この人は面白いエッセイを書く人。
ここ何年かで何十冊か読んできたが、最初のうちは昆虫学者だと思っていた。
なぜなら、ひたすら虫について熱く書いていたから。
途中で彼の生業はフランス語・フランス文学らしいと気づく。
おや?ここまで虫にのめりこんでいて、本業はフランス文学かい。
虫屋になってた方が幸せだったかもしれないが。
1944年生まれ。そうすると現時点では77歳くらいですか。
でもこの本が出版された時は55歳だし、わたしが今まで読んでいたのは
それ以前のものなので、この人が40代~50代のエッセイなんだよね。
それにしては……なんだかおじいちゃんみたいな書きぶりなんですよ。
40代だろうのに、70代くらいの人が書いているような口ぶりで書く。
明治の頃の文豪たちの随筆を思い出させる。この辺が不思議だった。
だいぶ影響を受けたということなんだろうか。
通常のエッセイはどっちかというと、とりとめのない軽いもの。
虫について書いてない時は、今時の学生の生態や、教授としての日常のあれこれ。
文章自体が面白いから、何を書いていてもだいたい面白いんだけど、
つれづれなるままに、というスタイルのエッセイ。
が、この本ではちゃんとテーマに沿ったエッセイを書いていた。
もしかして初めてじゃない?こんなに段階を踏んで、あるテーマについて書くの。
新書だから油断して、普段よりさらにゆるゆるのエッセイだと予想していたよ。
そしたらすごくまとまった、形になったいい本。
これはファーブルの人生について書いた小著としては第一番に推したい。
まあわたしはファーブルに興味があるかというと、ないんですけどね。
子ども用の「ファーブル昆虫記」は昔から家にあったが、読んだのは
小学校高学年になってからだったと思う。
なにしろ、わざわざ虫について詳細に書いた本を読む意味がわからなかった。
だってコワイじゃないですか。蜂が他の虫の幼虫に卵を産み付けるとか、
糞を転がして食べ物にするとか。全体的に読んでいて気味が悪い話。
どうしてこんな気味の悪い話を書くんだろう……というのを乗り越えたのが
小学校高学年くらい。まあこういう本を書く人もいるんだなあと思いながら読んだ。
面白かったけど、何しろテーマがコワかったので、数回しか読まなかった。
それ以来ファーブルとの縁はない。
あ、それでもアヴィニョンに行った時は、ファーブルが教えた学校の跡地だか
なんだかの公園を通りかかったな。街中にあって、市民の憩いの場所。
そこで、買って来たパンを食べて昼食にした。
花がそんなに手入れがされすぎない程度に植えられていて、
その適当な雰囲気が、ファーブル本人に対する関心のなさに似通うような気がした。
本を読むと、ファーブルは相当苦労した人らしい。
貧しい家庭の少年は、努力して貧しい中学教師になり、忙しかったけれども、
大好きな花や植物に囲まれた生活を送り、しかし貧乏は相変わらずで、
子どもたちを相次いで死なせてしまう。
時々は有名人に知己を得て、精神的、経済的に一瞬豊かになったりもするが、
そこから楽な渡世へ、という道にはいかない。
荒々しい、作物も実らないような荒野とそこにある虫と花に執着し、
その目でじっと観察し、得たことを本に書き、寸暇を惜しんで沢山書き、
生活の糧を稼いだ。
虫狂い、のんきに虫を追いかけているおじさん。というイメージだったけれど、
のんきどころではない苦労をしたんだなあ。
奥本大三郎は「昆虫記」全10巻を訳出したらしいので、今後いずれかの時点で
読むことになると思う。また読んでいてウゾウゾする話を
今度は10巻分も読まなければならないのかと思うが、
テーマはテーマとして、面白いからね。楽しみでもある。
ここ何年かで何十冊か読んできたが、最初のうちは昆虫学者だと思っていた。
なぜなら、ひたすら虫について熱く書いていたから。
途中で彼の生業はフランス語・フランス文学らしいと気づく。
おや?ここまで虫にのめりこんでいて、本業はフランス文学かい。
虫屋になってた方が幸せだったかもしれないが。
1944年生まれ。そうすると現時点では77歳くらいですか。
でもこの本が出版された時は55歳だし、わたしが今まで読んでいたのは
それ以前のものなので、この人が40代~50代のエッセイなんだよね。
それにしては……なんだかおじいちゃんみたいな書きぶりなんですよ。
40代だろうのに、70代くらいの人が書いているような口ぶりで書く。
明治の頃の文豪たちの随筆を思い出させる。この辺が不思議だった。
だいぶ影響を受けたということなんだろうか。
通常のエッセイはどっちかというと、とりとめのない軽いもの。
虫について書いてない時は、今時の学生の生態や、教授としての日常のあれこれ。
文章自体が面白いから、何を書いていてもだいたい面白いんだけど、
つれづれなるままに、というスタイルのエッセイ。
が、この本ではちゃんとテーマに沿ったエッセイを書いていた。
もしかして初めてじゃない?こんなに段階を踏んで、あるテーマについて書くの。
新書だから油断して、普段よりさらにゆるゆるのエッセイだと予想していたよ。
そしたらすごくまとまった、形になったいい本。
これはファーブルの人生について書いた小著としては第一番に推したい。
まあわたしはファーブルに興味があるかというと、ないんですけどね。
子ども用の「ファーブル昆虫記」は昔から家にあったが、読んだのは
小学校高学年になってからだったと思う。
なにしろ、わざわざ虫について詳細に書いた本を読む意味がわからなかった。
だってコワイじゃないですか。蜂が他の虫の幼虫に卵を産み付けるとか、
糞を転がして食べ物にするとか。全体的に読んでいて気味が悪い話。
どうしてこんな気味の悪い話を書くんだろう……というのを乗り越えたのが
小学校高学年くらい。まあこういう本を書く人もいるんだなあと思いながら読んだ。
面白かったけど、何しろテーマがコワかったので、数回しか読まなかった。
それ以来ファーブルとの縁はない。
あ、それでもアヴィニョンに行った時は、ファーブルが教えた学校の跡地だか
なんだかの公園を通りかかったな。街中にあって、市民の憩いの場所。
そこで、買って来たパンを食べて昼食にした。
花がそんなに手入れがされすぎない程度に植えられていて、
その適当な雰囲気が、ファーブル本人に対する関心のなさに似通うような気がした。
本を読むと、ファーブルは相当苦労した人らしい。
貧しい家庭の少年は、努力して貧しい中学教師になり、忙しかったけれども、
大好きな花や植物に囲まれた生活を送り、しかし貧乏は相変わらずで、
子どもたちを相次いで死なせてしまう。
時々は有名人に知己を得て、精神的、経済的に一瞬豊かになったりもするが、
そこから楽な渡世へ、という道にはいかない。
荒々しい、作物も実らないような荒野とそこにある虫と花に執着し、
その目でじっと観察し、得たことを本に書き、寸暇を惜しんで沢山書き、
生活の糧を稼いだ。
虫狂い、のんきに虫を追いかけているおじさん。というイメージだったけれど、
のんきどころではない苦労をしたんだなあ。
奥本大三郎は「昆虫記」全10巻を訳出したらしいので、今後いずれかの時点で
読むことになると思う。また読んでいてウゾウゾする話を
今度は10巻分も読まなければならないのかと思うが、
テーマはテーマとして、面白いからね。楽しみでもある。
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