど経過していると思われる、赤ちゃんイルカの死骸を確認した。

能登ドルフィンプロジェクトメンバーの方々、そしてイルカを愛する有志が集まり、海から引き上げる作業を行った。
腐敗が進んでいた。

ちょうど漁港の角にいたので、下から網をくぐらせて、引き上げの作業を、5人がかりで行った。

みな口をそろえて、「ここにいるよ」って。

見つけてほしかったんだろうな。

生きているイルカを抱っこしたいと何度も思ったけど、こんな時に抱きかかえると、

命の大切さ、そして自然界で生きるイルカたちの全てを考えてしまう。改めて・・・。

なぜ亡くなったの・・・まだ生まれたばかりなのに・・

2021年5月にイルカの赤ちゃんの死に直面したことがある。
母イルカが赤ちゃんイルカの側から離れず、周りの群れのイルカたちも円を描くように、見守っていた日のことを。
動かない赤ちゃんを、むなびれでバタバタしたり、赤ちゃんの背中に、体いっぱいにお腹をあてたり、海中から頭でつついたり。
「おきろー--」「生きて!」亡くなったイルカの側で母イルカは、仲間のイルカたちが移動しても夜になっても、赤ちゃんの側から離れることはなかった日を
覚えています。

母イルカは3日後には、群れと合流し、張ったお乳が、とても辛かったです。
それから10日が過ぎ、仲間のイルカの赤ちゃんに授乳している光景を見た時は、

イルカも人間も、子を愛する愛を感じました。

私たちに、感動を与えてくれる大切なイルカは人と同じように、心があります。
仲間がいる支え合う。子供を愛すること。


能登ドルフィンプロジェクトは、イルカを愛するメンバーで活動しています。

亡くなったイルカは、国立科学博物館へ、車一台チャーター便で配送しました。

能登ドルフィンプロジェクト イルカを守る活動費の基金は、様々なことに役立てます。

2022年 当社イルカウォッチング船・海とオルゴール店舗内で募金活動で集めた基金は、
38,870円。大切に今後もイルカの活動費として、使わせていただきます。


2022年 ありがとう

2022-12-31 22:30:29 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

いま わたしは 令和5年1月のカレンダーをめくりました
2022年 寒い1月2月・・・2月2日には、このブログにも登場した大好きなおばちゃんの死にも直面しました。
最後に触れた耳たぶの温かさが忘れない・・・。

今年は、能登島イルカに大きな変化があった年でした。
能登島周辺の漁港で赤ちゃんイルカの死。海の様子の変化。自然の変化。

思うように、イルカに合わせてあげられない日がたくさんありました。
梅雨なし、猛暑、豪雨、ものすごいスピードで自然もイルカも・・・

今年一年、さまざまなことがあり、また来年。

2023年、コロナが落ち着いて、幸せな一年でありますように。

今年、能登半島にある舳倉島へ行って来ました。今回は5回目です。
全てが手を合わせたくなる大自然の海の神様がそこにはあります。

だんだんと膝が痛くなり、なかなか海とオルゴールの店内で立つことが出来なくなってきましたが、
娘や孫たちに海とオルゴールを託すまで、今年も頑張ります。

膝が痛いといっても、不思議と、イルカウォッチングでイルカガイド。ドルフィンスイムで泳ぐガイドをしてる時は、
シャキッと背筋が伸びるんですよ。

イルカのパワーはすごいなって、日々感じています。


なかなかブログ更新できませんが、またお会いしましょう。



福井県へいってしまった、すずちゃんイルカ一頭。

2022-06-27 13:58:38 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき
最近、さまざまな自然の摂理について立ち止まって考えさせられることがあります。

時には行き止まりになることも。

能登半島珠洲市の地震、そして団体さんのキャンセル、テレビから流れてる映像を見てキャンセル。
やっとコロナが下火になりかけに、能登島、和倉は、揺れてないよ。大丈夫だよ。
伝えたい。

スタッフから福井放送の番組が石川テレビで放送されていたのを観ました。
そのストーリーを話してくれた。

いろんなとこで名前つけられている珠洲ちゃんというお鼻が少し能登島のイルカたちよりも特徴があるオスのイルカです。

4年前の出来事でした。和倉温泉和倉港から出航し。ドルフィンスイム体験にゲスト2名を乗せて、イルカがいないことをスタッフに電話すると、

スタッフは、海とオルゴールのスロープに来て、たくさんお話ししたよー。

えー

急遽、能登島へ移動し曲港から、能登島のイルカたちに会いに行くドルフィンスイムでしたが、その時、違うこの子は能登島のイルカとは違うと一目見て
分かりました。一頭だけ外洋から入ってきた、おそらく群れからはぐれたイルカだろうとその日は思いました。

ここ七尾北湾は少し沖に出ると日本海側の海です。なんらかの流れで様々なイルカが休息のために入り江に入ってくることがあります。

約3か月~半年、記憶が定かではないですが、能登島にいました。一頭だけのはぐれたイルカがいると、能登島のイルカは場所を離れ、その子から離れようとする行動が見られました。
でも、徐々に、距離を保ち、ちょっとづつ仲良くなりそうな時期に、対岸の入り江へ範囲を広めて行きました。

そこは穴水町にある尾伊端造船所付近の海でした。
造船所の方から連絡があり、一頭だけ、ここにおーるぞって。
いつも冬に船をメンテナンスしていただいていることで、情報を寄せていただきました。

すぐに船長と軽トラに二人乗ってむかいました。

 
今日が最初で最後、そっとしてあげることって、心に来ました。
能登島のイルカたちも、一度だけ、富山県の氷見市阿尾海岸へ71日間家族全員が棲みかを・・・
その時に私がとった行動は、いる場所はわかっただけで、それでいい。無事でいることだけで・・・
船長と涙して呆然と海岸でスーミーの背びれを確認し、じっと見つめたのです。
船長が声をかけようともせず、車の助手席に、シートを倒し、自分の顔を見せないように見つめていました。私は船長のその行動が察知しました。
声をかけないでいよう。
能登島大橋・最後に見た場所へ毎日毎日行くんです。
大きな声で「スーミー帰っておいでー----」届くことなんて出来ないけど、叫びました。

私が最初に出会ったはぐれイルカ、今、福井県にいます。なぜ福井まで行ってしまったのか。
最初は能登島にいて穴水町から離れ能登町へ珠洲市へ輪島市へ志賀町へ羽咋市へ、今辿り着いたら福井県へ。
人に危害を加えるまで発展してる放送をwebから見た。福井放送の番組が石川テレビに流されていたのをスタッフが見つけてくれ、リンクを開いたら途中までしか見られなかった。

能登島のイルカは現在21頭います。この21年間で家族が増えました。
何もなく21年間が過ぎましたが、
いままで、たくさんの難問やイルカとのヒストリーは語りつくせまん。
能登島のイルカたちが、能登島の人たちに守られて、ここにいていいんだよって、今、存在する奇跡と不思議があります。
弱いものをカバーすると
私はいじめを受けたこともあります。
おろらくオルゴールのばあばって、寄って集って、
それでも、イルカたちを守ることは継続中です。
人間の欲望だけで、この取り組みと事業をしません。
イルカのリズムに合わせ、私たちはイルカと言う大切な生命体を
これからも守ることを約束します。
安全にイルカウォッチング、ドルフィンスイム安心して行っていることを伝えたい。

イルカたちは、この上ない癒しのパワーそしてハッピーのギフトを届けてくれます。
人間は、水中では限られた時間息が出来ます。
イルカは人間よりも遥かにスタミナもスケールもウエイトも水中の中、そしての能力も違う。
人間をイルカが遊んでくれる仲間って認識したら人間は言葉で違うよ。今ね癒されたいの触れ合いたいの大好きってイルカに言ってもイルカは
何を言っているか理解は出来ないよ。言葉を発せないから伝えたい時に甘噛みします。わんちゃんもにゃんこもそうだね。
嬉しい、楽しい、キャー可愛い、大切だよね。

イルカが好きだからイルカを見たい。欲望だけでその欲望を向けることはせず、イルカの心の中に入り、手を出さず、静かに息を一つにして、
泳ぐ、それがイルカと泳ぐ基本ルールです。

これからシーズン真っ盛り。

海のプロフェッショナルである私たちが伝えたいことは、福井に行ってしまったイルカちゃんを守らなければ熊さんみたいに殺傷されるよ。
なぜ・・・それはね。人間の贅沢だけ、人間がやかましすぎる愛情をおしつけたからです。


 


 
 
 

2021年 ありがとう 

2021-12-31 10:15:42 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

なかなか、繁忙期はデスクに座って、PCと向き合うことの出来ない日々が続いていました。
気づけば・・今日は2021年大晦日。

2005年からはじめたgooブログ、現代のFacebook・Instagramでは、伝えきれない出来事を、今年もとりためて
今日は更新します。

今年1月、私は年女としてスタート。そして2月、父は掛け時計の針が止まっていたのを見て、電池を交換しようとして
棚の上に上がり、バランスを崩しただろう・・・転倒し、病院へ。
重篤な状態が続きました。それでも、父は怪我と戦って少しづつ回復しました。
そして3月・・4月桜の花が咲く頃、病院から老健へ。もともと持病が悪化していたことで家庭での見守りは困難と私たち
家族は決心し、施設で父は過ごすことに。
人生最大、自分を私は責めました。
面会はコロナ禍であり、制限がかかりました。そんな中でも、父が元気な時にと面会の時間を設けてくださり、父に声掛けを
しました。

最後にリモートで話したのは、横に孫のそうたくん(チビ太)がいて、携帯の画面から映る父のベッドに横たわる姿でした。
zoomでの面会です。

海、孫、私、海とオルゴールを映しました。
とうちゃん~見えるけ~

ごめんね とうちゃんって言って私が声を詰まらせて泣くと
父の「だんくら」←心とは裏腹のこと。が・・・なに、わろとるげ(何、笑ってる)
って・・・

泣くなって。

「わりゃーーーしあわせやぞ」って、言いました。
それは、父と私しか伝えられない意味が含まれているのです。
海があり、孫がいて、大切な海とオルゴールがあって、そこに訪れるお客様を私は迎え入れている。
そしてイルカとの交流・・・。

自分のことは心配しなくていい。来てくれるお客様のために働け。

なんども なんども 私は父に詫びていました。

病院からつながった廊下へと車いすで進む父の姿が、目に焼き付いていて、
自分を責める。

あの時、駆け寄って父を連れて行こうとしなかった自分が・・・

6月2日、母から電話が、「とうちゃん息が止まりそうや ゆーて電話あった すぐ向かってくれ」
海岸沿い、くねくねしたカーブを猛スピードで泣きながら向かった。

父は息を引き取っていた。

母が夢を見たことを話してくれた・・・
とうちゃんとさとみが向い合せでコロコロと遊んどる夢・・さとみが3歳の時。

人間の死と向き合うこと。家族の死と向き合うこと。
泣いてばかりはいられない。
心奮い立たせた。

世界中がコロナ禍の中、飲食の経営に打撃を受けていたことに気づく・・・
なんとかしなくてはと、6月の中旬より、ドルフィンスイムの回数を一日一回から一日三回に切り替えた。
スタッフに伝えたことは、飲食のカフェは、新型コロナウイルス感染拡大による影響で首都圏からの人の往来が
止まったことで、人が能登島に入って来ない。
のとじま水族館も石川県能登島ガラス美術館も休館した。
それでも私は、海とオルゴールを休日にすることを選択しなかった。
店の灯りは決して消したくなかったからだ。

スタッフに、誰も来なくても店は開ける
「ここに来てくださるお客様のために店は開ける」
頼むぞ!と一言告げて、私は体を張って海へときりだした。

首都圏から、県内からとドルフィンスイム体験に来られるお客様が来てくれた。

朝の4時起き・・・寝るのはソファーの日が続いた。

(画像 私、チビ太(そうたくん)

多くのお客様に海とオルゴールのカフェ。海とオルゴールのものづくり体験。
和倉温泉からは和倉港からイルカウォッチング。
和倉温泉にある建物、海とオルゴールドルフィンスイムにご来店いただいたことは、
奇跡であると私は思っています。
なぜ、海とオルゴールへアクセスするのか・・・。

人は何かにつまづいた時に、空と海とイルカに会いに来ることだと私は考えます。
遮るもの何一つない海と空や自然界の音や風・・・
ここには自然を五感で感じる場所・・大切な場所であること。

どんな困難が起ころうとも、ここに帰ってきてくれるお客さまのことを思い、頑張ろうと思っています。

私、今年60歳になりました。腰と右ひざの状態が悪化しているってドクターに告げられています。
立つことが大変な日があります。
そんな時は、スタッフさんに助けてもらっています。
でも、ドルフィンスイムだけは大丈夫なんですよ。それは、ウエットスーツがサポートの役目を果たしてくれます。
そしてイルカを見ると痛みが消えます。

不思議ですね・・・ここ二年、このブログの閲覧数と順位が上がっていることに気が付きました。
何も記事を上げなくても、過去の記事を読んで、
お客様から「ブログの更新楽しみにしています」って・・・
心は更新なんですが、このブログを書く時の癖があります。
海が荒れて船が出せない日・・・大雨が降ってどこにも行けない日・・・雷がなってみんな憂鬱が日
大雪が降る日・・・みんなが最悪の日と決めつけている天候の日が私は自分の時間を作ることが出来ます。

1月と2月の上旬は、今年の失敗を持ち越さない努力の日と決めていて、いろいろな作戦もします。
一風変わり者です。

今年、父の死・・・哀しみもありました。
だけど、喜びもありました。

下記のとおり、お知らせします。

地方大会の登壇後、全国大会へ
12月10日のクラウド実践大賞、クラウドサービス推進機構理事長賞賞の受賞しました。名誉ある賞を受賞しました。

全国大会のリリースとレポートの公開のお知らせ。
アップされた内容の最後くらいに受賞がご視聴出来ます。

リリース
https://cloudinitiative.jp/news/20211210

レポート
https://cloudinitiative.jp/2021zenkoku

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
12月31日 MROラジオ
ラジオヒューマンスペシャル
「イルカにもらった優しい時間 ~私とスーミーの20年~」
ぜひ、聴いてください。
私の声・・・イルカの声・・・チビ太(そうた)の小さいとき今のそうたくんの声
MROラジオさんに、ご視聴後ご感想もいただけると嬉しいです。

2021/12/31/金 14:00-14:55 | ラジオヒューマンスペシャル イルカにもらった優しい時間~私とス-ミーの20年~ | MROラジオ | radiko

2021年ありがとう・・・
私は元気です。


ラジオヒューマンスペシャル「イルカにもらった優しい時間~私とスーミーの20年/12月29日・31日MROラジオ出演のご案内

2021-12-30 09:32:44 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

石川県の七尾湾の野生のミナミバンドウイルカが棲んでいます。
能登島の海に生きるイルカたち家族の歴史の20年

イルカたちが棲みつくことによって生じる問題、漁師さんのインタビュー・・そして専門家の意見も伺い、
人とイルカとの共存について、そして、心の交流は可能なのかを探ります。
出演:坂下さとみ(海とオルゴール)
イルカの鳴き声(音の出演)
村山司(東海大学海洋学部教授)他
放送日 
信越放送 2021年12月29日(水)14:00~14:55
北陸放送 2021年12月31日(金)14:00~14:55




2021コロナ禍と雪と風で大荒れのはじまり

2021-01-07 17:31:00 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき
海とオルゴール木曜日定休日ですが、雪とイルカたちの安否が気になり店舗へ向かいました。
行政無線が13:25にアナウンスが流れました。「能登島大橋強風のため13:30通行止めになります。」
帰れない時はツインブリッジのとからのアクセスしかし、道路は倒木や絵だで走行を妨げていました。いつもなら15分で自宅がある和倉温泉まで帰宅出来るのですが、40分もかかってしまいました。
明日はどうなるやら。






2020ありがとう

2020-12-31 23:31:00 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき
春が来て 夏が来て 秋が来て 冬
たくさん今年はあったね

言葉にならない思いをガラス瓶に詰めて





テレビ東京、昼めし旅、〜あなたのご飯見せて下さい〜に出演のお知らせ

2020-12-07 12:39:00 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき
テレビ出演のお知らせ
番組名 :昼めし旅
〜あなたのご飯見せて下さい〜
放送局 :テレビ東京(東京7チャンネル)
放送日時 :2020年12月10日(木)11:40〜放送予定
能登島のイルカたちとの秘話物語、いつも食べている素朴な昼ごはん等、海とオルゴールのヒストリーがあかされます。
東京近郊の皆さま是非みてください。

詳細はこちら
https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_tvtokyo/program/detail/202012/22893_202012101140.html

2020年9月13日午前 能登島イルカ赤ちゃん誕生 祝!

2020-09-18 11:43:34 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき

gooブログ 久しぶりの投稿です。

海とオルゴールに春から勤務することになったスタッフさんからのリクエストで
ブログの投稿を。それから和倉温泉の和倉港で時々お顔を見るやさしそうな男性の方。

長時間のデスクワークとパソコンに向き合う時間がなかかな取れずでした。
でも、海とオルゴールのブログをご愛読されている読者の方々のこと。それから海とオルゴールにかかわることは、
やはりSNSも大切ですが、記録として残る、2005年からはじめた日記は、消すわけにはいかないなって思います。
思っています。

まずはうれしい報告です。
先日、ニッポン放送でとりあげていただきました。記事をぜひお読みいただきたいなって思いました。
このブログにも登場した、お亡くなりになられた女性。まだ若き命をがんで・・・。
いまでもずっと忘れていません彼女のことは、偶然にも、お亡くなりになられた後に私の元に訪問に・・・
七尾女子高、今の鵬学園の普通科の大親友の妹さんだったんです。
そのつながりで、動物に関わる記事が掲載されました。ぜひ読んでください。

ニッポン放送 海とオルゴールコチラから→https://news.1242.com/article/230136

それから、能登島イルカに今年も赤ちゃんが誕生しました。
まだ若い母イルカの赤ちゃんです。生まれたてもイルカの赤ちゃんのからだは横に線が6本ほど入っています。
ふにゃとして無傷の赤ちゃんです。
可愛いですよ。

能登島イルカは合計13頭になりました。
お母さんイルカに寄り添ってこれから子育てがスタートします。

赤ちゃんは小さい小魚を食べたり、行動が広範囲になることから、今後3週間はイルカウォッチングは午前がおすすめです。活発に泳ぎ回るので、大変です。

私、海とオルゴール坂下さとみと行くドルフィンスイムは早朝のみ受け付けとなります。

あと、なんでもかんでも報告ですが、9月から毎週木曜日を定休日にしました。海とオルゴールカフェのみ木曜日がお休みです。

2005年3月25日に海とオルゴールがオープンし15年と6か月定休日を設けることなく頑張りましたが、来年は私は還暦を迎えるにあたって、そろそろ自分の好きなこともたくさんしたいなって。。。

イルカの写真。能登の風景。能登の朝日。能登の夕日。イルカと泳ぐ。それから少し認知症が進んだ親のことにも関わって行こうと決断しました。

なぜ定休日をいままで設けなかったか。それは、能登島大橋を渡って遠方からハンドルを握った・・辿り着いたら海とオルゴールの玄関を開けていたって全国の方に来ていただきました。

ここはそんなお客様を待っていたいな・・・って。ドアに挟んであったメモを開けてみました。こう書いてありました。

「海が見たい・・・ママに会いたい・・・お店で流れていた音楽・・・すべての生命体と一体になれる大好きな海とオルゴールに会いたいと思い来ました。」

どこのだれ・・・とも書かれていないメモを見たときに、台風・嵐・大雪・特別な事情の時はお休みします。そんな書き方をホームページに記しました。あれから15年。ずっと休まなかったこと。自分でもよく頑張ったなって思います。

毎週木曜日 海とオルゴールカフェは・・・自分の休息として今後はお休みします。


泣いたり・・・笑ったり・・・平常心を保てなくなりそうになったり・・・人間はいろんな困難に立ちはだかることがありますね。
例えば・・・苦手なことから逃げようとする・・・逃げることは簡単。

この人苦手・・・自分がそう思えば鏡のように伝わる。だから挨拶はしよう。人として重要なことは、相手の目を見て
決して目をそらさずに、「おはよう」「こんにちは」「さようなら」笑顔の向こうはいつもあたたかいの精神を持つことが重要である。

私は自由が好き・・・自然が好き・・・イルカも同じ。イルカは喧嘩が嫌い。

2020年9月の秋の海・・・新しい命が生まれました。この命の瞬間は私の心を豊かにしてくださいました。
イルカって不思議だね。
いまあった現実・・・これから起こる未来・・・「あっていいんだ」って
全てのことに勇気と希望の光を投げてくれる・・・・・。


そんなイルカがかけがえのない存在であり 見守っていたい。

昨年の七夕に能登ドルフィンプロジェクトを立ち上げました。
能登の全域でイルカに関わることがありましたら、どんな情報でもいいので、連絡いただければ嬉しいです。

昨年は15頭いたイルカが三頭のイルカが見つかりません。半の浦・石崎に打ち寄せられて死骸となって発見された二頭のイルカ・・・そして能都町・珠洲・輪島と一頭だけひとりぼっちで能登の海を回遊するイルカ・・・

これから本格的に実行しなければならない課題は人間が捨てるゴミ問題。釣り人が捨てる釣り糸の針、ぺットボトル・空き缶。プラゴミ。船のエンジンオイルの流出など。

課題は重いですが来春までに 様々な機関と連携して取り組んで行きます。

能登ドルフィンププロジェクト メンバー募集
興味のある方は 090-1639-0533 能登ドルフィンプロジェクト 代表 坂下さとみまで


北陸中日新聞に能登島イルカ赤ちゃん誕生 掲載いただきました。コチラ→https://www.chunichi.co.jp/article/121738