設計事務所の裏窓

夫は建築士。設計事務所をやってます。
裏から眺めた感想、日々の独り言。
不定期便で頑張ります~!

特別事業

2005年05月18日 09時46分35秒 | 独り言
最近 ニュースを聞くとやたら「監禁」という言葉ばかりが
流れている。
監禁しなければ 愛情表現が出来ないという歪んだ感情は
毛頭理解に苦しむが 過激なビデオのせいだとか
バーチャルと現実を見極められない世代だとかで片付けるよりも
根本は やはり育ってきた環境が大きいように思える。
そうなると要となるのは「親」らしい。

自分も親だから 主観的なものが多いかもしれないが
最近のというか もう何十年も前から親達自体が壊れている
ような気がしてならない・・・・

本屋に行けば あふれかける育児書の山。
確かに自分も子供が小さい時は ワラにもすがる気持ちで
読んだ記憶もある。でも冷静に考えれば なぜ人を育てるという
事が こんなにも特別扱いになってしまっているのだろうか。
そして こんなにもマニュアル本がなければいけないのだろうか。

個人的な事かもしれないが 長男を生んで実家に帰ったとき
明治生まれの祖母と昭和生まれの母では 赤ん坊に対する
態度も全く違ったし 育てるという意味も全く違っていた。
二人とも自分から見れば もう一人の人格を育て上げた
ベテランであるが 母はともかく少しでも赤ん坊が泣けば
母乳が足りないのでは 眠いのではと 泣いている原因ばかりを
自分以上に気にしていた。まあ、それは母自身の性格によるものかも
しれないが 赤ん坊をとにかく家族の中で特別視する傾向は
強かったように思える。方や祖母は あの戦時中に8人育て上げた
だけあって 反応は全く違っていた。
赤ん坊も人間。赤ん坊も家族の一員。人を育てる事は特別な事でも
なんでもない事。そんな言葉は言わなかったけど 祖母の
態度はいつもそうだった。

あれから10年。ちょっと冷静に自分たち親子だけじゃなく
周りの親子を見渡せば やはり子育ては親にとって何か特別の
事業を展開しているような感じが多い。でもその特別が子供に
とっては歪んだ感情へと発達していっているのは 悲しいが
当事者の今「親」をしている自分でさえわからない。

ただ言える事は 人が育っていくというのは昔から特別の事じゃ
なかった筈だという事だ。きっとマニュアルも指導書も
必要なかった。必要なのは育てる人がごくごく「普通」の
事を自らしている事なのかもしれない。

最近 子供の事件やこういう監禁事件が起こるたび 暗くなる。
それと同時に不安にもなる。
もし「こうなってしまったら」こんな気持ちがいつもある。
子供にどんな教育をさせるか どんな事をさせるか。
きっとこんな事より自分たち親が人に迷惑をかけないで
「普通」に生きていればいいのではないだろうか。

亡き祖母の こんな言葉が聞こえてくるようでならない。