映画の感想など・・・基本的にネタばれです。
しづのをだまき
招かれた女
2021年03月21日 / 本
著者 シモーヌ・ド・ボーヴォワール 訳者 川口篤・笹森猛正
新潮文庫 1956年初版 79年28刷 (初出1943年)
ボーヴォワールの最初の小説。大戦中に刊行され、その当時は彼女もまだ、社会的連帯とか責任感よりも、いかに自分の欲望に忠実にアナーキーに生きて行くかで頭がいっぱいだった時代。
物語の舞台は1938年から39年の、大戦直前のパリである。登場人物は30代前半のピエール(俳優で舞台監督)とフランソワーズ(作家)の男女のカップルと、そこに加わる19歳の少女グザヴィエール。
新潮文庫 1956年初版 79年28刷 (初出1943年)
ボーヴォワールの最初の小説。大戦中に刊行され、その当時は彼女もまだ、社会的連帯とか責任感よりも、いかに自分の欲望に忠実にアナーキーに生きて行くかで頭がいっぱいだった時代。
物語の舞台は1938年から39年の、大戦直前のパリである。登場人物は30代前半のピエール(俳優で舞台監督)とフランソワーズ(作家)の男女のカップルと、そこに加わる19歳の少女グザヴィエール。
だが実際はルーアンという田舎の町で起きたのである。舞台を田舎からパリに移し、登場人物を教師から芸術家に変えたことで、パリの知的芸術的享楽的側面の魅力がちりばめられ、執筆しながらも楽しかったろうが、事件の必然性が薄れ、現実味を損ねてしまったと自伝「女ざかり」で反省している。
つまり、もう超有名なので結末を述べても許されると思うが、フランソワーズは、せっかく田舎町ルーアンから連出した娘を殺してしまうのである。
つまり、もう超有名なので結末を述べても許されると思うが、フランソワーズは、せっかく田舎町ルーアンから連出した娘を殺してしまうのである。
本の最初の扉に鍵がありそうだ。
「 オルガ・コサキエヴィッツに献ず
各々の意識は他の意識の死を求める ヘーゲル」
オルガ・コサキエヴィッツは殺された娘のモデルなので読者は面食らう。だがなんせ彼女は、ルーアンの女学校でボーヴォワールの最優秀の生徒だったので、これで通じるらしい。
サルトルとボーヴォワールとオルガのトリオ(三人組)はこうしてはかなく破綻するのだが、このあと現れたビアンカとまたもやトリオを結成してしまう、とは、性懲りの無いことである。サルトルの女好きとそれに逆らえないボーヴォワールの関係からこういうことになる。
ボーヴォワールは私の母より3歳年上で、日本で言えば明治生まれ。女性の自立という点で、おどろくほど先進的だけれど、限界はあるということか。実際は素知らぬ顔をしながら、小説の中で殺人を犯すことで、他人に従属せずに一個人として独立することができ、次の段階に進むことが可能になったのだろう。もっともこの処女作の後、「他人の血」「第二の性」「レ・マンダラン」「人はすべて死す」を発表している。23年間に28刷を重ねたことは当時の「サルトルとボーヴォワール」人気がいかに高かったか、それも一過性でなく影響が長く続いたことを示している。
→「ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代」21-1-31
→「ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代」21-1-31
→「別れの儀式」21-2-21
→「モスクワの誤解」21-6-4
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