さて、ときどき本を読んでると時々おかしなイメージが頭をよぎります。
今に始まったことではないんですが、はたと読む目がとまり少し考えるようなことがあります。
文章的には何も変なところはない。でも何か違う。そんな感じがして気持ちがよくありません。
前に雑記のあたりでも書いたかも知れませんが、作者ではなく第三者の手が加わると不思議と読むのをやめてしまうときがあります。
小川未明の「赤いろうそくと人魚(文庫版)」を読んでいたときにどうやっても読めなくなってしまい、本を閉じました。
本の内容はとてもおもしろく、もっともっと読み進めていたい気がしましたが、頭の中に入ってくるイメージに雑音が混じるとでも言うのでしょうか。作者の奏でる音とは違う別の音が混じってくるのです。
それは旋律の中に入り込んだ雑音、もしくは不協和音となって頭の中を駆けめぐります。
”そんなはずはない。文章にはおかしなところなんて無い”
そんなことを考えながらページをめくるのですが、雑音は消えることがありません。
後で気づいたことですが、どうも仮名遣いが現代仮名遣いに直されていたようです。そのあたりが頭の中をひっかくような不協和音を奏でていたようです。
だからそれ以降あまり本を読んでいません。
漫画は読んでたりしますが、基本的にアシスタントを使わずに一人で書いてるような漫画家が多いかもしれません。
たぶんなにか違和感を感じるんでしょうか。
さて、前置きが長くなりましたが「死に方のコツ」という本を買いました。
これは高校時代に読んだ本なのですが、タイトルは物騒ではありますが内容はとてもすばらしい本です。
死を無駄に恐れるのではなく、死と向き合い共に歩いていくようなそんな本です。
事実高校時代に悩んでいたことがすべて吹っ飛んでいくようなくらい気持ちのいい本なのです。
読んだところが学校の図書室だったので、借りて読むくらいで買わないまま今に至っておりました。
前から気になっていたこの本ですが先日やっと買うことが出来ました。
とりあえず文庫サイズになってたのでそちらを買ってみたわけですが・・・・・・
読んでいく上で少し違和感が出てきました。内容は当たり前のごとく同じものです。でも何か違うんです。また頭の中に不協和音が響き渡ります。
読み進めていくと少し変なことに気がつきました。「看護師」です。
僕が高校生の頃は看護婦、スチュワーデスが当たり前だった時代です。いつのまにか死語とされ看護師、キャビンアテンダントなど男女、差別のない言葉に置き換えられていったわけですが、この本が書かれた当初は看護婦で書かれているのがただしく、看護師なんて言う言葉は世間には出回っておりませんでした。
「看護師」で書かれている文章。まるで誰かのいたずらのように新聞で「師」の字を切り取ってきて看護婦の「婦」の部分に貼り付けたようなイメージが浮かびました。
なんだか切なくなりました。
不思議に思って調べてみると先に出た単行本の方ではやっぱり看護婦になってるではありませんか。どうやら文庫に直すときに「看護師」に改訂されたものと思われます。
謎が解けてほっとした反面、やはり寂しさというか切なさを感じます。
たったそれだけのことで本の味付けが変わってしまう。世間一般では変わってしまった言葉でも、書いた当時はそれが当たり前で、その言葉無くして世界が組み上がらないのです。
とりあえず元の作品は大切にしてほしいし、時間が経って表現が変わってしまったからといってヘタに変えないで頂きたい。
作者の書いた当初のイメージは看護婦で統一されている。だからこそ切り抜き文字を貼り付けたようなイメージが生まれたのかも知れない。
とりあえず話は変わるが「共感覚」と言われる感覚がある。
これは見えた色を味として認識してしまうとか、聞こえた音に何らかの色を感じてしまうとか、あまりぴんと来ない症状というか感覚があるらしい。
どちらかといえば脳の不思議とでも言うんでしょうか、ある条件から何か違うものが見えてくるといったことのようです。
本来人間に備わっていて、みんな気がついていないだけで持ってるものだと思うのだけれど、どうもぼくには本の改訂部分が不協和音となって見えてくるのかも知れない。
(この辺は想像であり、検査や実験でわかったものじゃないですが)
だからどうしたといえば何が出来るわけでもないので防ぐこともどうすることも出来ないので、出来るだけ慎重に本を選ぶだけでしょうね。
あまり改訂されていないような初版を選ぶとか、ヘタに文庫化される前の本来の本を選ぶとかそんな感じなのでしょうか。
そんなことをやってるとどんどん本から離れていってしまうのですが・・・・・・
最後になりましたがすばらしい本を引き合いに出してこんなことを語ってしまい申し訳ございません。
小川未明氏の「赤いろうそくと人魚」は”こんな童話があったのか!”と思えるほど心地よくもあり、薄暗い童話的に少し冷たくもあり、気持ちのいい作品です。
高柳 和江さんの「死に方のコツ」は”こんなに死をやさしく丁寧に書いた本があったのか!”と思えるほどすばらしい本です。
死ぬことへの見方が180度変わるほど、いろんな事例と想いとともに書かれています。
そんないい本たちをを寂しい形で読んでしまった感想です。
こんどこそ原文で読もうと思います。
今に始まったことではないんですが、はたと読む目がとまり少し考えるようなことがあります。
文章的には何も変なところはない。でも何か違う。そんな感じがして気持ちがよくありません。
前に雑記のあたりでも書いたかも知れませんが、作者ではなく第三者の手が加わると不思議と読むのをやめてしまうときがあります。
小川未明の「赤いろうそくと人魚(文庫版)」を読んでいたときにどうやっても読めなくなってしまい、本を閉じました。
本の内容はとてもおもしろく、もっともっと読み進めていたい気がしましたが、頭の中に入ってくるイメージに雑音が混じるとでも言うのでしょうか。作者の奏でる音とは違う別の音が混じってくるのです。
それは旋律の中に入り込んだ雑音、もしくは不協和音となって頭の中を駆けめぐります。
”そんなはずはない。文章にはおかしなところなんて無い”
そんなことを考えながらページをめくるのですが、雑音は消えることがありません。
後で気づいたことですが、どうも仮名遣いが現代仮名遣いに直されていたようです。そのあたりが頭の中をひっかくような不協和音を奏でていたようです。
だからそれ以降あまり本を読んでいません。
漫画は読んでたりしますが、基本的にアシスタントを使わずに一人で書いてるような漫画家が多いかもしれません。
たぶんなにか違和感を感じるんでしょうか。
さて、前置きが長くなりましたが「死に方のコツ」という本を買いました。
これは高校時代に読んだ本なのですが、タイトルは物騒ではありますが内容はとてもすばらしい本です。
死を無駄に恐れるのではなく、死と向き合い共に歩いていくようなそんな本です。
事実高校時代に悩んでいたことがすべて吹っ飛んでいくようなくらい気持ちのいい本なのです。
読んだところが学校の図書室だったので、借りて読むくらいで買わないまま今に至っておりました。
前から気になっていたこの本ですが先日やっと買うことが出来ました。
とりあえず文庫サイズになってたのでそちらを買ってみたわけですが・・・・・・
読んでいく上で少し違和感が出てきました。内容は当たり前のごとく同じものです。でも何か違うんです。また頭の中に不協和音が響き渡ります。
読み進めていくと少し変なことに気がつきました。「看護師」です。
僕が高校生の頃は看護婦、スチュワーデスが当たり前だった時代です。いつのまにか死語とされ看護師、キャビンアテンダントなど男女、差別のない言葉に置き換えられていったわけですが、この本が書かれた当初は看護婦で書かれているのがただしく、看護師なんて言う言葉は世間には出回っておりませんでした。
「看護師」で書かれている文章。まるで誰かのいたずらのように新聞で「師」の字を切り取ってきて看護婦の「婦」の部分に貼り付けたようなイメージが浮かびました。
なんだか切なくなりました。
不思議に思って調べてみると先に出た単行本の方ではやっぱり看護婦になってるではありませんか。どうやら文庫に直すときに「看護師」に改訂されたものと思われます。
謎が解けてほっとした反面、やはり寂しさというか切なさを感じます。
たったそれだけのことで本の味付けが変わってしまう。世間一般では変わってしまった言葉でも、書いた当時はそれが当たり前で、その言葉無くして世界が組み上がらないのです。
とりあえず元の作品は大切にしてほしいし、時間が経って表現が変わってしまったからといってヘタに変えないで頂きたい。
作者の書いた当初のイメージは看護婦で統一されている。だからこそ切り抜き文字を貼り付けたようなイメージが生まれたのかも知れない。
とりあえず話は変わるが「共感覚」と言われる感覚がある。
これは見えた色を味として認識してしまうとか、聞こえた音に何らかの色を感じてしまうとか、あまりぴんと来ない症状というか感覚があるらしい。
どちらかといえば脳の不思議とでも言うんでしょうか、ある条件から何か違うものが見えてくるといったことのようです。
本来人間に備わっていて、みんな気がついていないだけで持ってるものだと思うのだけれど、どうもぼくには本の改訂部分が不協和音となって見えてくるのかも知れない。
(この辺は想像であり、検査や実験でわかったものじゃないですが)
だからどうしたといえば何が出来るわけでもないので防ぐこともどうすることも出来ないので、出来るだけ慎重に本を選ぶだけでしょうね。
あまり改訂されていないような初版を選ぶとか、ヘタに文庫化される前の本来の本を選ぶとかそんな感じなのでしょうか。
そんなことをやってるとどんどん本から離れていってしまうのですが・・・・・・
最後になりましたがすばらしい本を引き合いに出してこんなことを語ってしまい申し訳ございません。
小川未明氏の「赤いろうそくと人魚」は”こんな童話があったのか!”と思えるほど心地よくもあり、薄暗い童話的に少し冷たくもあり、気持ちのいい作品です。
高柳 和江さんの「死に方のコツ」は”こんなに死をやさしく丁寧に書いた本があったのか!”と思えるほどすばらしい本です。
死ぬことへの見方が180度変わるほど、いろんな事例と想いとともに書かれています。
そんないい本たちをを寂しい形で読んでしまった感想です。
こんどこそ原文で読もうと思います。