海とオルゴールBLOG

イルカにあえる海辺のカフェ『 海とオルゴール』さとみママからのお便りです

こんなにいっぱい!

2010-12-15 21:48:40 | 海とオルゴールさとみママのつぶやき




だいぶ、くたびれてきた、家のコースケ。暇さえあれば、こんな感じでくつろいでいます。
その姿を見つめるひとときが、一日のほっとな時間・・かなっ



最近、健康のために、歩いています。目標は、一日一万キロ。



ウオーキングコースは、自宅付近の多目的グランド・和倉温泉・能登島大橋を早朝、カッパを着て、
ドスコイのからだで歩いています。見かけたら、声をかけてください。


12月11日、スタッフと穴水町の焼肉華店で、しばしのお別れ会をしました。

華店の女将からのサービス。優雅なひとときにリフレッシュしました。


スタッフのNさんとチビ太くん。すっかり仲良しになって・・・


12月12日、しばしのお別れの日を迎えました。
チビ太くんとわたしに、プレゼントをいただきました。


短い時間だったけど、海とオルゴールを支えてくれて、一緒に働くことができて、
ほんとうに助かりました。チビ太もすっかり、勉強が好きになりました。
記事かいてると・・・
・・・・泣けてきました。


12月12日、カエルパパとチビ太とわたしとで、ほっとらんどNANAOさんへ行ってお食事してきました。


牡蠣の釜飯のコースを食べました。

食べきれないほど、じゃんじゃん出てきて、お腹がいっぱいになりました。
とっても、美味しかったです。


12月13日、加賀のおとうさん(他界した母の夫)に、わたしが撮影した、能登島のイルカの
写真を額に入れて送りました。
そっと、走り書きの手紙を添えた。

電話をすると、12月9日に三周忌をすませた、命日は1月11日と一ヶ月早いけど、すませたがや・・・って話していた。どうせ、わたしに言っても、来ないこと分かってるから、知らせてくれなかったんだろうな・・三周忌ってことすら・・忘れていた。
まだ、生きてるようで、母の死がまだ、受け止められないでいる自分がいる。
いつも、どこかで、わたしを見守っているのかもしれない・・


今日(12月15日)届いた、ゆうパック。
水菜・白菜・かぶら・ネギが2箱。食べきれないので、スタッフのMさん宅へすこし、おすそ分けに
行ってきた。あとは、長女が来たら、少しもっていってもらう予定。
まず、食べれない・・こんなにいっぱい!

長野のお客様から、りんごが届きました。

和歌山から、みかんも・・

志賀町から、ころ柿も

穴水のカエルパパのおとうさんからも・・

穴水のキャベツとゆず
冬至やさかいになって・・いってた。


玄関に、置ききれないやさいや、果物を整理整頓していたら、キュウイを発見。
早くたべなきゃ・・・


今日、無断で使われた、大手出版社へ、直接電話をした。
少しづつですが、能登島のイルカの今の現状を、伝えています。
少し、先が、少しづつですが見えてきました。まだまだ、長いトンネルでありますが・・
全身全霊・・心を伝えていきます。
今日は雪が降りました。あしたも寒そうですっ

能登島の野生のイルカの写真著作権侵害事件。

2010-12-15 07:09:59 | 能登島イルカウォッチング 観察日記


(能登島イルカ写真 著作権侵害事件の資料。)

一本の電話を取る。「ママさん まだ島(能登島)におったかいね。おらんがんになったかとおもたわい
たかが写真の5枚や10枚 逆らわんと・・・」
返す言葉を遮られ、憎まれた瞬間だった。

確かに能登島でお店を経営していく上で、港に関わる方方と親睦を深めることは大切なことだと十分に理解はしています。
だけど、無断で、私が撮影し、海とオルゴールブログに公開しているイルカの写真を、堂々と、いたるところで
イルカの写真をアップしているのを、自分の目で見たときに、どんなに苦しいことか。


隣町の港に船を係留していた時期がありました。将来、私が能登島イルカウォッチングに事業を進めるうえで、準備をしていると、
「イルカするんやったら ここに船を置くな」と私のパートナーが意地悪をされる。「こんなとこに店したってだれやくる」
さんざんいじわるをする人間となぜ仲良くならねばならぬ。

勝手に、私が撮影した能登島イルカの写真を、同業他社のHPにアップしたり、雑誌に載せたり、チラシを作ったり、
これは、絶対にずさんとしか言いようがない。

写真は、心だと思っています。私は風景や動物や人物・・・様々な映像や収める写真を撮影するときは、全神経を注ぎ、
イルカへは、たくさんの言葉を掛けます。
絵もそうです。心のこもった作品は、見る側には、エネルギーを感じ、時に、涙になる。
写真を撮りに出かける時は、自分の意欲であったり、その日その時々の光の光線だったり・・・
写真は大切なことを伝えるためのメッセージ性のあるものを撮影するように日々心掛けています。

芸術作品を、大っ嫌いな人のために無断で使われ、けなされ、ののしられ、批判され、妬まれ・・・ほんと腹の底から、悔しいです。

たまたま立ち寄った、場所で、待ち時間に目にした雑誌。自分の写真が使われたことに気づく
他に写真が一人歩きをしていたことが分かりました。
2009・8月号「関西じゃらん」・
同じく      「親子で行くフミリーレジャーガイド」
わたしのオリジナル写真が加工されていたり、一部が切り取られていたり、
地元情報誌・・・能登島で観光事業に携わる方のHP・・・
ポスターやチラシ・・・数えきれない

使われた写真の思い入れについて
2009・1・11実の母が他界した。
2009・3・29叔母が倒れた。

2009・4・8お釈迦様の誕生日に、「奇跡の一枚」を奇跡的に真正面を向いている
イルカのハッピー(2007・7・7誕生)の顔と横に寄り添う母の写真を撮影した。
その写真は、多くの人に感動と奇跡をもたらしてくれた、私にとって大切な写真です。
合計4枚の写真が、大手出版社に提供されていた。能登島のイルウォッチングクルーズのために。

イルカの傷を写真から見つけ、こんなめちゃくちゃなルールがないイルカウォッチングは
やめろ!やめて!傷つけるな!死なすな!と叫んでいた。
実際に、重蛇島の前で、生まれたばかりのイルカの子供が死んでいるのを見つけた。心がズタズタだった。
腐敗して、真っ白になった子供イルカを母イルカや仲間のイルカ達が、口や体の圧で浮かそうとしている姿を、
じーちゃんの船から見た。じーちゃんも泣いていた。

能登島のイルカたち・・・私の写真が火をつけて。。。私が宣伝をしていたのと同じだったことが・・
悔しいです。
しばらく、立ち直れそうもないくらい、いま、限界に来ています。

今年に入って、確か・・7月下旬、他界した母の家へ行ってきました。
お仏壇に手を合わせて、目線を左にやると、2009・7・8の記事の新聞が切り抜いて、そっと
添えてありました。私の活躍をいつも、応援していた母に、家族は報告をしたんだな・・
私が送った「奇跡の写真」は、他界した母の写真の横に飾ってあるのを見て、家族の心に入ってみた・・
こういった
生きてた時は、喧嘩した。でも今は違う。朝、昼、晩と、仏壇の前に座って、今日あったことを、
話してる。さとみちゃんの写真にも・・

叔母の命を救ってくれた写真。母のぶんまで、生きて!

たかが写真。でもたくさんの人を勇気づけたり、元気になったりする。私の写真が、観光の発展として使われるのはありがたいことでありますが、今の現状の能登島イルカ達には、少ない頭数で、多い日は、イルカの数よりも3倍もの船をだすなんて、やりきれません。