シニアの特権かしら?読書三昧な日々を過ごしている。
ブックオフで購入の古本(^^;)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/0a/04a644803774e1979ff0f4fa274404d3.jpg)
※↑最近読んだ本
昨夜もついつい読み耽って・・・。
子どもの頃、
(あー、もっと読みたいのに!!)
と思いながら、
前夜、『明日は学校でしょ』『早く寝なさい!』と叱られ。。。
それを思うと、
今はなんと幸せな日々?!(^^;)
゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*
で、『白洲正子自伝』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/ac/54e30b7a323efc81b3fca70800fb1c37.jpg)
軍人、樺山資紀伯爵の孫娘で、
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍した、
白洲次郎さんの奥様。
お二人の住居=『武相荘』は今、
武蔵野の面影漂う多摩の丘陵地帯で、資料館やティールームになっている。
(東京都町田市能ヶ谷)
↑ティールーム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3f/15498ca46eabd162cc9500f05919f00a.jpg)
↑長屋門
[2015.2月]
で、その本文・・・。
津本陽氏の『薩南示現流』に、このような逸話がのっている。
示現流というのは、薩摩の島津藩で行われていた剣道で、
その使い手の指宿藤次郎が、京都祇園の石段下で、見廻り組に殺された。
むろん、幕末のことである。
その時、前田某と言う若侍が同行していたが、彼はいち早く遁走した。
指宿は五人の敵を倒したが、下駄の鼻緒が切れて転倒し、無念の最期をとげたと言う。
その葬儀の場に橋口覚之進という気性の激しい若侍がいて、
焼香の時が来ても棺の蓋を覆わず、指宿の死顔を灯びのもとにさらしていた。
彼は参列者の中から前田を呼んでこういった。
「お前(はん)が一番焼香じゃ。さきィ拝め」
ただならぬ気配に、前田はおそるおそる進み出て焼香し、指宿の死体の上にうなだれた。
その時、橋口は腰刀をぬき、一刀のもとに首を斬った。
首はひとたまりもなく棺の中に落ちた。
この、
「気性のはげしい橋口覚之進なる若侍こそ、私の祖父の若き日の姿である」
と著者の白洲正子さん。。。。
いきなり度胆を抜かれるスタートでございます(^^;)
大正から昭和へ・・・
時の流れを体感し、皇族や上流階級の様々な方々と交流。。。
そして、「留学」という、異文化体験。。。
読むほうも目が眩むような華やかな歴史人生に、心が奪われましたです、ハイ。
:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*
さて、この65~66ページ。(新潮文庫)
正子さんが過ごした御殿場の山荘の思い出。。。
別荘の入口には自然木の門が建っており…(中略)
大きな茅葺の長屋門があった。
浜松の旧家から譲り受けたもので、三方ヶ原の合戦の際に、
徳川家康が隠れていたという由緒ある建築だと聞いていた。
:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜
いきなり、心臓をわしづかみにされた!!!
(あれ?父の生家?!)
私の父は、鎌倉時代から続く浜松の旧家の嫡男で。。。。
※没落して東京へ来たせいか、昔の話はほとんど聞いたことがない。
でも、
家康公をお助けした家と訊いている。。。
家康公に感謝のお礼として頂いた刀剣もあったらしいけど。
(戦後のどさくさで、親戚が…ムニャムニャ^^^)
ともかく、
(これってお父さんの家だよね?)
と、思わず涙がこぼれちゃった(苦笑)
会社経営で忙しかった父と、ほとんど会話した記憶がないのだけれど
(敷地から門を入っても、家の建物は見えなかった)
(この丘から見える周りが全部、ウチの敷地だった)
という言葉はおぼろげに覚えている。
(正子さんの別荘の長屋門もあそこにあったのかしら)
もっともっと、生前の父と、話をしておけばよかったなぁ……。
(たまにはお墓詣りしなさい!)ってことかしら。。。
と、しみじみ。。。
(*;ω人)ゴメンナサイ!!!
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※↑最近読んだ本
昨夜もついつい読み耽って・・・。
子どもの頃、
(あー、もっと読みたいのに!!)
と思いながら、
前夜、『明日は学校でしょ』『早く寝なさい!』と叱られ。。。
それを思うと、
今はなんと幸せな日々?!(^^;)
゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*
で、『白洲正子自伝』
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/ac/54e30b7a323efc81b3fca70800fb1c37.jpg)
軍人、樺山資紀伯爵の孫娘で、
連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍した、
白洲次郎さんの奥様。
お二人の住居=『武相荘』は今、
武蔵野の面影漂う多摩の丘陵地帯で、資料館やティールームになっている。
(東京都町田市能ヶ谷)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/64/9eee450aed818e0def909e8c4b2bbeb2.jpg)
↑ティールーム
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/3f/15498ca46eabd162cc9500f05919f00a.jpg)
↑長屋門
[2015.2月]
で、その本文・・・。
津本陽氏の『薩南示現流』に、このような逸話がのっている。
示現流というのは、薩摩の島津藩で行われていた剣道で、
その使い手の指宿藤次郎が、京都祇園の石段下で、見廻り組に殺された。
むろん、幕末のことである。
その時、前田某と言う若侍が同行していたが、彼はいち早く遁走した。
指宿は五人の敵を倒したが、下駄の鼻緒が切れて転倒し、無念の最期をとげたと言う。
その葬儀の場に橋口覚之進という気性の激しい若侍がいて、
焼香の時が来ても棺の蓋を覆わず、指宿の死顔を灯びのもとにさらしていた。
彼は参列者の中から前田を呼んでこういった。
「お前(はん)が一番焼香じゃ。さきィ拝め」
ただならぬ気配に、前田はおそるおそる進み出て焼香し、指宿の死体の上にうなだれた。
その時、橋口は腰刀をぬき、一刀のもとに首を斬った。
首はひとたまりもなく棺の中に落ちた。
この、
「気性のはげしい橋口覚之進なる若侍こそ、私の祖父の若き日の姿である」
と著者の白洲正子さん。。。。
いきなり度胆を抜かれるスタートでございます(^^;)
大正から昭和へ・・・
時の流れを体感し、皇族や上流階級の様々な方々と交流。。。
そして、「留学」という、異文化体験。。。
読むほうも目が眩むような華やかな歴史人生に、心が奪われましたです、ハイ。
:..:*゜..:。:.::.*゜:.。:..:*゜..:。:.::.*
さて、この65~66ページ。(新潮文庫)
正子さんが過ごした御殿場の山荘の思い出。。。
別荘の入口には自然木の門が建っており…(中略)
大きな茅葺の長屋門があった。
浜松の旧家から譲り受けたもので、三方ヶ原の合戦の際に、
徳川家康が隠れていたという由緒ある建築だと聞いていた。
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いきなり、心臓をわしづかみにされた!!!
(あれ?父の生家?!)
私の父は、鎌倉時代から続く浜松の旧家の嫡男で。。。。
※没落して東京へ来たせいか、昔の話はほとんど聞いたことがない。
でも、
家康公をお助けした家と訊いている。。。
家康公に感謝のお礼として頂いた刀剣もあったらしいけど。
(戦後のどさくさで、親戚が…ムニャムニャ^^^)
ともかく、
(これってお父さんの家だよね?)
と、思わず涙がこぼれちゃった(苦笑)
会社経営で忙しかった父と、ほとんど会話した記憶がないのだけれど
(敷地から門を入っても、家の建物は見えなかった)
(この丘から見える周りが全部、ウチの敷地だった)
という言葉はおぼろげに覚えている。
(正子さんの別荘の長屋門もあそこにあったのかしら)
もっともっと、生前の父と、話をしておけばよかったなぁ……。
(たまにはお墓詣りしなさい!)ってことかしら。。。
と、しみじみ。。。
(*;ω人)ゴメンナサイ!!!
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